novel | ナノ





暗闇。
目を開けているのか、閉じているのかすら分からない程の闇の中に、リンダはいた。
ただ淡々と時だけが過ぎる。
時々、誰かの声が耳に届くのを感じてはいたが、どうする事も出来ないまま、真っ暗なそこに座り込んでいた。


「……」


暫くすると、ホウと、白く発光する何かが此方へ近付いてきた。
点程にしか見えなかったそれが徐々に、はっきりと見えてきて、眠っていたリンダの意識が覚醒する。


「…さかな…」


それが自身のスタンドだと分かるのと同時に立ち上がって、走り出した。
意識だけのこの空間で、身体を動かすというのは妙な感覚だったが、とにかく傍へ行きたくて、走る。


「魚!」


クルリとした自分と同じ青の瞳が此方を見る。
肉眼でそれを捕らえられ、安堵から溜息をつく。
しかし、その発光する白魚の間近に、何やら影のようなものが漂っているのを見て、驚いた。


「…あなた……」


白と、その光に照らされてちらりちらりと見えるーー黒色の魚。
泳ぎ出した二匹はこちらを振り返り、くいと頭を動かす。その姿は、着いて来いとでも言っているようだった。


「待って」


遅れを取らないように、付いていく。
ヒラヒラと動く尾ビレが、自分のスタンドながら美しいと思った。


「あなたの瞳、ルビーみたい」


白魚と隣り合う黒魚にそう話し掛けると、そっぽを向かれた。
褒めてるのにと言うと無視される。
どうやら“対”と比べてかなり捻くれているらしい事が分かり、リンダは苦笑いした。


「…?」


その内、はっきりと自分の名を呼ぶ声が聞こえ出した。
スタンドと共にその方向へと歩いていくと、暗闇ばかりだった風景に変化が訪れ、一筋の光が見えた。

上へ上へと、光差す道。
見上げていると、案内してくれていた双魚がお役御免とばかりに動きを止め、振り返ってこちらをじっと見つめてきた。


「ありがとう」


満足気に頷き、ゆらゆら揺れる。
白と黒が混ざり合って、姿が大きく膨らんで、別の形に変わるのを見つめていた。
腹の辺りへ溶け込み、混ざり合うそれを笑って受け入れて、リンダの意識は浮上した。


「ーー…」


ピッピッという電子音や、機械が動く音が聞こえる。
目蓋は開かず、身体はぴくりとも動かない。
しかし耳だけは機能し、音を拾い、脳へと伝えてくる。
昔も同じような事があったと思い出しつつ、リンダは状況を徐々に把握していった。
深く傷付いていた肺や気道は、財団の医師達によって上手く治療が施されているようだ。
自分で呼吸を行える事に有り難みを感じながら、ダメージを負った部位を少しずつ、波紋を流して回復を促していった。


「嗚呼…っ良かったっ!」


数日かけて目が開くようになった時には、見守っていた全員から大喜び、大泣きされた。
やがて、声が出せるようになれば、そこからの回復は早く進められたため、その内、起き上がれるようになった。
普通の人間ならば半年か、それ以上ーー否、後遺症すら残るかもしれないところを、一週間程で自力で座る事が出来るまでに回復させたのである。
一般的に見れば奇跡としか言いようがないが、しかし、リンダとしては時間がかかり過ぎたと唇を噛み締めるレベルだった。

ホリィの余命は約50日。
自分は限られた日数のうち7日も布団の中で過ごしてしまったのだ。
彼らが旅立ってからもう、約40日。
残された日数はあと僅か。
案の定、リンダと入れ替わるように彼女が再び倒れてしまった。

リンダが意識不明の間、痛みや高熱を和らげる事も、血液や臓器の循環を良くする手立てが無かった事、また、今まで波紋で和らげていた反動なのか、症状は酷かった。


「良いのよ…それより今は、ゆっくり休んでね…」


上半身だけでなく全身に至るまでぐるりと巻き付き、増殖したスタンド。
玉のような汗、乱れた呼吸、ずれた目の焦点、真っ青な顔色、痙攣する手足。
シダがイバラとなり、波紋を流し続けても、いっこうに改善しないその症状。


「嫌だよ」


今この瞬間ですら、気丈に振る舞っている彼女にも、リンダは譲れなかった。
自分が何のために此処にいるのかを、心に誓ったそれを、破る訳にはいかなかった。

出現させたスタンドがホリィの瞳に映り、その目尻からつぅと涙が流れた。


「大丈夫。伯父さん達が助けてくれるまで、また私も一緒に頑張るから」

「でも…っもうリンダちゃんに迷惑をかけるのはいやよ…っ」


罪悪感からか、遂に今まで弱音一つ吐いた事の無い彼女から零れた涙と本音。
傍にいた母も、医師達も、なんと言って良いのか分からず、沈黙する。
しかし、リンダは出来るだけ優しく微笑んだ。


「私はこれっぽっちも迷惑だとは思わない」

「――っ」

「むしろ気を使わせちゃって、ごめんね」


きっと自分がホリィの立場だったら、同じように罪悪感でどうにかなっていただろう。
助けようとする心を煩わしく思い、八つ当たりをして遠ざけようとしたかもしれない。
それを理解しながらも、引けなかった。


「私、こう見えてけっこう頑固だから」

「………、…知ってる、わ」


葛藤の末、遂にホリィは折れた。
困ったように笑い、震える指先で涙を拭う。
その様子に、皆がほっと息を吐いた。


「皆さんごめんなさい。後はまた、頼みます」

「はい、任せて下さい」

「無茶しないでって言っても聞かないでしょうから…ママからは頑張ってとしか言えないわ」

「…うん」


財団員から聞くところによると、ジョセフ達一行はもう、DIOの居るカイロへと到着したという。
それならば、もう決着が着く筈ーー否、付けなければならない。
最初に言われていた50日という期限はもうすぐそこまで迫っているのだから。


「“オーシャン・ピーシーズ”…」

「…?」

「私のスタンド、“海の双魚”っていうの」


スタンドは一人に一つだという。
しかしリンダのスタンドは姿を変える事が出来、そして、持ち得る能力も違う。
特に、基本となるフォルムの白と、そして黒のスタンドは、その能力も発動する考え方も逆だ。

対極的で対照的。
正義と悪、白と黒。
生け贄は自分の身体か、他人の身体か。

楽な道を選ぶなら、他人を使えば良い。
例えば今この場に、空条邸を襲った敵を連れてきて、ホリィのスタンドを全て移し変える――しかし、その選択は今のリンダには選べなかった。

激情に支配された、あの時だけだ。
あれ以来、そんな考えは浮かばないし、何よりも優しい彼女が望まない。

ただ、自分の心の中に、歪んだ発想がある事からは目を反らさずにいよう、と、そう思うからこそのスタンドの名前だった。
二つの心を秘める、双魚と。


「“アライブ”」


そして、白魚がホリィの手の項にキスをした。
























目が覚めた時、周りは随分と賑やかだった。


「帰ってくるわ!」


明るさに満ちたその声を聞き、嗚呼全て終わったのだと悟ってリンダは緩く微笑んだ。








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