雨音に滲む | ナノ


雨音に滲む(3Z)1




 生活がかかっているため、テスト期間だからといってバイトを休むわけにもいかず、妙は疲労が溜まっていた。今日はバイトもなくまっすぐ帰れるはずなのに、自然とため息が出る。口に出さない疲労は内に溜まり、それをなんとかため息に変える。まるで、そんな作業をしているかのようだった。
 なかなか「疲れた」と口にしないのは、周りに心配をかけないためか、それとも妙の性格か。おそらくその両方が、「大丈夫よ」の笑顔の裏に隠れている。
「え……事故?」
 電車に乗って帰ろうと駅まで歩いてきたところで、人身事故のために電車が止まっているという表示が目に入った。運が悪い。そうとしか考えることが出来ず、妙は再び息を吐いた。この状態で人混みはつらいと判断し、一度外へ出ることにする。いっそ、歩いて帰ってしまおうか……そんなことを考えていた妙の前には、無情にも雨景色が広がっていた。
(さっきまで晴れてたのに……)
 空を見上げても、青空は少しも見えない。止む気配がない。夕立ではないようだ。あいにく折り畳み傘も持ってきておらず、予算の都合でタクシーという手段をなくすと、あとは走って帰ることくらいしか浮かばなかった。
 別に、日頃の行いが悪いわけでもないのに。気分をさらに沈めるようなこの天気に、文句の一つでも言いたくなるのはしかたのないことだった。
 鞄を雨よけ代わりに走ろうとしたところで、見慣れた銀色が横切った。「あっ」と思わず声を出してしまったのは、無意識。そのふわふわした銀色がこちらを振り返ると、そこには予想していた人の顔。こんな特徴的な髪、間違えるわけないもの。
「志村?どうしたんだ、こんなとこで」
「えっと、電車が止まっちゃって……」
 傘もないし、走って帰ろうか迷ってて。それはどうでもいいかしら、と思い、視線を外して、後ろの方は口の中でごもごもと呟いた。
 妙の言葉を聞いた銀八は、少しだけ考えたあと、「……来い」と低い声で告げる。「え?」と聞き返す前に、彼のジャケットが頭の上に被せられた。タバコの匂いと、少しだけ甘い匂い。どういうつもりかと問う前に彼は走り出していて、妙には追いかけることしかできなかった。



 目の前の大きな背中が走るのをやめた。後ろから覗き込むようにして前を見れば、少しだけ古そうなアパート。なんとなく予想していたような、でもまさかと思いながら問えば、やはりそこは銀八が住むアパートらしい。
「別に変なことするつもりねーし。いいからうちで休んでけ」
 生徒に風邪引かせるわけにはいかない、ということらしい。そんなことを言われても、はいそうですかと簡単に人の世話になれるような……ましてや男の人の家に転がり込むなんてことができるような女ではない。先生だって、そんなこと知ってるはずなのに。心の中で一人ごちるも、きっとそんなのお見通しで強引に連れてきたんだわ、なんて思ったりもして。そんな気付きにくい優しさを持っているのが彼だから。
「ほら、早くしろー。俺のジャケットが濡れるだろーが」
「え……あ!」
 すっかり忘れていたけれど、彼のジャケットを雨よけ代わりにしていたのだった。それほど強くない雨とはいえ、必要以上に濡らしてしまっては申し訳ない。慌てて屋根の下へと駆け込めば、そのまま「こっち」と階段の方へ歩き出す。ああもう、こんな簡単に乗せられてしまった。
(こんなやり方も全部、意地っ張りな私を知っているから)
 そんなふうに思ってもいいのだろうか。素直じゃない私に、通りやすい道をかき分けてくれているのだと、そう自惚れてもいいのだろうか。
 心の奥が、じんわりと甘く疼く。この痛みを自覚したのはいつのことだったか。先生、と声を出す代わりに、彼の上着をぎゅうっと抱きしめた。制服越しに伝わる気持ち悪いはずの冷たさが、なぜか心地よかった。




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