ifの世界 8 | ナノ


ifの世界 8




「明日、ここに新八呼ぶから」
 ぴくり、と一瞬だけ動揺の色が浮かんだ。その大きな瞳に、不安が微かに見える。何かを求めるかのように見つめられて、けれど無言を貫く彼女に、ついてきてほしい?と尋ねた。
「……いいえ、大丈夫です」
「そうか」
 わかりきっていた答えに安心する。何をそんなに知っているわけでもないけれど、それでこそこの女だなと思った。
 志村姉弟が、態度はどうあれ互いに会いたがっているとなれば、会わせてやろうと考えていた。それは、妙が新八の姉だとわかってからずっと考えていたこと。お節介なんかではなく、単に二人が素直じゃないだけだという自信があったからだ。姉が割と素直に「会いたい」と口にしたのに対し、弟の方は最後まで渋っていたけれど。
(まあ、会いたくないわけじゃなくて、今更どんな顔して会えばいいかわかんないってとこだろ)
 そんなこと、会えばどうにでもなるのに。時間と場所さえ指定してやれば、きっとあいつはそこへ向かう。散々迷うくせに、それでも最後に優先する気持ちが答えなのだ。




 先日のお礼がしたいので、今度ごはんにでも行きませんか?
 そう妙が持ちかけてきたのは、二週間ほど前のこと。その誘いを断る理由はなかったのだが、なかなか休みが被らず、間があいてしまった。
「新八とはどうだった?」
「……それも、そのときに詳しく話しますから」
 あの日は仕事もあり、話はそこで切られてしまったけれど、妙の表情が明るいことにほっとした。本当にありがとうございました、とはにかんだ笑顔は、新八のそれと同じだった。
 そして、今日が約束の日。妙に連れて来られた居酒屋は、学生からサラリーマンまで問わず人気がある店のようだった。
「チェーン店なんですけど、けっこうお料理おいしいんですよ。金さんはこういうところ、あまり来たことないかもしれないですけど」
 全室個室なのも魅力だと彼女は笑った。案内された部屋はたしかに個室だった。……が、想像していたのとは少し違う。てっきりテーブルを囲んで向かい合うものだとばかり思っていたが、テーブルは壁際についており、それに向かって長いソファーが用意されているという、なんというか、カップル向けの席だった。これは妙も想像していなかったようで、困ったように視線を彷徨わせている。
「お。思ったより座り心地いいじゃん」
 先に遠慮なく腰かければ、想像以上にふかふかとしていた。ほら、と手招くと、彼女も観念したかのようにちょこんと座る。姿勢を正しているのは、この慣れない距離感のせいだろう。あまりリラックスされても困るが、ここまでかしこまられても……と、思わず苦笑いが零れた。決して口には出さないが。
 しかし、アルコールが入ってしまえば別である。飲み始めてからしばらくして、肩の力が抜けた妙は、グラスを抱えながら背もたれに体を預けていた。
「金さんのこと、兄のように慕ってましたよ」
「……どーだか」
「ふふ」
「なーに笑ってんの」
 枝豆をつまみながらビールを煽る。言われた内容も小っ恥ずかしいものだったが、それ以上に、職場では見られないあどけない笑顔から逃げようとした。無邪気というか、無防備というか。狙ってなのか、無意識なのか。ただどちらにしても、理由を深く考えてはいけない気がする。少なくとも、潤んだ瞳はアルコールのせいだ。
「……私ね、時々考えるんです。もしもあの日、金さんと出会っていなかったらって……」
 それまで微笑んでいた彼女が、唐突に真面目な顔をして語り出す。口元は緩く弧を描いているが、どこか遠くを見つめるような瞳は、何に想いを馳せているのか。
「……出会ってなかったら、どうなの?」
 ゆっくりと瞼を閉じ、そうねェ……と考え込む。楽しい出来事を思い出すようなその表情に、目が離せなくなった。けれど、彼女はこちらを見ると、あっさりと答えを告げる。
「わからないわ」
「……おい」
 なんだよ今のやりとり何も意味ねェじゃねーか、と再びジョッキを傾けた。だって本当にわからないんだもの、と拗ねたように彼女も一気にグラスの中身を飲み干す。
「わからないのよ。……もう、考えられないの、そんなこと」
 そう呟いて、静かに置いたはずのグラスの音が、やけに響いた気がした。
「……少なくとも、”今”はないでしょう?」
 真っすぐに見つめてくる。その表情は複雑で、わかりにくい。こんなところだけ大人みたいにずるくて、なんだかとても罰が悪い。掛ける言葉も見つからず、つまみに手を伸ばした。ああ、ビールとっとけばよかった。
 しばしの沈黙の後、ドリンクを注文したのをきっかけに、話を変えた。けれど先程の話が頭の中をもやもやと渦巻いて、いつものようにテンポの良い会話ができない。
 妙の話は、そのまま考えてしまえば、なんてことはない。今こうやって二人で飲むこともなければ、弟とすんなり再会することもできなかっただろうという、ただそれだけの話である。しかし、あの表情は――噛みしめるように呟いた、あの言葉は。それ以上を期待したくなるような、甘い甘い言葉のような気がしてしまう。考え過ぎだとしても、自惚れ過ぎだとしても、アルコールのせいだとしても。
「あいつ、家に戻んの?」
「……いいえ。まだ、やりたいことがあるみたいで。……きっと、今の仕事が、職場が、本当に好きなのね」
「ん……そっか」
 個室とはいえ、通路とはカーテンで仕切られただけのそのスペースは、もちろん周りの喧騒も聞こえてくる。しかしそれがどこか遠くに聞こえるほどに、二人だけの空間が存在していた。
「寂しい?」
「それは……大丈夫です。いつかは帰ってきてくれるのがわかってるから……これまでに比べたら、どうってことないわ」
 予想どおりの「大丈夫」に、うん、と適当な相槌を打つ。どんな返事がきたところで、言うことは決めていた。
「……あの屋敷に比べたら狭いけどさァ」
 ふ、と妙がこちらに顔を向けた。
「うちに来れば寂しくねェんじゃねーの?」
 柄にもなく声が緊張していることが自分でもわかる。
 お互い仕事あるから一日中二人ってわけでもないしそれならたぶんうちくらいの狭さでもなんとかなるし適度に狭いくらいが寂しくなくていいと思うんだけど若干そっちの店に行くのは大変かもしれねェな、でもまあ全部の荷物を運んでくるわけにもいかないだろうし行ったり来たりしつつ様子見てみるでもなんでも……
 緊張を自覚した口はかえってペラペラとよくしゃべり、だんだん何が言いたいのかもわからなくなってきたけれど。目をぱちくりとさせながら、妙はそれでもこちらをじっと見つめたままでいた。
「まあ若干狭いとは思うけどその方が寂しくないし」
「それ、さっきも同じこと言ってましたよね」
「……」
「……」
 えーっと、と言葉を続けられずにいると、妙はしばらく考え込む様子を見せた。そして、意を決したように再びこちらをまっすぐに見据える。
「それは……その……」
 それでも珍しく言い淀むのは、どう考えても中途半端なことを口走った自分が悪い。
「いや、家に来るかどうかはこの際置いといてだな」
「……なんなんですかさっきから。期待させたかと思えば……」
「……期待、した……?」
「え? あ……」
 しまった、と背けようとする顔を、こちらへと向けさせる。この空間に逃げ場はないのだ。妙にも、自分にも。
「いいじゃん、期待しろよ」
「……っ、なんですか、急に……!」
「別に、急じゃねェよ。おまえが知らなかっただけで」
「……」
 なァ、と呼びかけながら、彼女の頭をそっと自分の方へともたれさせる。ふわりと漂う甘い香りと、抵抗にならない抵抗。その細い肩を抱きしめるようにそっと包めば、少しだけ身体の力を抜いたのがわかった。
「……ずるいわ」
「それはこっちの台詞だ」
 こんなこと、言うつもりなかったのに。先に惑わせたのはどっちだ。




13.03.20.
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あとがき




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