ifの世界 6 「……」 「……よォ」 内心、誰だっけ?と考えているのを悟られないように、いつもどおり飄々と男を見据える。職業柄か、男からの視線は敵意が剥き出しであることが多く、だからいちいち相手の名前なんて覚えていない。それが面倒事を上手く避けているのか、かえって引き起こしているのかはわからないけれど。 しかし、この男は違った。これは敵意ではない。かといって好意的というわけでもないが、少なくとも悪意は感じない。 「……悪いんだけど、お宅さん誰だっけ?」 「ふっ。安心しろ、初対面だ」 男は人当たりの良さそうな笑みを浮かべ、金時に一歩近づいた。 (初対面っつーわりには名乗る気無ェのな) 金時はわしわしと己の髪を無造作に掻くと、何の用?と興味無さげに問いかけた。否、実際興味があるわけではない。ただ帰るのに邪魔だ。用件があるならさっさと済ませてくれ、というのが本音だったりもする。 「……妙さんのことだ」 男が小さく呟いた瞬間、あァ、と心の中で頷いた。強力なスポンサー。いつぞや聞いた話の男が彼なのだと、なんとなく察した。その人物ではなかったとしても、彼が彼女を慕っていることは間違いないだろう。 妙と自分のことで、いずれは何か起こるかもしれないと考えていたが、まさかこんな直球勝負を仕掛けてくるとは思わなかった。嫉妬や妬み恨みの類には慣れているが、こうも真っすぐな瞳を向けられると、弱い。彼はただ、恋しい人を一途に想う、それだけなのだろう。 「……何が聞きたい?」 声に刺があるのは、むしろ自分かもしれない。あくまでも無関心を貫きたいのに。 「……肝心の、おまえの気持ちを聞いてなかったと思ってな」 「……? どういう意味だ?」 「なに、こっちの話だ。気にするな」 それよりも、と、相手は逃げ道を残してはくれない。きっと、誰に対しても、何に対しても真っすぐなのだろう。 (悪い奴……じゃ、ないんだろーけど) それが命取りになりそうな男だ。そんな男を相手に、何をどう答えるべきか。一歩間違えば、こっちの命取りになる……って、そんな深刻な話じゃないが。 まだ何も話していないというのに、いつの間にかペースが乱されている。やりにくい相手だ、と小さくため息をついた。 「男の俺でさえ、”キン”の噂くらい知っている。そんな男が……」 「……」 「まさか誰か一人に対して本気になるなんて……考えたことがなかったからな……」 「あー……まァ、それは」 俺だって、初めはそんなつもりじゃなかったけど。 「だから、気になっただけだ。どういう心境の変化なのか、聞いてみたい」 「……初対面のわりには随分と踏み込んだ話なんじゃねェ?」 「……それが答え、か?」 なんとも想ってない。ちょっとしたことで知り合っただけ。同業者だから話しやすい。 答えも何も、そんな言葉を並べたところで引き下がる気がないのだ、この男は。初めから答えは一つしかなくて、けれど金時がそれを正解だと認めたのは今である。聞かれて初めて気がついたのだ。思っていた以上に、「気に入った」じゃ済まなくなっているという事実に。 (ガキか、俺は……) 酷く居心地が悪い。気付かなければよかったのに。あるいは、そもそも意識して沈めていたのに。 「何がどうなんてわかんねェよ。こっちが教えてもらいたいくらいだね」 「……そうか。それならこっちも安心だな」 「はァ?」 こっちの話だ、と男はまた同じ台詞を口にした。が、俺はどうやら解放されたらしい。 彼はそのまま背を向けて歩き出した。妙さんによろしく、という声が聞こえたような気がしたが、誰かに何かをよろしくされたくなどなかった。 →back |