ifの世界 1 | ナノ


ifの世界 1




 仕事帰りの坂田金時は、真っ黒な傘を広げて夜道を歩いていた。時刻は午前3時。車が道路の水を跳ねるのを、鬱陶しそうにしながら歩いていた。いつもは色とりどりに輝くネオンも、彼の目立つ金色の髪も、今日は薄暗くぼやけて見えた。
 職業柄、この時間帯に街を歩くことは珍しくない。この時間帯に人がいるのも、この辺りでは珍しくない。カップルで連れ添って歩いている者。片方はどう見ても同業者の組。酔っぱらい、気分良さそうにフラフラと歩いている人。様々な人がいる。その光景が、嫌いではない。
「あっ、くそっ!」
 横をトラックが通り過ぎたとき、大きな水たまりを跳ねていった。金時のスーツのズボンは、膝の高さ辺りまでが若干濃い色へと変わった。さっさと帰りたいと思いつつも、タクシーを使う気は起きない。できるだけ車道から離れた場所を歩いていると、目の前に人影があった。それがただの人影であったなら、金時はたいして気にも留めなかっただろう。しかしその人は、こんな天気にも関わらず傘を差していなかったのだ。歩道の真ん中で。
(何してんだァ?)
 その人影までには、まだ少しだけ距離がある。気持ち速度を速めながら歩けば、あっという間に追いついた。その女性は、歩いていなかった。ただ、その場所に立ちずさんでいた。
「おい……」
 声をかけ傘を傾ければ、ゆっくりと振り返る。キャバ嬢を思わせるドレスは、一見派手だが安物だ。肩よりも少し長い黒髪が、ピタリとうなじに張り付いている。虚ろげな黒い瞳が一瞬金時を捉えたが、すぐに俯いてしまった。彼女は、泣いているのかどうかさえわからないほど、全身が濡れていた。露出の多い服装のせいか、すっかり冷えきっているようで、唇は赤みを失っている。
 スーツの上着をかけてやれば、ビクリと体を震わせ、戸惑いがちに見上げてくる。
「何してんだ。風邪引きてーの?」
「……帰るところが、なくて……」
 ようやく発せられた声はか細い。下手すれば、雨の音にかき消されてしまいそうなほど。弱っているのか寒さに震えているのか、はっきりと区別はつかなかったが、そのまま放っておけるほど冷たい人間ではない。
「……待ってろ。今、あんたを泊めてくれそうな女に電話すっから」
 そう言って携帯を取り出せば、女は驚いたようにその腕を引き止める。すがりつくように触れてきた手は、シャツの上からでもわかるほどに冷たい。
「……いい……」
「あ?」
「あなたが、いい」
「……おめーな、男に対してそんなこと言うもんじゃねぇぞ」
「わかってます。わかってて、言ってるんです。……好きにしていいから、どこかへ連れてって」
「……」
 その態度が許せなかった。彼女が自暴自棄になっているのは、どう見ても明らかだ。そして、好きにしていいなんて言いつつも、本当は助けを求めているのだということも。どっちにしろ、こんな時間に傘も持っていない女を再び一人にさせるわけには行かず、「行くぞ」と低い声で促した。こんな街だ。少し歩けばホテルなんてすぐに見つかるだろう。
 もしも、このとき頑に彼女の誘いを断っていたら、二人は違う糸で繋がっていたのだろうか。できるだけ濡れないようにと大きめの傘を使っていたものの、二人で入るにはやはり少し小さかった。




12.04.22.
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