或る火曜日のお話(3/3)
◎
彼はなにを怒っているのか。
夕ごはんを食べ終えてもその答えはわからず、リビングでくつろぐ彼の腕をそっと抱きしめた。
いつもはほほ笑んで、それからキスをしてくれる。
でも今日は、ちらりと私を見るだけ。
ずきりずきり、ちくりちくり。胸が痛む。
「……たかくん、」
「……」
「ごめんね」
「なにが」
「……えっと。なにか」
「……無防備すぎる」
「え?」
「あの人は同僚で下心もなんもないかもしれないけど、でも男だよ。もっと警戒してください」
眼鏡の奥の、緑色の瞳。いつもはやさしいのに、やはり今日は怒っているみたい。
「なんのこと?」
「砂場で話してた先生。ずいぶん仲よさげでしたね」
「もしかして……」
「そうだよ、嫉妬だよ。ジェラシーだよ。気持ち悪いよ!」
力強い口づけを受ける。食べられてしまう――そんな錯覚。
唇が重なるだけ、それだけなのに。どうしてこんなにも違う味がするのだろう。苦い味。それでも、愛情が詰まっているように感じた。
唇が離れ、わずか見つめ合う。そっと唇に触れてみれば熱くて、とくとくと脈打っている。
力強くはあったけれど、いつもの、やさしい鷹雪くんの、キスだった。
「……気持ち悪くなんかないよ」
「……」
「ヤキモチ、嬉しい。可愛いね」
「……これからは気をつけてくれますか」
「はい。気をつけます」
彼が白い歯を見せてニカッと笑ってくれる。
この瞬間が、好き。
「なに話してたの?」
「あ、たかくんのこと、『どなたですか』って――それで、あのね、『旦那さんです』っていっただけで」
「――!」
今度は優しいキス。
それからぎゅっと抱き着かれて。薄く汗をかいているようで、彼の安心する匂いがする。
「でも鷹雪くんだって。お母さん方とか、女の子たちとすごく親しそうにしてて……私もね、実は、ちょっと、むっとしてた」
「え、うそ、いや俺は全然全然!浮気とか、そんなの全然!」
「……ゆるさない」
口ではそんなことをいっておきながら、彼の肩口でふふふと笑った。
慌てて身体を離され、不安そうな瞳。目を白黒とさせている。
彼のこんな顔を見るのはとても久しぶりのような気がする。
いつものお返しだよ。
「なんてね」
「あ〜、ごめん……」
「鷹雪くん、すてきな人だから。人が集まってくるのわかるよ。でも、私以外のひと、素敵とか思ったら、かなしい、な」
「……思わないよー。ずっと亜子がいちばんだから」
――あ、そんなこというの、ずるい。
顔に熱が集まってくるのがわかる。鷹雪くんも一緒に赤に染まっていく。
ふと目が合えば、そっと抱き寄せられて。あたたかい手に背中を撫でられる。
きっと、照れ隠し。
いつの間にか胸のずきずきもちくちくも消えていて。
ああ、鷹雪くんは私が喜ぶことを、安心することをよく知っている。
それなのに私は鷹雪くんがなにをすれば喜ぶのか、安心するのか、怒るのか、悲しむのか全然知らないのが悔しくて。
これからたくさん知っていけばいいのかな。たくさん教えてね、私の大好きな旦那さん。
お互いの熱が冷めたころ、ゆっくりと身体が離れて。
「今日は一緒に風呂入ろ」
少し、迷ったふりをして。それから頷く。――仲直りの時間のはじまりだ。
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不器用恋愛