或る火曜日のお話(3/3)





 彼はなにを怒っているのか。

 夕ごはんを食べ終えてもその答えはわからず、リビングでくつろぐ彼の腕をそっと抱きしめた。

 いつもはほほ笑んで、それからキスをしてくれる。

 でも今日は、ちらりと私を見るだけ。
 ずきりずきり、ちくりちくり。胸が痛む。



「……たかくん、」

「……」

「ごめんね」

「なにが」

「……えっと。なにか」

「……無防備すぎる」

「え?」

「あの人は同僚で下心もなんもないかもしれないけど、でも男だよ。もっと警戒してください」



 眼鏡の奥の、緑色の瞳。いつもはやさしいのに、やはり今日は怒っているみたい。



「なんのこと?」

「砂場で話してた先生。ずいぶん仲よさげでしたね」

「もしかして……」

「そうだよ、嫉妬だよ。ジェラシーだよ。気持ち悪いよ!」



 力強い口づけを受ける。食べられてしまう――そんな錯覚。

 唇が重なるだけ、それだけなのに。どうしてこんなにも違う味がするのだろう。苦い味。それでも、愛情が詰まっているように感じた。

 唇が離れ、わずか見つめ合う。そっと唇に触れてみれば熱くて、とくとくと脈打っている。

 力強くはあったけれど、いつもの、やさしい鷹雪くんの、キスだった。



「……気持ち悪くなんかないよ」

「……」

「ヤキモチ、嬉しい。可愛いね」

「……これからは気をつけてくれますか」

「はい。気をつけます」



 彼が白い歯を見せてニカッと笑ってくれる。

 この瞬間が、好き。



「なに話してたの?」

「あ、たかくんのこと、『どなたですか』って――それで、あのね、『旦那さんです』っていっただけで」

「――!」



 今度は優しいキス。

 それからぎゅっと抱き着かれて。薄く汗をかいているようで、彼の安心する匂いがする。



「でも鷹雪くんだって。お母さん方とか、女の子たちとすごく親しそうにしてて……私もね、実は、ちょっと、むっとしてた」

「え、うそ、いや俺は全然全然!浮気とか、そんなの全然!」

「……ゆるさない」



 口ではそんなことをいっておきながら、彼の肩口でふふふと笑った。

 慌てて身体を離され、不安そうな瞳。目を白黒とさせている。

 彼のこんな顔を見るのはとても久しぶりのような気がする。

 いつものお返しだよ。



「なんてね」

「あ〜、ごめん……」

「鷹雪くん、すてきな人だから。人が集まってくるのわかるよ。でも、私以外のひと、素敵とか思ったら、かなしい、な」

「……思わないよー。ずっと亜子がいちばんだから」



 ――あ、そんなこというの、ずるい。

 顔に熱が集まってくるのがわかる。鷹雪くんも一緒に赤に染まっていく。

 ふと目が合えば、そっと抱き寄せられて。あたたかい手に背中を撫でられる。

 きっと、照れ隠し。

 いつの間にか胸のずきずきもちくちくも消えていて。

 ああ、鷹雪くんは私が喜ぶことを、安心することをよく知っている。

 それなのに私は鷹雪くんがなにをすれば喜ぶのか、安心するのか、怒るのか、悲しむのか全然知らないのが悔しくて。

 これからたくさん知っていけばいいのかな。たくさん教えてね、私の大好きな旦那さん。


 お互いの熱が冷めたころ、ゆっくりと身体が離れて。



「今日は一緒に風呂入ろ」



 少し、迷ったふりをして。それから頷く。――仲直りの時間のはじまりだ。


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