nostalgia

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眩暈がするほど甘い赤を滴らせ


そっと彼の血色の悪い唇にキスを落とした。彼はぴくりとも反応しない。それは当然のことだ。だってわたしが彼を殺したんだもの。

恋人の腹に刺さる、彼の命を奪った血濡れた小ぶりのナイフ。わたしはあれで、彼の腹を二回刺した。


好きな女が出来たから別れてほしい。その宣言をされることを以前から薄々感じていたわたしは頷いた。けれど最後に一度だけ抱きしめて欲しいと言って。

まるで気のない抱擁だった。義務感しか感じられない味気ない腕。せめて、たった一瞬でも、わたしへの愛の亡骸でもいい、それを伝えてくれたなら、殺しはしなかったのに。

これでいいだろうと、いかにも面倒くさそうに彼が緩くため息をついて離れようとしたときに、わたしは懐から凶器を取り出した。思い切りそれを突き刺す。

信じられないとでも言いたげに目を見開いてわたしを見つめた彼と、じわじわと美しい赤に侵食されていく白いシャツ。
ナイフを全力で引き抜けば、彼は血を撒き散らして倒れこんだ。そのスローモーションの、映画のような一瞬が目に焼き付いて離れない。

しゃがみ込み、倒れた恋人に微笑みかければ、彼は怯えきったように顔を歪め荒い息をしていた。


「ねーえ、こーちゃん。わたしを、愛してる?」

「………っして、る、あい、し、てる、から…………!!」

「そっか、良かった」


脂汗を滲ませ、命乞いをしようと彼は愛していると嘘をつく。必死に刺された苦痛と闘いながらわたしに愛していると伝える彼は、ひどく滑稽で愛おしかった。

それは、貴方の最後の言葉となるの。貴方はわたしに愛を騙って、それは永遠に刻み込まれるのよ。

自分にできる最高の笑顔を彼に見せると、わたしは両手でナイフを構えて振り上げた。彼の顔が恐怖に染まり、少しでも逃げようと足掻く。

「ねえ、こーちゃん」そんな彼に優しく囁きかけた。「わたしも、こーちゃんを、愛しているわ」

永遠に。その言葉と共に、ナイフは振り落とされた。再び刃が肉を突き破る感触が伝わり、少しの間彼は口をパクパクと動かしたあと、今度こそ絶命した。

白い床に流れる、彼の赤。つい先程まで、彼の体内を巡り、彼を生かしていた、血。

嗚呼、なんて勿体ないの。そっとそのくらくら眩暈がするほどに鮮やかな赤い水溜りに指を浸し、指から滴る液体を舐め取った。鉄臭いはずの血は、愛しい人のものだからか、妙に甘ったるい。

夢中になってそれを味わい、そしてふと死体へと目を向けて気付く。彼はどんな味がするだろう。
血液だけでこんなに美味しいんだもの。きっと彼の身体も絶品に違いない。

考えただけでもじわりと口内に唾液が溜まる。嗚呼、是非食べてみたい!彼の身体はどんな味がするのかしら。シチューみたいにことこと煮込んだら美味しいだろうに。


「――そうだ、そうだわ。どうして、思い付かなかったんだろう!」


ぱん!と両手を打ち合わせて音を鳴らす。食べてしまえばいいんだ、彼を。

トロトロに煮込んだ彼の肉を咀嚼して、嚥下し、そしてわたしの中でドロドロに溶かして吸収するの。そうしたら、わたしたちは永遠に一緒だ。

浮かんだグッドアイデアに口元は思わず緩む。最後に彼を抱き締めた。冷たい身体は固い。


「愛してるわ、こーちゃん。永遠に一緒よ」



――恋人を殺してその肉をシチューにして食べたと、知人の女性が逮捕された。けれど精神を病んでいるとして無罪。どうやら今は入院しているらしい。

それ以降のことはニュースにならないのでよく判らないが、彼女はどうやら、彼以外の食べ物など要らないと、食事を拒否していると風の噂に聞いた。

彼女にカニバリズムをするような異常性癖があるだなんて、知らなかったけれど。

…それは、愛だったのか、それとも、彼を自分のものにしたいという執着心とエゴの結果だったのか。そのことすらもう、判らない。


眩暈がするほど甘い赤を滴らせ
愛しい貴方をわたしの中で永遠に


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