***
 
 
「どうぞ」
「うん、」
 
 
開かれた扉から自室へと入る。
ふわりと香るのは開け放たれた窓から入る潮風だ。
ぱたり。
後ろで扉が閉まる音がして。
振り返ろうとした途端に、腰に回された腕が私を後ろへと引き寄せた。
 

「……ローニカ?」
「……無礼を、お許し下さい」
 
 
触れるか触れないかの距離。
背中に仄かな体温を感じて、こんな時でも侍従である身分を捨てないローニカ。
そのローニカが回した両腕が、彼の心中を表していた。
 
 
「申し訳ありません、レハト様」
「……ローニカが謝ることじゃないよ」
「いいえレハト様、いくらレハト様がお赦しになろうとも、私は自分を許すことができません」
 
 
頭上から響く声。
先程私を問い詰めた男の声とは全く違う、気遣いや、思い遣りや。
心の底からの優しさから出された声は自然に耳に馴染む。
その奥に巨大な後悔の存在を感じて、腰に回る腕にそっと両手を重ねた。
 
 
「私が、ローニカの忠告を聞かずに密室で二人っきりになるのを選んだんだもの。悪いのは私だ」
「いいえ、いいえレハト様」
 
 
両腕を撫でながら言うと、更に力が込められて、今度ははっきりと背中に彼の体温を感じる。
 
 
「私が許せないのは、それだけではないのです」
「え、」
「私は、私は」
 
 
ぎゅうと苦しいくらいの力で抱きしめられる。
私を包む微かな香りに、やっぱりローニカは公爵とは違う。
そうどこか冷静な頭で思っていた。
 
 
「私は、あの時、あの光景に憤っただけではなく、」
「……」
「嫉妬をしていたのです、レハト様」
 
 
心の奥のほうから無理やり絞り出したような声でそう言って。
腕に込められた力が少しだけ緩んだ。
 
 
「……嫉妬?」
「ええ、嫉妬です。私は確かにあの時嫉妬していた」
 
 
そっと腕が放されて、ローニカの手が私の両手を握る。
 
 
「貴女の肌に触れた彼に、私は嫉妬したのです」
 
 
囁くように、ローニカが言った。
深く息を吸う音がして、ローニカはまた口を開く。
 
 
「こんなこと、思ってはならないことです。侍従である私が、貴女に触れたいなどと、思ってはならない!」
 
 
勢いよく手が離されて、思わず振り返ると、ローニカは既に私に背中を向けていた。
 
 
「ローニカ、」
「申し訳ありませんレハト様、今夜はもう下がらせて頂きたく」
「ローニカ!」
 
 
言いながら扉へ向かう背中に。
駈け出して、しがみついた。
 
 
「っレハト様」
「ローニカ、ローニカは忘れてしまったの」
「……何を、」
 
 
回しきれない腕の中の体が強張って、ローニカの戸惑いを感じる。
押しつけた頬から彼の背中の厚さを感じながら、尚も言葉を続けた。
 
 
「あの日のこと。最後の日私が何を言ったか」
「……」
「『好きだ』って、『ローニカとずっと一緒に居たい』って言ったよね」
「レハト様」
 
 
さっきとは真逆になった私とローニカの立場。
まるで再現するかのように、私の腕にローニカの手のひらが乗せられる。
 
 
「私は思ってほしい。いくらでも。触れたいって」
「……いけませんレハト様」
「いけなくない」
 
 
腕に力を込める。心も体も、逃がさないように。
 
 
「私は、ローニカになら何されたって構わない」
「……」
 
 
背中に、流しこむように言った言葉。
両手が再びローニカの掌に包まれて、幾度も肉刺が潰れて硬くなった皮膚を感じる。
たくさんのものを守った手だ。
握り返すと、壊れ物を扱うようにさらに握り返される。
 

「レハト様、主人である貴女が、侍従である私にそのようなことは言ってはなりません」 
  
 
落ち着いた声とともに、右の手がふわりと持ち上げられる。
背中が動いて、ローニカが少しだけ背中を丸めたのがわかった。
 
 
「もう一たび、無礼をお許し下さい」
「っ、」
 
 
持ち上げられた手の甲に当たる、低い体温。
すこし乾いた感触と共に、小さく音が鳴った。
 
 
「私が貴女に何をしたいと思っているのか。それを知ったら貴女はきっと私を軽蔑する」
 
 
 握っていた手をほどき、大きな身体がこちらへと振り向く。
見上げたローニカの表情は、先ほどとは違う穏やかないつものそれに戻っていた。  
 
 
「さあ、サニャを呼びます。そのドレスはもう捨ててしまいましょう、嫌なことは忘れたほうが良い」
 
 
両肩に大きな掌が乗る。私を傷つけないように、そっと。
ローニカは私の肩に掛けた上着を取り去ってから、柔らかな笑みを口元に浮かべた。
 
 
「服をお着替えになられましたら、今日はもうお休みになるのがよろしいかと」
 
 
再び肩に乗せられた手が動き、騒動の間にすっかり崩れた私の髪に触れる。
ローニカは金の巻き毛を一度だけ指に絡めて、そしてすぐに離した。
 
 
「朝になったら、何もかもが済んでおりましょう。レハト様が思い煩うようなことは、何もかも」
 
 
私の目を覗き込んだローニカの瞳は、昏い炎を抱いていた。
 

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