右手にナイフ、左手にフォーク。
背筋は曲げない。スープを飲むときは音を立てない。
全部、今私の背中、右斜め後ろを守っている侍従に教わったことだ。
 
無意識に動きを止めた私に声が掛かる。
 

「レハト様、何か食事に問題でも御座いましたでしょうか」
「ううん、なんでもないの。大丈夫」
 

慌てて返事をすると、ならよろしいのですが、と深みのある落ち着いた声が帰ってくる。
ほっと息をつき、小さく切った白身魚の煮物を口に運ぶ。
よく煮込まれたそれは私の口の中でほろほろと崩れた。
 
 
ローニカ・ベル=ハラド。
私を村まで迎えに来たあの日から、ずっと傍に居る人。
表向きは単なる侍従だけれど、本当は見えない所で私をいつも守ってくれている。
それは、王の継承権を放棄した今でも変わらない。
 
食事を終えて、広間から出た。
昼下がりの日光はガラス越しでも少し強く、私の首筋をじりじりと照らす。
眩しさに思わず目を細めると、す、と人影が私の左隣りへと並んだ。
影の正体はローニカで、彼が隣りへ来たことで眩しさが無くなったことに気付く。
お礼を言おうかとも思ったが、当の本人は素知らぬ顔で前だけを見ている。
きっと気づいていないのだろう、こういったさり気無い優しさに、私がいちいち胸を高鳴らせていることなんて。
自然と恨めし気になる視線を彼の横顔から剥がし、脚を進めた。
 
ローニカ・ベル=ハラド。
彼は侍従でもあり、護衛でもあり。
そして、私の想い人でもある。
 
 
今から約3年前。私がこの城にやってきた年。
見知らぬ土地に見知らぬ人々。
全てにおびえていた私にとって、いつも隣にいたローニカはまるで道を示す導のような存在だった。
何をするにも、どこに行くにも彼の服の裾を摘まんでいたあの頃。
今思い返せばとんでもなく鬱陶しい存在であっただろうに。
ローニカは嫌な顔一つせず私の世話を焼いてくれた。
そんな彼の優しさに私はどんどん惹かれて行って。
遂には、恋心まで抱くようになっていった。
 
 
「今日の予定はドレスの試着のみですから、その後はお好きなようにお過ごし下さい」
「ローニカも一緒に?」
「ええ、もちろん」
 
 
やった、思わずにやけながら言うと隣を歩くローニカも柔らかく笑みを浮かべる。
 
選定式の前日。
私はローニカに会いに行って、想いを告げた。
真面目な彼のことだ、応えてくれる可能性なんて零に等しいことくらいわかっていた。
それでも、胸一杯に詰まった想いをどうしても伝えたかったから。
結果として彼は私の想いに応えてはくれなかった。
ただ、最期まで側に居ると。そう言った。
あの時の私はただただ夢中で。
リリアノが城を出ると知ったときから、彼も居なくなってしまうのではないかという不安だけが頭の中にあって。
同じ想いでなくてもよかった。ローニカを引きとめることができるのなら。
だから頷いたのだ。それで充分だと。
そしてそのおかげで彼は今も私の傍にいる。
変わらずに、ただ静かに私を守っている。そう、「変わらずに」。
 
想いを告げたあの日から、私たちの間には何の変化も訪れていない。
 
 
「レハト様!」
「あ……」
 
 
衣裳部屋の前。
扉の横に壁に寄り掛かるようにして立っていた人物は、微笑みながら私の名を呼んだ。
 

「ハティナ公爵様、レハト様になにか御用事でも」
「素晴らしい細工の布が手に入ったのでぜひレハト様にと持ってきたところだったのです。まさかこうしてお会いできるなんて」
 
 
幸運な偶然を授けてくださったアネキウス様にお礼を申し上げねば。
満面の笑みを浮かべた男性は、まるでローニカなど目にも映っていないような様子で私に近づいてきた。
その様子にローニカはほんの少し眉を顰める。
 
ハティナ公爵。
私がこの城に残ることになりすでに2年が経過した。
気づけば「麗人」と称されるようになっていて、舞踏会にも毎回駆り出されるようになって。
そのうち自然と親しい貴族が出来た。
その中でも初めのころから特に親しく接してきた人物がこのハティナ公爵だった。
 
 
「もちろん今月の舞踏会もいらっしゃるんでしょうな」
「え、ええ、そのつもりです」
「それは良かった! 今日献上した布はレハト様によくお似合いになるはずです。ぜひあの布で作ったドレスを着て来ていただきたい」
「で、ですが」
 
 
今月の舞踏会用のドレスは先日話し合って既に形やら布は決まっていて。
今日はその寸法を図るために来たのだ。
困り果てて隣を見上げると、優しげな瞳が小さく頷いた。
 
 
「……わかりました」
「それは楽しみだ!今から舞踏会が待ち遠しい。では、私はお暇させていただきます」
 

『偶然』などとは言っていたが、本来の要件はこれだったのだろう。
私が頷いたのを確認した公爵は満足げに笑って立ち去って行った。
 
 
「あれで良かったの」
「ハティナ様はまだ年若いとはいえ公爵の位をお継ぎになられた方です。ここで断るのは賢い選択とは言えないかと」
「でも、今作っているドレスはどうするの」
「それはまた次回の舞踏会に回しましょう。一度着ていけば公爵も満足なさるでしょうから」
 

にこりと余裕に満ちた笑みでそう言われると、何もかもがうまくいくような気持ちになるから不思議だ。
さあ。
穏やかな声と共に開かれた扉に身を潜らせた。
 
 
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