■やわらかな傷跡 “野球に出会えて本当に良かった。――――――――” 少女は原稿用紙の上に鉛筆をコロンと放り投げる。 夏休みの作文を書き終えて、ふうっ、と深い息をついた。 やっと最後に残っていた宿題を終えたというのに、心は晴れずに顔は憂鬱なままの表情を浮かべている。 この作文に書いたそれと同じくらい、…もしかしたらそれ以上な感情。 それが頭の中をずっと渦巻いているのだった。 -------------------------- “本田に出会えて良かった。” 誰にも言えないこの気持ち。 この夏の合宿で気づいたことがあった。 (あたしは、あいつが好きなんだ…。) しかし気づいたと同時に失恋決定だった。 本田には、すでに好きな子がいることも同時に知ってしまった。 (あの子、美人だったなあ…) 例の女の子はアメリカ帰りのお嬢様で、三編みに束ねた綺麗な長い髪をしていた。 そしてなにより、名門横浜リトルのピッチャーをやるくらいに野球の上手な子だった。 ガサツで男の子みたいな性格、運動神経もないあたしとは比べようもないくらい完璧な子だな、なんて思った。 (…神様は不公平だ。) これでも、今まであたしはあたしなりに努力してきたつもりだった。 野球を始める為に髪を短く切って、やれる練習は全部やった。 ひとりで特訓もしたり、野球の本を端から端まで読んで勉強だってしたんだ。 それでも、いまだにライトのポジションですら満足にできやしない。 外野フライなんて、1度だって取れたことがないんだ。 (本田にだって、馬鹿にされっぱなしで…。) -------------------------- さっきからグチばかりが浮かんでしまう、卑屈な自分自身に薫は腹がたった。 こんな自分は大嫌いだった。 あの合宿から帰ってきて以来、自分の嫌な部分ばかりが見えてきてげんなりしている。 明日は夏休み最後の練習の日だがこんな嫌な気持ちのままで練習に出れないし、何よりも今は吾郎に会いたくないと思っていた。 グラウンドへ行けば、きっといつものあの軽口が待っている。 『清水。お前、本当に運動音痴だなあ?』 もちろん、本気で人を傷つけようとしてるんじゃないのはわかっていた。 単に口が悪いだけで、根が優しい奴であることは薫が一番良く知っていることだ。 でも今だけはどうしても聞きたくない言葉だった。 好きな人からであれば、尚更だ。 そんな事を思いながら薫は部屋を出て、そのまま友達に電話をかける。 「結花ちゃん?あたし、薫。あのさ、明日もしヒマだったら…一緒に遊園地に行かない?」 その日、初めて嘘をついてリトルの練習を休んだ。 9巻「合宿最終日」と「ヤメタ!」の間あたり。 スーパーウーマン涼子ちゃんに対してコンプレックス強い薫が書きたかったんですが、まったくオチがなくてすみません。 コチラ「夏の日、残像」とセットで読んでもらえるとありがたいです… |