もう一つの用事…、そう言って見越の入道は八千重をジ、と見つめた。

「……用事って、もしかして私に「ちょっと待って下さい。入道様、皮衣様はなんと仰ったんですか? あの御方だと?」……」

仁吉が八千重の言葉を遮り、何やら強い口調で入道に問う。
八千重はそんな仁吉の様子に内心首を傾げる。

(何故、仁吉さんはこんなに戸惑っているんだろう……あの御方って、誰?)

「……白沢、犬神、お前さん達はどう思う?」
「「は?」」

仁吉の問いには答えず、入道は問い返した。

「皮衣殿にはの、一度も会っていない自分より、傍に居るお前達の方がその身で感じているのではないかと言わしゃった。妖だ、人だとかいうは別として、お前さん達の魂は何と言っておる?」

手代達は顔を見合わせる。
それから佐助はやおら八千重を見て、柔らかく笑むと入道に向き直った。

「私は、あの御方の存在を感じます。魂が惹かれるのです」
「……白沢、主は?」

キッパリと言い切った佐助と反して、仁吉は煮え切らない様子だった。
八千重と一太郎は三人の話について行けず、顔を見合わせて首を傾げる。

(私に関係がある話なんだろうなとは三人の態度から察しがつくんだけど……でも、なんの話なのかサッパリわからない)

仁吉は八千重をジ、と見つめる。
思い返すのは、今までの八千重の言動、所作。

「あの御方は大妖の中の大妖……そんな筈あるわけありません。だが、魂は……私の魂が何と言っているのかと問われるならば…」

仁吉の目が愛おしむように細まる。
八千重は、ドキリと胸が揺れたが直ぐに見つめられているのに、そうではないと感じた。

「是。焦がれる様に叫んでいますよ」

(仁吉さんは、私を通して誰か別の人を見ているみたい……とても優しい目…だけど、悲しそうでもある)

そう感じた八千重の胸がキュ、と軋んだ。
ほんの少し、心が淀み、胸の辺りにもやもやとした違和感。
その感情の正体を八千重は知らず、また何故こんな感覚になるのかも分からない。
恋をしたことも無ければ、今まで旅をしていた為にあまり深く人と接する事も無かった八千重は、人間なら誰でも持っている暗い感情を知らない子供同然だった。

「お前は顔に似合わず一途よの」
「僭越ながら、入道様は一言余計です」

楽しそうに笑う入道に仁吉はム、としたように顔を歪めた。
だが、至って気にしていないように入道はポンと膝を打つ。

「わしも同意見じゃ。……一つ、昔話をしたいんだが、良いかな? 聞いて感想を聞かせて欲しい」
「……はい」

入道の視線は真っ直ぐに八千重をさしており、八千重は少々戸惑いながらも頷く。
何かしら自分に関わりあることだとは分かっている。
察しているものの、どんな話なのかは予想すら出来ない。
八千重は挑むように、臨むように、グ、と腹に力を入れて背筋を伸ばした。

「どれ程昔になるかのう…今から二千…いや、三千年は昔になるか…聞いた話なんで詳しくは儂も解らんが、一人の妖がおった」

その妖は悪戯が好きで、悪さをしては人々が苦しむ姿や悲しむ姿を見て楽しんでいた。
その行為は段々と悪戯と呼べる可愛いらしいものではなくなり、辛辣に人々を苦しめるまでになった。
さすがの人間達も怒り、妖を退治して貰おうと、妖退治で有名な僧に依頼をした。
僧は優男で、柔和な顔をしていて、とても負ける気がしなかった妖は、油断して簡単に僧に捕まってしまった。
捕まった妖は、周りを囲む人間達の様子に死を覚悟した。

「死をって……その妖はそんなに酷い事をしたんですか?」

一緒に話を聞いていた一太郎が険しい顔で問う。
自分の周りの妖達を思い返してみても、殺されるまでの悪戯をする妖はいないと思ったのだ。
例の成りそこないだって、不運が重なった末の凶行であって、元の付喪神は一太郎の周りを見ても、あまり力のない大人しい妖だ。

「何をしたかまでは聞いておらんから何とも言えんが……若気の至りだと笑っておった」
「「……………」」

言って軽快に笑う入道とは違い、八千重と一太郎は押し黙ったままだった。

(殺される程の若気の至りって……)

推し量ることも出来ず、八千重は顔を引き攣らせた。

(色んな意味で凄い妖だなぁ)

だが、そう思うと自然と笑みが零れたので不思議だ。

「ですが、若気の至りだと言っていたということは、殺されなかったのですね?」

一太郎が話を元に戻した。
入道は頷く。

「左様、妖は助かった。驚いた事に、僧が依頼人達を説き伏せ、妖を巻物に封じるでもなく、解放した」

妖はそれはそれは驚いた。
そしてそれは、僧へ対する興味に変わり、やがて……思慕の情になった。

「妖は、自分を助けた僧に恋をした」

だが、その恋は叶わなかった。
僧は程なくして流行り病で死んだ。

「妖は哀しんだ。それこそ、見ている周りの者達が心を痛める程、深く、深く哀しんだ」

妖は、己が何故人の身でないのか、僧が何故妖の身でないのか思い、人に焦がれるようになった。

「妖が、人に成りたいと?」
「……僧が妖に成れぬなら、自分が人に、と思ったのだろう」
「そんな事出来るんですか?」

素朴な疑問だった。
八千重の問いの答えは、前からではなく後ろから聞こえた。

「真実分かりません。人が妖…鬼と化すという話は聞いた事がありますが、妖が人になるという話は聞いた事がありません。ですが、それは私が知らないだけかもしれませんから」

仁吉がそう眉を歪めて言った。

「その妖は、その当時、齢優に五千年を越える大妖だった。だが、そんな大妖でも人に成ることは出来ず、方法すらも分からなかった」

だから妖は待つことにした。
愛しい僧が、また生まれ変わってこの世に生を受ける日を。
妖は日ノ本中を旅しながら僧の生まれ変わりを探して回った。
何年も、何十年も…ひたすらに旅をして待った。

「でも、分かるんでしょうか?」
「ん?」
「妖は、生まれ変わった僧が分かるんでしょうか?」

同じ姿をしているわけでもない。
同じ性格をしているわけでもない。
ましてや、同じ性別かも分からない。
目印があるわけでもない。
僧に前世の記憶があるとも思えない。
そんな状況で、果たして想い人を見つけることが出来るのだろうか?

「お千重さんも、無理だと思うでしょう?」
「はい」

仁吉の声は、どこか感情を押し殺した声音だった。

「不思議な事に、妖には分かった」

そして、不思議な事に、妖と接する事で、僧の前世の記憶も徐々にだが甦った。
妖は喜んだ…が、やはりその恋は実らなかった。

「え!」

八千重は驚いた。
そこまでの想いが、伝わらなかっただなんて信じられなかったのだ。

「生まれ変わった僧が選んだのは妖ではなかった。というか、妖が見つけ出した時にはもう生まれ変わった僧には妻と子供が居た」

幸せそうな家庭を壊す事など出来ず、妖は自分の気持ちを押し止め、また僧の来世を待つことにした。
生まれ変わった僧が天命を全うして数十年後、妖はまた愛しい僧の生まれ変わりを見つけ出した。

「だが、またもや妖の恋は実を結ばなかった」
「またですか?」

一太郎が顔を歪める。
段々と妖が可哀相に思えてきた。
それは八千重も同じだった。
入道の話を聞いていて、まるで自分の事のように胸が苦しい。

「幼くして、事故で亡くなってしまった」

それから、また妖は待った。
時には百数年、時には数十年、待ち続けた。
だが、一度として妖の想いが叶う事はなかった。

「一度も?」
「そう、一度も相思相愛には成れなんだ」

八千重の鼻がツンと熱くなり、涙が零れた。

(胸が裂ける様に苦しい……っ)

八千重はギュッと胸の前で手を握りしめた。
ソッと背中に温もりを感じ、顔を上げれば、一太郎が心配そうな顔で八千重を見つめていた。
先程自分が一太郎にしたことを思い出し、一太郎の優しさを感じて、ふと気持ちが軽くなったようだった。
涙を指で拭い、押し潰されそうな胸を落ち着けながら、八千重は気になった疑問を入道に問う。

「……その妖は、死んでしまったんですか?」

八千重の問いに、入道は困った様な顔で返した。

「入道様?」

曖昧な答えに、八千重は首を傾げる。

「その妖はわしの旧くからの友人でもあるんだが……プツリと連絡が途絶えた」

ある時を境に、全く消息が掴めなくなった。
実の妹の様に可愛がっていた妖の元にも連絡は無く、知人の妖を総動員させたが見つけ出すことが出来ず、現在に至っている。

(………ていうかさ)

八千重はそこでふと思いつき眉を寄せる。

(この話の、どこら辺が私に関係ある話なんだろう?)

解せない様子の八千重に、入道は笑う。

「その妖の名を言うておらんかったの……八千重」
「はい?」

突然入道に名を呼ばれて、八千重は反射的に返事を返した。
だが、入道はおかしそうに笑って首を左右にゆっくりと振る。

「お前さんを呼んだのではない。妖の名が『八千重』だよ」
「……………え?」

(八千重って、私と同じ名前…?)

驚く八千重に、入道は更に驚く言葉を述べた。

「名前だけではない。お前さんは、その妖と瓜二つのように似ておるのだ」
「えぇ??」