八千重は目をパチクリさせた。

「そ、それってどういう事? 行方不明になった妖とお千重ちゃんが、同じ名で、同じ顔……ってことは、まさかお千重ちゃんがその妖だってことですか!?」

一太郎が入道に問えば、入道は何とも表情の掴めない顔で、ただ八千重の様子を窺っていて、一太郎の問いには応えてくれなかった。
そこで一太郎は、背後の手代達を見やる。
だが、二人も八千重をじっと見つめているだけだった。
一太郎は、視線を隣で驚いた顔のまま固まっている八千重に戻した。
その場を暫し、沈黙が牛耳る。
その間、四人の視線を一身に浴びながらもそれに気付かず、八千重は考えていた。
入道に言われて頭に浮かんだ事があったからだ。
それは、父、開次から聞いたある話だった。

(もしかして、おとっつぁんが言ってたあの人が…?)

だが、ずっと自問していても、答が湧いて出るわけがない。
八千重はキュ、と唇を引き結ぶと入道を見た。

「入道様の話を聞いて、私にも一つ、思いあたる話がございます。話しても宜しいでしょうか?」

息を呑む音が聞こえたが、その人物を特定することは出来なかった。
見越の入道は、片眉を上げ、興味深そうに表情を変えると無言で頷いた。

「若だんなには話しましたが…父と母、そして私の、恩人の話です」

そ、と八千重は話し始めた。
開次から聞いた…自分が母の腹の中にいた時、死にそうになった事。
それを助けてくれた女人がいたこと。
その女人が、父を『命の恩人』だと言っていたこと。
その人の名が、『八千重』ということ。
そして、自分はその人と同じ名が付けられたということ。
さらに、最近父から、自分が母ではなく、その人にとても良く似ていると言われたこと。

八千重が話している間、誰も口を挟まなかった。
全て話し終えて、八千重は窺うように入道を見る。

「私には、私と母の命を救って下さった八千重さんが、入道様の仰る『妖』なのではないかと思えるのですが……」
「…………成程。それで合点がいく」

見越の入道は感慨深げに頷く。

「推測だが、おおよその見当がついたわ」

ヤレヤレ、と息を吐く。
誰もが入道の次の言葉を待っていたが、入道にその素振りはない。

「「入道様っ」」

業を煮やした仁吉と佐助が揃って口を開くと、入道はおかしそうに笑った。

「お前達は、相変わらずだの。九尾殿の話になると冷静ではいられなくなるらしい」
「「…っ………」」

八千重と一太郎は、何やら狼狽える手代二人を見て驚く。

「お千重殿の父君だという開次殿が慈安殿だったのだろう。彼を見つけ出した時、奥方とその稚児が危篤と知り、助けた。病を操ることの出来る九尾殿だ、やってのけたに違いない」
「……確かに八千重様は病を操れました。けれど、危篤の者を救うとあれば、いくら八千重様でもただでは済まなかったのでは?」

佐助の言葉に、入道は顎を摩りながら頷く。

「うむ、おそらくな…九尾殿の身に、その時に何かが起こったのではないかと思う」
「何か、とは?」

佐助の顔が険しくなる。

「入道様っ」

仁吉も端正な顔を険しく歪め、入道に躙り寄る。
だが入道は何も言わず、顎を摩って思案気にしている。
八千重と一太郎は、何やら緊迫している雰囲気と話について行けずに顔を見合わせる。

(慈安って誰? おとっつぁんが慈安ってどういうこと? 九尾って誰? 病を操るって……もう、話についていけないよ!)

八千重の頭がこんがらがってきた時、入道が口を開いた。

「サッパリ解らん!」
「「は?」」
「「え?」」

仁吉と佐助、八千重と一太郎の声が揃った。

「だが、お千重殿と九尾殿が関係あると言う事は分かった。お千重殿は九尾殿が愛して止まない慈安殿の生まれ変わりの娘だったのだからの」
「え?」

入道の言葉に、八千重の先程の疑問は全て解けた。

「九尾って、じゃあその妖は…八千重さんって人の、本性なんですか?」
「そうです。八千重様の本性は、九つの尾を持つ金色の毛並みの妖狐…九尾の狐様です」

佐助が頷き、説明してくれた。

「私が以前、貴女の様な能力を持つ人を知っていると言った御方が八千重様だったのです。八千重様は、病を操る事が出来たのですよ」
「そう、だったんですか…」
「じゃあ、『慈安』っていうのがお坊さんの名なのかい?」

次いでの一太郎の問いには入道が答えた。

「うむ。―――ところで、今の犬神の話だと、もしやお千重殿も病を操る事が出来ると?」
「い、いいえ! 操るだなんて…っ。私に出来るのは、病や怪我を自分に移し替えるだけで…」
「―――そうか…」

入道の目が、スゥッと細められた。

「…何がどうなってそうなったのかはサッパリ解らんが……どうやら、お千重殿と九尾殿は融合したのではないかと思う」
「ゆ、融合?」
「それか、九尾殿が胎児に寄生したか…」
「き、寄生?」
「だが、意識は九尾殿ではなくお千重殿の物だから、やはり融合したと考えるのが正しいかの」
「え、えぇ?」

八千重は何が何やら混乱して解らなくなってしまった。

「そ、それってどういうこと? お千重ちゃんは妖なの?」
「いいえ、お千重さんは人です。間違いありません」
「何らかの理由で、九尾殿とお千重殿の魂が混ざり合った…そう考えれば、全てに合点がいくというものだ」

瓜二つの顔も、病を操る能力も、仁吉と佐助を惹きつけるのも、全て納得できる。
各々がそう言った入道の言葉に考えを巡らせている中で、入道がさて、とその場を執り成すように口火を切った。

「そのうちに九尾殿に何が起こったのかも知れることだろう。それより…」

そのまま口を噤んだ入道に自然と視線を向けた八千重は目を丸くした。
見越の入道の姿が大きく膨らみ出したのだ。
にやりと笑っている入道の顔は姿を超えて拡がり、体の線は曖昧になり、床の上を走り天井を覆って、部屋は薄暗くなっていく。
一太郎と八千重が目を丸くしている中で、入道は突拍子もなく大きくなって、もう顔は疎か手も足も定かではないのに、ニヤニヤ笑いだけがはっきりと残って、八千重と一太郎に纏わりつく。

「成りそこないの付喪神をどう対処するか…、お手並み拝見といこう」

やがて薄い黒い幕のごときになった見越の入道は、渦を巻いて部屋の空を回っている。
入道の起こす風に髪を揺らす八千重は、不安になり思わず一太郎の着物の袖を掴む。

「?」

一太郎がそれに気付いて八千重を見るが、無意識の行動らしく、八千重はただただ天井を見つめていた。
一太郎が視線を八千重から天井に移すと、離れに拡がっていた妖の幕は一層薄くなり、やがてどこまでも拡がり、その気配ごと消えてしまった。

「では、またの」

姿もないまま明るい声が天井から聞こえると、最後にかすかな笑いだけを一瞬見せて、見越の入道は帰って行った。
入道の渦に巻き込まれた格好の四人は、離れに尻餅をついた姿で残されていた。

「相変わらず、あのお方は凄まじい……」
「もうっ、いつもいつも入道ったら………!っ」

吐き出すように言った佐助に続いて、八千重がポツリと呟き、それに気付いてハッと口を手で塞いだ。

(わ、私…今、一体何を―――…)

「……お千重さん、やはり貴女は…」

佐助の言葉を遮り、八千重は立ち上がる。

「ごめんなさい…あの…私、今日は疲れたので部屋で休みます」

言うが早いか、八千重は逃げるように一太郎の部屋から出て行った。

「えっ、ちょいとお待ちよお千重ちゃ……行っちゃった」

驚いて呼び止める一太郎の声も振りほどき、八千重はパタパタと離れを去って行った。
一太郎は佐助と仁吉に視線をやる。
仁吉も佐助も八千重が去った方をどこか物憂いな様子で見つめていた。

「……二人は、お千重ちゃんに初めて会った時から、お千重ちゃんが八千重さんなんじゃないかって思っていたのかい?」
「…いいえ。最初はあまりにもそっくりなので驚きましたが、お千重さんは人に間違いありませんでしたので、私は、八千重様とは別人だと考えていました」

一太郎の問いに仁吉が、ゆっくりと告げる。

「私も、仁吉と同じです。…ですが、お千重さんと接していくにつれて、お千重さんの中に八千重様の面影が垣間見えて……二人で相談して、皮衣様なら何かご存知かも知れないと思い、お伺いをたてました」

続いて佐助が述べれば、一太郎はうんと頷く。

「そうかい……だけど、入道様が仰っていた通りなのだとしたら…お千重ちゃんは―――…大丈夫かな?」

一太郎は、心配そうに呟く。

(私なんぞより、お千重ちゃんの身の上の方がずっと複雑だね…)

一人で悩んで抱えこまなければ良いけれど…と、口の中で呟き、一太郎は息を吐いた。
それから、これからの事を考えだす。
自分の事、成りそこないの事、八千重の事……一体自分に何が出来るのだろうか。