妖達の仕事は、とても迅速だった。

「大工道具の行方、皆わかりましてございます」
「ご苦労様……何とも早いことだね」

頼んでから二日目。
今日は早寝をすると言って、夕餉の後、程なく戸締まりをした離れに、ぞろぞろと妖達が集まってきた。

「うわぁ〜…凄い」

今日はいつもより早く寝ると言うのに、何故か離れに呼ばれた八千重は離れに集まっている妖達に驚いた。
いつも見る鳴家や屏風のぞきだけではなく、美しい童とボロボロの破れ衣を着た坊主、頭上に鈴を付けた者、尾が別れた猫、白髪の老婆、浮かび上がる炎の中に顔がある者等、沢山の妖が若だんなが日中に求めておいた三春屋の菓子を口にほうり込んでいる。
江戸に妖がこんなにいたのかと八千重は目の前の光景にぽかんと口を開けたまま見ていた。
隣に座っている若だんなすら初めて見る顔があるというのだから、もしかしたら江戸中の妖が長崎屋の離れに集まっているのではと思えた。
若だんなはもう朝餉の後に知らせを受けていたらしく、今日はたえとお茶をして話していた八千重は「教えてくれればよかったのに」と唇を尖らす。
ふて腐れた八千重の様子に、一太郎は眉を下げて謝る。

「あの女子が噂に聞いていた若だんなの嫁?」
「いやいや、まだ嫁ではないようだよ」
「若だんなは奥手だの」
「でも、あの様子じゃぁ若だんなは尻に敷かれるね」
「違いない」
「違いない」
「だけども、あの顔を知っているような気がするんだけどねぇ?」
「まあ、蛇骨婆さんもですか?」
「ていうと、鈴彦姫、お前さんもかい?」

妖達が話に花を咲かせていると、仁吉の黒目が針の様に細くなり、妖達は忽ち黙り込んだ。

「おや、急に静かになったね」

静かになった妖達に、話をしていた一太郎と八千重が顔を向ける。
途端に、仁吉は鋭い眼光をいつものものへと戻した。

「喉が渇いたのかな? 皆、お茶を飲む?」
「飲みまするー」
「我も」
「我も」
「私も戴きたいです」
「お千重さん、お茶ならば私が…」
「良いんですよ、仁吉さん。私、やりたいんです。皆と仲良くなりたいし」
「ですが…っ」
「我は茶よりも酒がいいがの」
「お酒があるんで?」
「それなら私も」
「あたしも」
「我も!」

ワッと八千重の周りに集まる妖達に、手代達の顔が険しくなる。

「お前達…」

低い声になった仁吉と、佐助の黒目が細くなる。

「報告もしないお前達に酒など出さん」
「に、仁吉さん、佐助さん!」
「では報告すれば酒を出してくれるんですね」

返事もしないのに、妖達は今度は若だんなの周りに我先にと集まり話しだした。

「わ、一斉に言われても聞き取れないよ。順番に…」

慌てる若だんなの元に駆け付けた仁吉が妖達に睨みを効かせ、その場を仕切り、金槌の一本一本から行き先を確認した。
どうやら妖達は、一太郎が初めに頼んだ時…つまりは長崎屋でぼてふりに襲われた時からずっと、物探しを続けていたらしい。
下手人が捕まえられても、頼まれていたことを止めようとは誰も思わなかったようだ。
一太郎はそれを聞いて、やはり妖達の感覚が人とは違うと思う。
それは八千重も感じた。
大工道具は、細かな釘にいたるまで行き先がわかったが、『何故分けて売ったか?』という疑問の答えを知っていた小道具屋はいなかった。

「店主だって、そんな品だとは思いもしませんからねぇ」

首を振り振り鳴家の一人が答える。
元々一揃いをいっぺんに売りに来る客の方が珍しい。
一つ、二つと道具を売りに来た客を訝しむ者はいなかったのだ。

「理由は分からないままか」
「若だんな、こうして売られた道具が皆揃ったのなら、はなに棟梁が大工道具の中から盗まれた一品が何か分かるんじゃありませんか?」
「うん、若だんなの四つ目の疑問だね」

仁吉に言われて、皆の視線が、部屋の中程に据えられた文机の上の道具の名を書き出した紙に集まった。
八千重が紙を取り上げ、スラスラと読みあげていく。

「鋸、手斧、錐、鑢、木槌、玄翁、釘袋、曲尺、砥石、鉋、鑿…うん、これで全部だよ」
「お前さん、大工道具は読みが難しいってのによくもまあスラスラと……大した女子だの」
「ふふ、ありがとう。野寺坊…だったよね?」

手元を覗き込んでいた破れ衣を着た坊主姿の妖、野寺坊が感心したように言った。

「さて、それじゃぁ消えた道具の名は……」

八千重の手元を見ながら一太郎が言う。
寸の間、部屋には息詰まるような静けさがあった。
だが、一太郎はすぐに笑い出す。

「駄目だよ。私じゃぁ何が足りないのか分かりゃしない。大工がどんな道具を使っているか知らないんだもの。お千重ちゃん、分かるかい?」
「私は一度見せて貰っただけで、詳しくは分からないよ。妖達なら、詳しく知ってるんじゃないかな?」
「それならばあたしが」

そう名乗り出てきたのは、織部の茶器を名乗る付喪神。
小さな人の形を取っていた。

「こう見えても織部焼というのは、千利休の弟子である古田織部様の好みで作られた美濃の古陶器でね。高直なものなんだよ。だからあたしなぞ、それは大切にされたから、年を経てこうして付喪神になれた訳で……」
「講釈はいいから、すぱっと言いねぇ」

焦れた妖から文句が入ると、付喪神は言い返す。

「だから今、説明しているじゃないか。そんな訳で品の良いあたしは骨董屋に行くこともあったんだけどね、そこに、墨壺が時々来ていたよ」
「墨壺?」
「確か、材木に線を引くための道具…だったかな?」

木を細工して墨池をつくり、そこに墨を含ませた綿を入れる。
大人の握り拳二つ分程の道具の片方には糸巻き車があって、そこから繰り出された糸に墨池の墨を含ませ、指で弾いて木材に真っ直ぐな線を引く。
茶器の妖は、便利で格好の良い要具に見えたと言った。

「そう、嬢ちゃんの言う通り。墨壺は他の大工道具と違って、凝った細工をしたものが多いそうで。棟梁ともなれば、使い勝手がいいだけでなく、細工の素敵な墨壺を欲しがるとそいつは言っていました。それで骨董屋でよく見かけたんです」
「墨壺……確かにそれは無かったよね」

紙を見返してみても道具の中に含まれていなかった。
弟子を抱えていた大工の長が、墨壺を持っていなかったとは考え難い。

「となると、棟梁が失くしたのは墨壺に間違いないみたいだね。でもこのことは、今度の一件と関係があるだろうか?」
「今の所、あるとは言えませんね。関わりが見えてこない」

仁吉の言葉は尤もで、せっかく妖に調べてもらったのに、謎解きはとんと進まないということになった。
情けない結果に終わりはしたが、張り切って事に当たってくれた妖のために、約束通り一太郎は礼だと言って酒を出した。
いつの間に用意したのか、手代達が卵焼きに蒲鉾まで出してきて、妖達はご機嫌だ。
本音をいえば、妖達は人が何人か死んでも、あまり興味がないようだった。
若だんながご苦労だったと言ってくれればそれでいいのだ。
一通り酒も回ると、今度の道具探しの自慢話が飛び交い始める。
その中の一人、白髪の老婆の姿をした蛇骨婆が、嬉しそうにぐい飲みの酒を嘗めながら、思い出した事を語っていた。

「そういえば、私が金槌を見付けた店にねぇ、可哀相な墨壺があったよ。そりゃぁ凝った細工で……確か人の手が墨壺を掴んでいる格好の彫り物があったっけね。細かい模様もびっしりとあって、良いものだったに違いないのに、底のところの木が大きく縦に割れていたんだよ。あれじゃぁ道具としては使い物にならないね」
「それなら我も見たぞ。鑿を見付けた質屋にあったんだ。手は左手だったろう?」

野寺坊の言葉に、他からも声が上がる。

「あたしもそれは知ってますよ。ぼてふりから鋸を買い取った店に置いてあったんです」

鳴家の一人が酒を喉に流し込みながら言う。
古ぼけた店に似合わない立派な細工物が安くある。
客が訝しんで理由を聞くと、大きく割れた墨壺の腹を見せたという。

「憐れだったねぇ。あれは職人が魂を込めて作ったものだよ。相当古い道具に見えたから、上手くいけば遠からず、付喪神にもなれたかもしれないのに」
「でも、ああ損なわれてしまっちゃねぇ。とてものこと付喪神にはなれまい」

酒と肴で盛り上がる妖達を見ながら、一太郎は首を傾げている。
八千重は、鈴の付喪神の鈴彦姫に奨められるまま、ぐい飲みに注がれた酒で喉を潤していた。
初めて味わう酒の味を気に入ったのか、妖達の話は耳に入っておらず、仲良しの鳴家二人と鈴彦姫、小姓姿の艶やかな振袖を着た獺、色っぽい猫又のおしろと話をしながら酒を酌み交わす。
かくいう一太郎もぐい飲み片手にチビチビと胃に流し込みながら首を傾げていたので、仁吉が気付いた時には、一太郎は顔を赤くしていた。

「若だんな、いつの間に飲んでいたんですか」
「ほんの一嘗めだよ。それより仁吉、百年を経た古いものでも、壊れていては付喪神になれないの?」
「そりゃぁそうですよ、若だんな。ただの道具が、妖になろうっていうんですよ。その身を損なっていては、金輪際なれたものじゃぁありません」

返事をしたのは酔っ払ったふらり火で、先程から名前を示すかのように、部屋の天井近くを右に左に漂っている。
仁吉が頷くのを見て、一太郎は熱い息を吐きながら考え出した。

「どうしたの?」

そんな一太郎の様子に、八千重がそっと近付き、隣に腰をおろす。

「お千重ちゃん、それが…どうも引っ掛かるんだよ」