その日、アスカは例の部屋へ行くことなく早々に眠りについた。
体調を少しでも万全に近付ける為だ。
翌朝すっきりと目が覚めると、薄くなってきていた隈はもう殆ど分からなくなり、身体も軽く感じた。
けれど、まだ、万全の状態ではない。
窓から射し込んでくる陽の光はキラキラと輝き、爽やかな風が窓の外に見える木を揺らしていた。
今日はグリフィンドール対ハッフルパフのクィディッチの試合がある。
ハーマイオニーのベッドも、ラベンダーとパーバティーのベッドも、皆空っぽだった。
アスカは少し寝過ごしてしまったようだ。
2年生になったアスカは、朝が1年生の時と比べて若干遅くなっている。
真夜中の特訓のせいで慢性的な睡眠不足であり、食事よりも睡眠を少しでも多く摂ろうという欲求のせいなのだが、周囲はそんな事を知る由もないので、体調が芳しくないだとか、元々体が弱いんじゃないか等と様々な噂がされている事をアスカは知らない。
知っていたとしても、人の口に戸はたてられないので、栓もないことではある。
アスカが支度を終えて大広間に朝食を食べに入ろうとしたところで、大広間から出て来たハリー達3人とすれ違った。
咄嗟の事で、アスカはハリーに試合頑張って、と声を掛けそびれてしまった。

(もうすぐ、ハリー達とまた一緒に過ごせるようになる! もう少しの我慢!)

アスカはそう思い、こんがりキツネ色に焼けたトーストにストロベリージャムをたっぷり塗って食べた。
スープを飲み干し、時計を見ると10時をとっくに過ぎてしまっていた。
どうやらのんびりし過ぎたらしい、と慌ててアスカは人の少なくなった大広間を出て競技場へ向かおうとした。
その時だった。
散々自分で操ろうとした時は余計な事ばかりを見せて言うことを少しも聞いてくれないフィーレンの能力が、いつも通り突然、勝手に発動した。
カッと一点に血が集まったように熱くなったアスカの瞳は赤く変わり、その瞳が映す世界は未来を映し出す。
校庭で、突然目を押さえてうずくまったアスカに、競技場へ向かう生徒達数名が心配そうに見ているが、誰も声をかけられずにただ戸惑っている。
そんな人混みを掻き分けるように箒を手に急いで走って来たハリーは、生徒達の視線の先に目を手で覆ったアスカがうずくまっているのを見つけて、慌てて駆け寄った。

「ベル!? ベル、どうしたの!?」

焦って上擦った声をかけながらガシリとアスカの肩に手を置いたハリーは、びくりと体を揺らして振り向いたアスカの眼鏡の奥の見開かれた瞳を見て、ハッと息を呑んだ。

「ベル…君、目が──」
「ハリー!!」

ハリーの声を遮って、アスカがハリーの両肩を力一杯掴む。
途端に走った痛みに顔を歪めながらも、ハリーはアスカがひどく焦っているのに気付いて困惑する。

「ハリー、ハーマイオニーは!?」
「え? ハ、ハーマイオニー?」

突然の事ばかりでハリーの思考速度が追い付かない。

「ハーマイオニーはどこにいるの!?」

ハリーの反応の遅さに今にも舌打ちしそうな勢いでアスカは再度問う。

「ハーマイオニーなら、図書室に行ったよ。何か、思い付いた事があるって…」
「!!っ」

ハリーの返答を聞くが否や、ハリーの肩から手を離したアスカは、図書室へ向かって駆け出す。
ハリー達4人の中でも一番足の速いアスカの姿は、あっという間に見えなくなってしまった。
その背中をハリーはただ呆然と見送るだけだった。

「何をあんなに焦っていたんだろう? …さっき、振り向いたアスカの目が一瞬赤く見えたのは……気のせいだったのかな?」

この時、アスカの後を追わなかった事を、ハリーは後に後悔する事になる。

「ハリー、どうしたんだい? 試合、始まっちゃうよ!」

遅れてハリーに追い付いて来たロンが呆然と突っ立ったままのハリーに声をかけると、ロンの声にハッと気付いたハリーは急いで競技場へ駆け出した。
何してたんだよ、とハリーの後を走りながら呆れたように言うロンの問い掛けに、ハリーはついさっき起きた一陣の風のような出来事をロンに伝えられなかった。
すべてがあっという間で、ハリーは自分でも何がなんだか分からなかったからだ。
ごった返す人混みを掻き分けるように走って競技場に着いたハリーは、ロンと別れ、更衣室で紅色のユニフォームに着替える。
やがて11時になり、対戦する2チームが万雷の拍手に迎えられて入場した。
グリフィンドールチームのキャプテン、オリバー・ウッドは、ゴールの周りをひとっ飛びしてウォームアップし、マダム・フーチは競技用のボールを取り出している。
ハッフルパフはカナリア・イエローのユニフォームで、最後の作戦会議にスクラムを組んでいた。
その中に、ハリーはセドリック・ディゴリーを見つけた。
セドリックは、ハリーの視線に気付いたのか視線を上げる。
セドリックはハリーを見て、爽やかに笑った。
精悍な顔立ちのセドリックが笑うと、男のハリーでも分かるほどひどく魅力的に見える。
ハリーはセドリックから視線を外し、自分の箒『ニンバス2000』に跨がる。
さあ、試合が始まる───…そう思ったその時、マクゴナガルが巨大な紫色のメガホンを手に持って、ピッチの向こうから行進歩調で腕を大きく振りながら、半ば走るようにやってきた。
マクゴナガルが走っているのは、珍しい。
ハリーの心臓は、石になったようにドシンと落ち込んだ。

「この試合は中止です」

マクゴナガルは、満員のスタジアムに向かってメガホンでアナウンスした。
途端に野次や怒号が乱れ飛ぶ。
ウッドがショックで打ちのめされたような顔をしたまま地上に降り立ち、箒に跨がったままマクゴナガルに駆け寄る。

「先生、そんな! 是が非でも試合を……優勝杯が……グリフィンドールの……」

ウッドか喚くが、マクゴナガル先生は耳も貸さずにメガホンで叫び続ける。

「全生徒はそれぞれの寮の談話室に戻りなさい。そこで寮監から詳しい話があります。皆さん、出来るだけ急いで! それから、ベル・ダンブルドアは居たらすぐに来なさい!」

指示のアナウンスを終えるとマクゴナガル先生はメガホンを下ろし、ハリーに合図をした。

「ポッター、私と一緒にいらっしゃい……」

何故? 今度だけは僕を疑える筈がないのに、と訝しりながらハリーがふと見ると、不満たらたらの生徒の群れを抜け出して、ロンがハリーの方へ走ってくる。
ハリーはマクゴナガル先生と一緒に城へ向かうところだったが、驚いたことにロンが一緒でも反対しなかった。

「そう、ウィーズリー、貴方も一緒に来た方が良いでしょう。ベル・ダンブルドアは……居ないようですね」

辺りを探しながら言ったマクゴナガル先生の言葉と、悲哀に揺れる表情に、ハリーとロンはワケが分からない不安が胸に生まれてきていた。
ハリーとロンは、ブーブー文句を言う生徒の声をどこか遠くに感じながら、マクゴナガル先生の後をただ黙ってついて行った。
マクゴナガル先生は城に戻り、大理石の階段を上がる。
今度は誰かの部屋へ連れて行かれる様子ではない。
ハリーの胸に生まれた不安がどんどん大きくなる。

「少し、ショックを受けるかも知れませんが…」

医務室近くまで来たとき、マクゴナガル先生が驚く程優しい声で行った。

「また、襲われました。2人一緒……いいえ、もしかしたら、3人一緒に、です」

ハリーの脳裏に、さっき聞いたばかりのアスカの声が響いた気がした。

『ハーマイオニーは、どこいるの!?』

(───まさか…)

五臓六腑がひっくり返る気がした。
マクゴナガル先生は医務室のドアを開け、ハリーとロンも中に入った。
マダム・ポンフリーが、長い巻き毛の6年生の女子生徒の上に屈み込んでいた。
ハリーはその女子生徒に見覚えがあった。
ポリジュース薬を飲んだハリーとロンが、スリザリンの談話室への道を聞いたスリザリン生と勘違いしたレイブングローの女子生徒だ。
その女子生徒の隣のベッドには、見知った人物が変わり果てた姿で寝転がされていた。

「ハーマイオニー!」

ロンが呻き声をあげた。
ハーマイオニーは、レイブングローの女子生徒同様石になっていた。
身動ぎひとつせず、見開いた目はガラス玉のようだ。

「2人は図書室の近くで発見されました」

衝撃的な光景に驚愕して声が出せないハリーとロンに、マクゴナガル先生が言った。

「2人共、これが何だか説明出来ないでしょうね? 2人のそばの床に落ちていたのですが……」

マクゴナガル先生は、丸い鏡を手にしていた。
ハリーもロンも、ハーマイオニーをじっと見つめながら首を左右に振った。

「では、これに見覚えはありますか?」

丸い鏡を置いて、代わりに手にしたのは眼鏡だった。
そのシンプルな黒縁の眼鏡を、ハリーもロンもよく知っていた。
ハリーはマクゴナガル先生の掌の上から眼鏡を手にすると、度数が入っていないことを確認する。

「先生、これはベルの眼鏡です」
「! ポッター、本当ですか? 間違いありませんか?」

マクゴナガル先生の横で、マダム・ポンフリーも息を呑んだ。

「それは、度数の入っていない眼鏡……伊達眼鏡です。ベルは、目立ちたくないからといって伊達眼鏡を普段から掛けていました。ベルの物で間違いありません」
「───あぁ、やはり!」
「ミネルバ!」

ハリーの言葉に、マクゴナガル先生はフラリと目眩をおこした。
マダム・ポンフリーが慌てて支える。

「アルバスの言う通りという事ですね……ベル・ダンブルドアが───」
「先生、どういうことですか?」
「まさか、ベルにも何かあったんですか?」

ロンとハリーが信じられない、という形相でマクゴナガルを見る。
ハリーもロンも、思い浮かんだ事を頼むから否定してほしい、と願っていた。

「その眼鏡が落ちていた壁に、Mrs,ノリスの時と同様に字が書かれていたのです。『彼女が在るべき場所は秘密の部屋にある』と。これから先生方全員で城の中を捜索する事になっていますが…おそらく、見つからないでしょう。あの子は秘密の部屋に連れ浚われてしまった……」

マクゴナガルの口から出てきた言葉もは、2人の願いを容易く打ち砕いた。

「そんな…」

ハリーもロンも、言葉がそれ以上出てこなかった。
マクゴナガルは、重苦しい口調でハリー達をグリフィンドール塔まで送っていくと告げた。

「私も、いずれにせよ生徒達に説明しなければなりません」

グリフィンドール塔へ向かう道中、マクゴナガルの後を重たい足を動かしてなんとか歩きながら、ハリーとロンはずっと黙ったままだった。
寮へ辿り着いたハリーとロンは、談話室に集まっている生徒達の視線を一斉に受けた。
無言で何が起きたのかを問う視線を無視して、ハリーとロンは超満員の談話室を隅から隅まで見回す。
だが、目当ての人物の姿はどこにもなかった。

「全校生徒は夕方6時までに各寮の談話室に戻るように。それ以後は決して寮を出てはなりません。授業に行く時は、必ず先生が1人引率します。トイレに行く時は、必ず先生に付き添って貰うこと。クィディッチの練習も、試合も、全て延期です。夕方は一切クラブ活動をしてはなりません」

マクゴナガルが羊皮紙に書かれた今後の新しい決まりを読み上げる。
ぎゅうぎゅう詰めの談話室で、生徒達は黙って聞いた。
マクゴナガルは羊皮紙をくるくる巻きながら、少し声を詰まらせた。

「言うまでもないことですが、私はこれほど落胆したことはありません。これまでの襲撃事件の犯人が捕まらない限り、学校が閉鎖される可能性もあります。犯人について何か心当たりがある生徒は申し出るように強く望みます」

いつものマクゴナガルとは思えないぎこちない動作で、肖像画の裏の穴から出て行った。
ハリーとロンは、これからアスカを捜索して城中を先生方は歩き回るのだろう、とマクゴナガルの背を祈るように見送った。
マクゴナガルの姿がなくなった途端に、生徒達が喋り始める。

「これでグリフィンドール生は3人やられた。寮つきのゴーストを別にしても。レイブングローが1人、ハッフルパフが1人」

双子と仲の良いリー・ジョーダンが指を折って数え上げた。

「先生方はだーれも気付かないのかな? スリザリン生は皆無事だ。今度のことは、全部スリザリンに関係してるって、誰にだって分かりそうなもんじゃないか? スリザリンの継承者、スリザリンの怪物───どうして、スリザリン生を全部追い出さないんだ?」

リーの大演説に、皆が頷き、拍手が起こる。

「リー、ベルはまだそうと決まった訳じゃないだろう?」
「そうだぜ。あのブラッジャーを粉々にしたベル・ダンブルドアがそう簡単に連れて行かれたりしないさ」

珍しい事に、双子はリーを咎めるように揃って睨み付けていた。

「皆もそう思うだろ!? あのベルがスリザリンなんかの怪物に、大人しくやられたりすると思うか!?」
「きっと、大騒ぎの先生方を見て城の中を逃げ回ってるんだ。あのスネイプが追い掛けて来たら、ベルなら必死で逃げるに決まってる!」

双子の声に、グリフィンドール生達は、確かにあり得そうだとチラホラ頷く。

「その内グリフィンドール塔に戻って、スリザリンの後継者も怪物も仕留めてやったと笑って言いに来るさ!」

もしかしたら、本当にそうなのかも知れない、と思わせるような力強く明るい声だった。
一年生はとくにそう感じたのか、先程まで青白かった顔が血を帯びていく。
ハリーもロンも、力強い声に勇気づけられるように顔が明るくなった。
微かな希望に談話室の重苦しい雰囲気が徐々に薄れ始めていた。
だが、重く沈んだ声がそれに制止をかける。

「お前達は、何馬鹿な事を言っているんだ。ベルがどんなに優秀でも、彼女はまだ二年生だ。監督生のペネロピーを石にしまった怪物になんて敵うわけがないだろう? 今頃はきっと秘密の部屋で怪物に怯えてブルブル震えているさ」

いつもはうるさいくらいに怒鳴りつけるパーシーが、静かに呆れた声で言った。
その姿は、落ち込んでいるように見える。
パーシーの一言で、皆の胸に芽生え始めた希望は、しおしおと枯れていく。
双子は、ホグワーツで唯一、アスカが何者かを知っている生徒だった。
アスカがとっくに成人していて、姿現しだって使えるのだとその目で見た。
彼女は、ダンブルドアの養女というだけではない。
あのフィーレン家の当主、アスカ・フィーレンなのだと、あの闇の帝王からも生き延びた者なのだと、知っていた。
だからこそ、双子はアスカが本当に自分達が述べたようにその内ひょっこりと戻ってくると信じていたのだ。
だが、それを説明するわけにはいかない。
いかないのだが、双子は黙って引き下がれなかった。

「俺達がどんなに校則で雁字搦めになったとしても、頭の中は自由だ。俺達が何を思って、考えて、信じたって、それを否定されるのはお門違いだ」
「それに、パーシー、お前がいつも正しいとは限らない」

双子が怒気を露わに言うと、パーシーは大きな溜め息を吐いた。

「いい加減にしろ───これは、言わないでおこうと思っていたが……考える事は自由なんだろう? じゃあ言わせてもらう」

パーシーは聞き分けのない子供はこれだから困る、と言わんばかりの態度で双子を見据える。

「僕は、ベルはもう戻ってこないと思ってる。僕の考えでは、ベルは壁に書き置きを残していったんだ。いい加減、隠れてこそこそと行動を起こすのが億劫になったんだろう。自ら姿を消したんだ。 つまり、ベルこそがスリザリンの後継者だ。 恐らく、壁に文字を書いているところをハーマイオニー達に見られて、怪物をけしかけて石にして口封じをした。そうでなければ、ダンブルドアの養女というだけの少しばかり優秀な二年生の女の子が、スリザリンの継承者にわざわざ連れ去られる理由がない。しかも、ベルは純血だが、ダンブルドアとは血の繋がりはない。ベルの両親のどちらかがスリザリンの血を引いていてもおかしくはないだろう?」

パーシーの言葉に、談話室は静まり返った。
双子は、それだけは決してないと知っていながらも口には出来なかった。
考えることは自由だと、そう告げてしまっているし、何よりアスカの正体を自分達がバラしてしまうわけにはいかない。
黙り込むしかなかった。
ハリーもロンも、アスカの母親がアスカ・フィーレンだと思っているので、パーシーの言葉が馬鹿げた妄想だと分かっていたが、やはり、口には出来なかった。
それに、母親が誰かは知っているが父親の方は分からないのだ。
ただ、一言否定はしないと気持ちが収まらなかった。

「パーシー、僕はベルが継承者だなんて一度も考えた事すらないよ───フレッドとジョージの言葉を借りるなら、僕がどう考えようと自由だ。ベルが戻ってくるか、マンドレイク薬でハーマイオニー達が元に戻れば、犯人が分かる」

グリフィンドールの談話室は、重苦しい剣呑な雰囲気に包まれていた。
アスカの事も勿論心配だったが、ハリーは他の心配もあった。
犯人が捕まらず、ホグワーツが閉鎖されたら、ハリーは一生ダーズリー一家と暮らすはめになる。
それは、ハリーにとって死刑宣告されたようなものだった。

「どうしたら良いんだろう」

ロンがハリーの耳元で囁いた。

「ハグリッドが疑われると思うかい?」

ハリーは、ハグリッドが50年前に秘密の部屋を開けた事をトム・リドルの日記で知っていた。
日記帳をハリーが手に入れたのは偶然だった。
ハーマイオニーがまだ医務室から出てこられなかったとある日、ハリーとロンはハーマイオニーに今日の宿題を渡して、2人でグリフィンドール塔へ向かって歩いていたときだった。
フィルチのヒステリックな声が聞こえてきて、2人は足を止めた。
聞き耳をたてていると、フィルチが何事か文句を言いながらダンブルドア校長の元へ直談判しに居なくなる。
ハリーとロンが、Mrs,ノリスが襲われた場所へまた立つ事になったのだが、そこは夥しい水が廊下の半分を水浸しにしてしまっていた。
フィルチがヒステリックに怒っていたのはこのせいだと見ただけで分かった。
どうやら水は、マートルのいるトイレのドアの下から漏れ出しているようだと気付いた2人は、マートルの泣き叫ぶ声に導かれるようにトイレのドアを開けた。
マートルはいつもの便器の中に隠れて、いつもよりいっそう大声で泣き叫び、大量の水を溢れさせていた。
ハリーが何があったのかを問うと、マートルが誰かに本を投げつけられたのだと話す。
マートルが投げつけられた本、それが『トム・リドルの日記』だった。
リドルの日記は、ボロボロの黒い表紙で、ハリーが拾い上げた時は水に濡れてびしょびしょだったが、中には何にも書かれていなかった。
真っ白のページだけがある、不思議な日記帳だった。
最初のページに名前が書かれており、それでハリーはトム・リドルの名を知ったのだ。
本を開けようとしたハリーを、最初は、怪しい魔法が掛かっているかも知れない、といって止めようとしたロンが、トム・リドルの名を罰則で磨かされたトロフィー室の金色の盾で見たとハリーに伝えた。
その時は、まだリドルの日記がどれだけ重要なものか分からなかったが、バレンタインに歌を送られるという事件をきっかけに、その重要性を知ることが出来た。
リドルの日記に文字を書くと、吸い込まれるように真っ白なページにインクが消えてなくなる。
代わりに真っ白な紙の上に返事が浮かび上がってくるのだ。
そうしてハリーは日記を通してトム・リドルと会話をし、日記に隠されていた50年前のリドルの記憶を、まるで自分がその場にいるような錯覚が起きるほど鮮明に見ることが出来た。
それは、とても不思議な体験だった。
そうして、50年前に秘密の部屋を開けたのがハグリッドであることを知った。
そのせいで、ハグリッドがホグワーツを退学になったのだということも。

「ハグリッドに会って話さなくちゃ」

ハリー達は、ハグリッドが50年前に秘密の部屋を開けたことを知りながらも、ハグリッドに直接聞くことは避けていた。
次に誰かが襲われない限り、ハグリッドに言わないでおく事にしていたが、一緒にそう決めたハーマイオニーが襲われた。
アスカも、連れ去られてしまった。
もう、ハグリッドに遠慮しているような状況ではない。

「今度はハグリッドだとは思わない。でも、前に解き放したのが彼だとすれば、どうやって『秘密の部屋』に入るのかを知っている筈だ。それが糸口だ」
「だけど、マクゴナガルが、授業中の時以外は寮から出るなって……」

ロンの囁き声に、ハリーは一段とこえを潜める。

「今こそ、父さんのあのマントを、また使う時だと思う」

ハリーは去年、父親からダンブルドアが預かっていたという『透明マント』を返してもらった。
ハリーが父親から受け継いだたった1つの物だ。
透明マントを羽織れば、忽ち透明人間になれる。
誰にも知られずにこっそり学校を抜け出して、ハグリッドを訪ねるにはそれしかない。
ハリーとロンは、同室のネビル、ディーン、シェーマスが寝静まるのをベッドの中で待ち、3人の寝息が聞こえてきてから漸く起き上がった。
ローブを着直して、『透明マント』を2人で被った。