透明マントを被り、暗くいつもより人気のない城の廊下を歩き回るのは、とても楽しいと言えるものではなかった。
ハリーもロンも、以前にも何度か夜の城の中を彷徨った事があったが、日没後に、こんなに混み合っている城を見るのは初めてだった。
先生方や監督生、ゴーストなどが2人ずつ組になり、不審な動きはないかとそこら中に目を走らせていた。
透明マントは、姿を消せても物音までは消してくれない。
ハリーとロンは、ぶつかったり足音を発てないように慎重に歩いていたが、ロンが躓いてしまった。
ほんの数メートル先に、セブルスが見張りに立っていた。
ただ、うまい具合にロンの「コンチキショー」という悪態と、セブルスのくしゃみが全く同時だった為、難を逃れた。
セブルスの表情が、ハリーにはいつもよりどこか違って見えたが、けれどそれは他の先生方にも言える事だったので、さして気にしなかった。
正面玄関にやっと辿り着き、樫の扉をソッと開けた時、2人は胸を撫で下ろした。
外は、星が輝く明るい夜だった。
ハグリッドの小屋の灯りを目指し、2人は急いだ。
小屋のすぐ前に来た時、漸く2人はマントを脱いだ。
戸を叩くと、すぐにハグリッドがバタンと戸を開けた。
真正面にぬっと現れたハグリッドは、2人に石弓を突きつけていた。
ボアハウンド犬のファングが、後ろの方で吠えたてている。

「おぉ」

ハリーとロンに気付いたハグリッドは武器を下ろして、2人をマジマジと見た。

「2人共、こんなとこで何しよる?」
「それ、何の為なの?」
「なんでもねぇ……なんでも」

小屋の中に入りながらハリーが、ハグリッドの持つ石弓を指差して問うが、ハグリッドはもごもごと歯切れ悪くそう答えて、話題から逃げるように座るように勧め、茶を入れると言って暖炉へ向かった。
ハグリッドは上の空だった。
薬缶から水を零して、暖炉の火を危うく消しそうになったり、大きな手をはじめとする神経質に動かした弾みでポットを粉々に割ってしまったりした。

「ハグリッド、大丈夫?」

ハグリッドの様子が大丈夫じゃなさそうなのは明らかだったが、ハリーは思わず声をかける。

「ハーマイオニーと、ベルの事…聞いた?」
「あぁ、聞いた。確かに」

ハグリッドの声の調子が少し変わった。
そうして言いづらそうにもごもご口ごもりながら、ソッと口を開く。

「ハリー、ロン、お前さん達がここに来たのは……ベルから、俺の話したことを聞いたからか?」
「話って何のことだい?」

ハグリッドの言葉に、ハリーとロンは顔を見合わせる。
2人共、アスカからハグリッドに関して何かを聞いた覚えがなかった。

「聞いとらんなら、いい。そうだな…ベルは誰にも話さんと約束してくれた。あの子が約束を破るワケない」

ハグリッドは呟くような小さい声だったが、それでもあまり大きいとは言えない小屋の中であるため、しっかりとハリーとロンに聞こえた。

「ハグリッド、ベルと一体何を話したの? それって、ベルが連れ浚われた事と……秘密の部屋に何か関係ある話なの?」
「───ベルが連れ浚われたのは、きっと俺のせいだ。俺が、余計な話をあの子に話したから…優しいベルは、何とかしてくれようと動いたに違いない。あぁ、俺のせいだ…」

ハグリッドは震える手で、たっぷりと熱い湯を入れた大きなマグカップをハリーとロンに差し出した。
ただ、ティーバッグを入れ忘れて、ただのお湯だけだった。
ハグリッドは、ハリーの問いに自分を責めるように呟き、何を話したのかまで話さない。
作業をしながらも、何かを警戒するようにチラチラと不安そうに窓の方を見ている。
ハリーもロンも、ハグリッドを何とか落ち着かせて話を聞き出さなければ、と考えていた。
だが、挙動不審のハグリッドが、分厚いフルーツケーキを皿に移している時、戸を叩く大きな音がした。
ハグリッドはフルーツケーキをポロリと落とし、ハリーとロンはパニックになって顔を見合わせ、咄嗟に透明マントを被って部屋の隅に引っ込んだ。
ハグリッドは2人がちゃんと隠れた事を見極めてから、石弓を引っ掴んでバン、と戸を開けた。

「こんばんは、ハグリッド」

立っていたのはホグワーツの校長であり、アスカの養父のアルバス・ダンブルドアだった。
だが、その表情は、いつものように穏やかな好々爺といった風体ではなく、深刻そのものといった表情で小屋に入ってきた。
そして、ダンブルドアの後ろからもう1人、とてもチンケな男が続いて入った。
ハリーの見知らぬ男は、背が低く恰幅のいい体にくしゃくしゃの白髪頭で、悩み事があるような顔をしていた。
奇妙な組み合わせの服装で、細縞のスーツ、真っ赤なネクタイ、黒く長いマントを着て先の尖った紫色のブーツを履いている。
ライムのような黄緑色の山高帽を小脇に抱えていた。
あまり、センスのいい服装とは言えなかった。
ロンにはそれが誰か分かった。

「パパのボスだ! コーネリウス・ファッジ、魔法大臣だ!」

ロンが驚いたように囁くが、ハリーはバレたら困るとロンを肘で小突いて黙らせた。
ファッジの姿を見たハグリッドは、蒼冷めて汗をかきはじめた。
椅子にドッと座り込み、ダンブルドアの顔を見て、ファッジの顔を再度見る。
今ここにアスカがいたならば、ハグリッドの恐れていたことが現実になった、と顔を険しくさせただろう。

「状況はよくない、ハグリッド。頗るよくない。来ざるを得なかった。マグル出身が4人もやられた。更に、ダンブルドアの養女まで連れ去られた。もう始末に負えん。本省が何かしなくては…」

ファッジはぶっきらぼうに告げた。
ハグリッドが縋るようにダンブルドアを見る。

「俺は、決してやっちゃいねぇ。ダンブルドア先生、知ってなさるでしょう。お、俺は、決して……」
「コーネリウス、これだけは分かって欲しい。わしはハグリッドに全幅の信頼を置いておる。娘も、ハグリッドによく懐いておった。ハグリッドが誘拐する意味がない」

ダンブルドアは眉を顰めてファッジを見た。
ハリーとロンも、ハグリッドがアスカを誘拐するなどと微塵も疑っていない。

「しかし、アルバス」

口を開いたファッジは、言いにくそうに続ける。

「ハグリッドには不利な前科がある。魔法省としても、何かしなければならん。学校の…理事達がうるさい」
「コーネリウス、もう一度言う。ハグリッドを連れて行った所で、何の役にも立たんじゃろう。わしの娘も、戻って来ない」

ダンブルドアのブルーの瞳に、これまでハリーが見たことがないような激しい炎が燃えている。

「私の身にもなってくれ」

ファッジは、山高帽をモジモジ弄りながら言う。

「プレッシャーを掛けられておる。
何か手を打ったという印象を与えないと。ハグリッドではないと分かれば、彼はここに戻り、何の咎めもない。ハグリッドは連行せねば、どうしても。私にも立場というものが───」
「俺を連行? どこへ?」
「ほんの短い期間だけだ」

ファッジは、震える声のハグリッドと目を合わせずに言った。

「罰ではない、ハグリッド。むしろ念の為だ。他の誰かが捕まれば、君は十分な謝罪の上、釈放される……」
「釈放? まさか、アズカバンじゃ?」

ハグリッドの声がかすれた。
アスカに話していた予感が、現実になった。
ファッジがハグリッドに返事をする前に、また戸が激しく叩かれる音が小屋の中に響く。
ハグリッドはとても立てる状態ではなく、ダンブルドアが代わりに戸を開けた。
今度はハリーが肘で脇腹を小突かれる番だった。
現れた人物の姿を見て、全員に聞こえるのではないかというほど大きく息を呑んだからだ。
その姿を見るのは二度目だったが、見間違えるはずがなかった。
ルシウス・マルフォイが、ハグリッドの小屋に大股で入ってきた。
長く黒い旅行マントに身を包み、冷たくほくそ笑んでいる。
ルシウスの登場に、ファッジが低く唸りだした。

「もう来ていたのか、ファッジ」

ルシウスは、ファッジを見て満足気に頷く。

「何の用があるんだ? 俺の家から出ていけ!」
「威勢がいいね。言われるまでもない。君の───あー…これを家と呼ぶのかね? その中に居るのは私とて全く本意ではない」

ハグリッドが激しい口調でルシウスに言うが、ルシウスは動じるでもなく、せせら笑いながら狭い丸太小屋を見回した。

「私はただ学校に立ち寄っただけなのだが、校長がここだときいたものでね」
「それでは、いったいわしに何の用があるというのかね? ルシウス?」

ダンブルドアの言葉は丁寧だったが、ブルーの瞳にはまだ先程の激しい炎が燃えている。

「大事なご息女を連れ去られた後に、更に酷だとは思うのだがね、ダンブルドア」

ルシウスが、長い羊皮紙の巻紙を取り出しながら物憂げに言った。

「しかし理事達は、貴方が退く時が来たと感じたようだ。ここに『停職命令』がある。12人の理事が全員署名している。残念ながら、私共理事は、貴方が現状を掌握出来ていないと感じておりましてな。これまでいったい何回襲われたというのかね? 今日の午後にはまた2人。更に自分の娘まで連れ浚われたと、そうですな? この調子では、ホグワーツにはマグル出身者は1人も居なくなりますぞ。それが学校にとってどんなに恐るべき損失か、我々全てが承知しておる」
「おぉ、ちょっと待ってくれ、ルシウス」

ルシウスの言葉に、一番驚き動揺したのは、ダンブルドアではなくファッジだった。

「ダンブルドアが『停職』……だめだめ……今という時期に、それは絶対困る…」
「校長の任命、停職も、理事会の決定事項ですぞ。ファッジ」

ルシウスは狼狽えるファッジとは違い、淀みなく答える。

「それに、ダンブルドアは今回の連続攻撃を食い止められなかったのであるから──」
「ルシウス、待ってくれ。ダンブルドアでさえ食い止められないなら……つまり、他に誰が出来る?」
「それはやってみなければ分からん。12人全員が投票で……」

上機嫌なルシウスの言葉を遮るようにハグリッドが勢いよく立ち上がった。
ボサボサの黒髪が、天井をこする。

「そんで、いったい貴様は何人脅した? 何人脅迫して賛成させた? えっ? マルフォイ」
「そういう君の気性がその内墓穴を掘るぞ、ハグリッド。アズカバンの看守にはそんな風に怒鳴らないようご忠告申し上げよう。あの連中の気に障るだろうからね」
「ダンブルドアを辞めさせられる物ならやってみろ!」

ハグリッドの怒声で、臆病なファングは寝床のバスケットの中で竦み上がり、クィンクィン鳴いた。

「そんなことをしたらマグル生まれの者はおしまいだ! この次は“殺し”になる!」
「落ち着くんじゃ、ハグリッド」

興奮しているハグリッドをダンブルドアが窘める。

「理事達がわしの退陣を求めるなら、ルシウス、わしは勿論退こう」
「しかし──」
「だめだ!」

ダンブルドアがルシウスに向かって云うと、ファッジが口ごもり、ハグリッドが唸った。
ダンブルドアは明るいブルーの目でルシウスの冷たい灰色目をジッと見据えたままだ。

「ただし、覚えておくと良い。わしが本当にこの学校を離れるのは、わしに忠実な者がここに1人も居なくなった時だけじゃ。覚えておくが良い。ホグワーツでは、助けを求める者には必ずそれが与えられる」

ダンブルドアの言葉を聞き逃さないとばかりに静まり返ったハグリッドの小屋の中で、ダンブルドアがチラリと自分達を見た、とハリーは確信した。

「天晴れなご心境で」

ルシウスは頭を下げて敬礼した。

「アルバス、我々は貴方の──あー…非常に個性的なやり方を懐かしく思うでしょう。そして、後任がその──えー…“殺し”を未然に防ぐのを望むばかりだ」

ルシウスは小屋の戸の方に大股で歩いていき、戸を開けるとダンブルドアに一礼して先に送り出した。
ファッジは山高帽を弄りながらハグリッドが先に出るのを待っていたが、ハグリッドは足を踏ん張り、深呼吸すると言葉を選びながら言った。

「誰か、何かを見っけたかったら、蜘蛛の跡を追っかけて行けばええ。そうすりゃちゃんと糸口が分かる。俺が言いてえのはそれだけだ」

ファッジは呆気に取られてハグリッドを見つめた。

「よし。今行く」

ハグリッドは満足したように頷いてモールスキンのオーバーを着た。
ファッジの後から外に出る時、戸口でもう一度立ち止まり、大声で言った。

「それから、誰か、俺の居ねえ間、ファングに餌をやってくれ」

ハリーとロンにはその声がしっかりと聞こえた。
そのまま戸がバタンと閉まると、ロンが透明マントを脱いだ。

「大変だ」

ロンの声はかすれていた。

「ダンブルドアは居ない。今夜にも学校を閉鎖した方がいい。ダンブルドアが居なけりゃ、1日1人は襲われるぜ」

ハグリッドに残されたファングが、閉まった戸を掻きむしりながら悲しげに鳴き始めた。
















To be Continued.