アスカが談話室に帰ってきて、2時間近く経ってハリーとロンが帰ってきた。
ジニーや双子、パーシーは既に部屋へ戻っていった後だったので、1人で談話室にいるアスカにロンとハリーは驚いたようだった。
だがそれよりもアスカには気になることがあった。

「ハーマイオニーは一緒じゃなかったの?」

久し振りに2人に声をかけると、ハリーとロンは苦笑いで顔を見合わせる。

「ベルはルームメイトだし、言っておいた方がいいよね」
「うん」

こそこそと話す2人に、アスカが訝しげに眉間に皺を寄せた。

「何かあったの? まさか……」

最悪の事態が脳裏に過って、アスカは狼狽える。

「違うよ! ハーマイオニーは石になったんじゃない。猫になったんだ」

アスカが考えた『最悪』を瞬時に察したのか、ロンが頭を振って否定する。
だが、アスカはロンの言った意味がうまく飲み込めず、首を傾げた。

「………………うん?」
「あー…ポリジュース薬を僕達飲んだんだ。あれは、変身する相手の一部が必要だろう? ハーマイオニーが飲んだのが、猫の毛を入れたものだったんだ」
「───それはまた……ポリジュース薬は動物変身には使えないって、知らなかったの?」

ハリーの説明で漸く理解したアスカが苦笑いを浮かべ、呆れたように問えば、ロンがばつが悪そうに答える。

「僕達は知らなかったけど、ハーマイオニーはちゃんと知ってた。けれど、間違えて飲んじゃったんだ。そのせいで、ハーマイオニーの猫耳と尻尾がなくなるまで医務室に居ることになった」
「…そう。事情は分かったわ」

頷いて、アスカはテーブルに置いていた画材を片付け、部屋へ戻ろうと椅子から立ち上がる。

「あ! あのさ!」

踵を返そうとしたアスカを引き留めようと、ハリーが声をかけたが、緊張しているのか声が上擦った。

「? まだ何か?」
「いや……その…プレゼント、ありがとう」
「ぼ、僕も! ありがとう」

しどろもどろの2人の様子に、アスカは眉を下げて嘆息する。

「どう致しまして。話したいことは、これで終わり? 無いようならあたしも部屋へ戻って休むけれど」
「あー…えーっと……ポリジュース薬を使った話…聞く?」
「君の言う通り、マルフォイは継承者じゃなかったけど、分かったことがあるんだよ」
「分かったこと? あたしにも教えてくれるの?」

窺うように問えば、ハリーとロンは頷く。

「教えてくれるのなら遠慮なく聞かせてもらうけど……あたし、薬を作るために貴方達がしたことを許してはいないわよ。話を聞いたって、一緒に継承者を探すなんて出来ないけど?」

アスカの言葉にハリーの顔が険しくなった。

「……どうして? ベルは、1人でいたら危険だって言われているんでしょう? 継承者に狙われているんだ。僕達と居れば良いじゃないか」
「───…あの時とは事情が変わったの。あたしのことは構わないでいいから、放っておいて」
「事情が変わったって…石にされて、ホグワーツから連れ出されても良いって言うの!? ルシウス・マルフォイの所に行くことになっても!?」

ハリーが怒鳴るように激昂し、アスカは目を見開く。

「どうしてそこでルシウス・マルフォイの名前が────…ああ、そういうことか……あたしがさっきマルフォイ君と話した時にいたクラッブとゴイルは、貴方達がポリジュース薬で変身してたのね?」
「そうだよ。だから、僕達は知ってるんだ」
「マルフォイの奴言ってた。君が拒んだ時は継承者に任せろって父親に言われたって。きっとルシウス・マルフォイが継承者に指示して君を襲わせる。そうして石になった君はホグワーツから連れさられてしまう! ベル、そうなっても良いの!?」
「…そう、マルフォイ君はそんな事を言ってたの……成程ね」

(そこまで息子に言っていると言うことは、ルシウスはあたしがアスカだって気付いたのは間違いないみたいね。フィーレンの家について、何故か昔から詳しかったし、時計塔の存在もピアスの能力も、他の事も、話してもいないのに知ってた。あたしが死んでいないと予測していたとしてもおかしくはない、か…。面倒な奴に目を付けられたわね……あたしを操り人形にして、ヴォルデモートに差し出す為? それとも、フィーレンの力を自分の野心に使う為? どちらにせよ、捕まる訳にはいかないわね)

ルシウス相手に負ける気はしないが、ハリー達に自分がアスカだとバレるわけにはいかない。
ルシウスがドラコにいつアスカの事を話してもおかしくない。
今は継承者と怪物がホグワーツに潜んでいるせいか、ルシウスは知りすぎていても怪しまれる、とでも考えて息子に詳しくは話していないのだろうが、それも学年末を迎えて帰宅するまでの話だろう。

(早めに何か手を打たないと、マズい事になりそうね…)

考えこむアスカに、ハリーが焦れったそうに口を開く。

「ベル、君の言うことをきかなかったのは悪かったと思ってる。賢者の石の時、僕達言っていたのに…。けど、もう良いだろう? そろそろ戻ってきなよ」
「ハリー……事情が変わったって言ったでしょう? 皆にどれだけ謝られて、例えあたしが許したとしても、今は皆と一緒に居られない」

アスカの返答に、ハリーとロンは衝撃を受けたようだった。

「どうして? 理由を教えてよ!」
「───…何も話せないわ、ごめんなさい」

アスカはそう告げると、踵を返す。
ハリーとロンの引き留める声を聞きながらも振り返らず、部屋へ戻った。

「ベル……」
「何だよ、こっちは心配して言ってるのに」

アスカの態度にロンは不機嫌に言うが、ハリーは少し逡巡したあと小さく頭を振る。

「もしかしたら、ベルは1人で継承者を捕まえるつもりなのかも知れない」
「は? 1人でって……どういうこと?」
「───賢者の石の時もそうだった。僕達がスネイプを犯人だって決めつけていた時、ベルは1人だけクィレルを怪しんでた。僕達が賢者の石を守ろうと動き出す前に、ベルは1人でクィレルに挑んだ」

去年の出来事をハリーが思い出して語るとロンはハッと息を呑む。

「じゃ、継承者が誰かベルは気付いているの?」
「それは…分からない。けれど、ベルは自分が狙われていることを知ってるんだ。もしかしたら自分を使って誘き出そうとか考えてるんじゃないかな」
「! そ、そんな……いくらなんでも、そんな無茶な事はベルでもしないよ。僕達はまだ2年生だ」

ハリーの言葉を否定するロンに、ハリーは声を1つ低くした。

「あのブラッジャーを二度も粉々にしたんだ。決闘クラブでも、無傷だった。ジニーが相手だったっていうのもあるんだろうけど、ジニーが言ってたんだ。ベルは魔法を呪文で防いだって。そんな呪文、僕達まだ習ってないよね。…ベルなら、きっとやるよ」
「あー…」

ロンはハリーの言葉に、信じられないと思いながらも反論する言葉が出て来なかった。

「どうしよう……ベルが、ホグワーツからいなくなっちゃったら…」

ハリーの不安に揺れる声を聞きながら、ロンは何も返せなかった。





「今日はもうこのまま休もう…クリスマスだし。それに、色々あって疲れた」

一人きりの部屋で返事があるわけでも無いのに声に出したアスカは、ベッドに倒れ込む。
シン、と静まり返る室内は、人がいないというだけでいつもより広く感じる。
あの日以来、ハーマイオニーとアスカは会話をしていない。
同室であるのに挨拶もしなければ、視線が合う時があっても、どちらかがすぐに逸らす。
さぞかし同室のパーバティとラベンダーには居心地が悪いだろう。
彼女達には申し訳ないが、もう少し我慢してもらわなければならない。

「あ、マルフォイ君から何を聞き出したのか聞きそびれた。あ〜…順番しくじった…聞いてから話すんだった」

今更後悔しても、明日2人から聞き出すことは不可能だろう。
アスカは大きな溜め息を吐いて、ベッドの上でゴロリと転がる。

「そういえば、ジニーの言ってた相談もまだ聞いてないな。思い詰めた顔をしてたけど、何をそんなに悩んでいるんだろう? それとももう解決してしまったから話さないだけ? ジニーがあたしに相談したい思い詰める程の事って───…ハッ!」

ベッドの上でウンウン唸りながら考えていたアスカは、漸く思い付いた可能性にガバリと起き上がった。

「もしかして、恋!?」

思ったよりも大きな声が室内に響いて、誰に聞かれているわけでも、迷惑をかけているわけでもないのに、アスカは両手で口を押さえた。

「ジニーが恋をするって言ったら、やっぱりハリーよね。だからハリーと仲のいいあたしに相談したいのかな? けど、あたし達の関係が今はギクシャクしてるから相談し辛い? ───うーん…そう考えると辻褄は合うけど……恋の相談をするんだったら、あたしよりハーマイオニーの方が適任だと思うんだけどなあ…」

難しい顔で首を捻り暫く唸っていたが、「分からん!」とベッドにまた体を預けた。

「でも、本当に恋の相談だったらどうしよう……あたし、人の相談にのれる程の経験なんてないのに」

ふと思い出した事で、継承者の件、フィーレンの能力の件、ルシウスの件の他に、またしても案件が発生してしまい、アスカはベッドの中で1人身悶える。

「だめだ……今日はもう寝よう。このまま考えてたら、朝になっちゃう」

服を着替えてベッドに入るが、結局アスカはなかなか寝付けなかった。


結局、クリスマス休暇が終わってもジニーから相談はされなかったし、ハーマイオニーも医務室に入ったままだった。
更にハリー達から話は案の定聞けなかったし、能力の方も芳しい成果はあがっていない。
クリスマス休暇を終えて戻ってきた生徒達は、ハーマイオニーが居ないことにすぐに気付いて、彼女が襲われたのだと噂が乱れ飛んだ。
アスカは、同室のパーバティとラベンダーには、体調不良で医務室に暫く居ることになっていると話したが、生徒達はハーマイオニーの姿をちらりとでも見ようと医務室の前を入れ替わり立ち替わり往き来するので、マダム・ポンフリーはカーテンでハーマイオニーのベッドの周りを囲った。
毛むくじゃらの顔が人目に触れたら恥ずかしいだろうという配慮からだった。
アスカは、ハーマイオニーを案じてはいたが、一度も見舞いに行くことは無かった。
ハリーとロンは毎日夕方に見舞いに行き、新学期が始まってからは毎日その日の宿題を届けた。
アスカは、医務室でも宿題をしているなんてハーマイオニーらしい、と心中で笑っていたが、自分だったらここぞとばかりに読書三昧、絵を描き放題で嬉々として過ごしただろうなと考える。
2月になって、ようやくハーマイオニーは退院した。
猫耳も尻尾もすっかりなくなった元気な姿を談話室で見たアスカは、隠れて胸を撫で下ろした。

(猫娘のハーマイオニーも、ちょっと見てみたかったけど)

ハーマイオニーが戻ってきて、ハリー達はまた3人で過ごしていたが、アスカは相変わらずハリー達から離れて過ごした。
ここの所のジニーは、悩み事が解決したのか難しい顔で物思いに耽っているような姿を見ることがなくなっていて、いつ恋の相談をされるのか密かにドキドキとしていたアスカは、どうやら悩みはどうにか収まったのではないかと思った。
淡い陽光が照らすようになってきたホグワーツは、僅かに明るいムードが漂い始めていた。
それというのも、クリスマス休暇前にジャスティンと殆ど首なしニックが襲われてから、誰も襲われていないということが大きかった為だ。
更に、マンドレイクが思春期に入ったというのだ。
ニキビがきれいになくなったら二度目の植え替えがあり、その後は刈り取って薬になるまで時間はそこまで掛からない。
石にされた者達が元に戻る兆しが近付いた、というのもそれを助長していた。
喜ぶ生徒や先生達の中で、アスカは継承者がまだ諦めた訳ではないことを知っている。
何故なら、まだアスカは襲われていないからだ。
先見の能力を自在に操ることはまだ出来ないが、少しずつ、本当に少しずつ魔力の調節が出来るようになってきていた。
目や、頭を突き刺すような痛みが以前に比べて幾らか和らいだ位の成長だったが、それでもアスカにとっては大きい一歩だった。

(あともう少し…あともう少しで、コツが掴めそうなのに……)

時折走る頭痛に未だ悩まされながらも、アスカは決して油断せず、諦めていなかった。
ハリーの方はといえば、置かれている状況はあまり変わっていないようだった。
ハッフルパフ生のアーニーは、未だにハリーを継承者だと確信していたし、決闘クラブで正体を現したのだと信じていた。
ピーブズも、状況を好転させないために一役かっていた。
人が大勢いる廊下にポンと現れては、『オー、ポッター、嫌な奴だー…』と歌い、歌に合わせた振付で踊った。
一度、歌いながら踊っているピーブズを見たアスカは、呆れたように顔を歪め、ピーブズと目が合うと、嘲るように鼻で笑って立ち去ってやった。
アスカの脳裏では、鐘は1つしか鳴らなかった。
そうして、幾日か経ったある日、朝食を食べようと気怠げに大広間に入ったアスカは口をあんぐりと開けた。
壁という壁がけばけばしい大きなピンクの花で覆われ、淡いブルーの天井からはハート型の紙吹雪が舞っていた。

「何これ? え? ここ、大広間よね?」

アスカは、呆然と舞う紙吹雪を見て、どこか別の部屋に入ってしまったのではないかと一度確かめた。
間違いなく大広間だった。
アスカは恐る恐る歩いてグリフィンドールの席に座ると、さっさと食事を済ませてここから出よう、と一番最初に目に付いたオートミールを手繰り寄せた。
周りでは、大広間の変貌について話が飛び交っているが、どれも推測位の話でしかないらしい。
ただ、アスカは気付いてしまっていた。
女生徒は既に殆どが分かっているような顔をして、先生方のテーブルの方を見ている。
そうしてアスカも、こんな事をする人に1人しか思い浮かばなかった。
アスカの目下の敵ギルデロイ・ロックハートその人は、けばけばしいピンクのローブを身に纏って煌めく歯を無意味に見せびらかしている。
女生徒達は彼が話し出すのを今遅しと待っており、反対にアスカは、やめておねがいだから未だやめて、と念じながらオートミールを一心不乱に口に運んでいる。
味わっている暇なんてなかった。
ロンとハーマイオニーが座っている席に、いつもより遅れてハリーが座った。
ハリーも訝しげに辺りを見渡して、「これ、何事?」と2人に話しかけている。
ロックハートは、ハリーを待っていたのに違いない。
アスカがそう余計な詮索をしてしまうほど実にタイミング良くロックハートが立ち上がった。
まだオートミールは半分程しか減っていない。
アスカは、間に合わなかった。
ただ、せめてもの慰めは、ロックハートの両側に並ぶ先生方が石のように無表情だった事と、マクゴナガルの頬がヒクヒク痙攣していた事、加えてセブルスが、アスカが医務室で飲んだ毒々しい色の薬をバケツ一杯飲んだみたいな苦々しい顔をしていた事だ。
この場で苦しんでいる人が自分以外にも確かに居るのだとアスカは幾分気持ちが楽になった。

「バレンタインおめでとう!」

ロックハートの言葉に、アスカは漸く2月14日はバレンタインデーだと思い出した。
もとよりアスカ自身興味がなく、考えなければならないことに気を取られていたせいか、カレンダーを見てもバレンタインのバの字すら頭に浮かばなかったのだが。
ただ1つ、ホグワーツ在籍9年目となるアスカだが、今までバレンタインに大広間がこんなにけばけばしいピンクに染まったことは一度もなかったと断言出来た。
あまりバレンタインに縁がなかったアスカでも、それだけは確かだった。

(そう言えば、バレンタインは日本では女性から男性に愛の告白と共にチョコレートを渡す独自の文化があること、ニコルは知ってるのかしら? あたしはホグワーツに来るまで日本だけの文化だなんて知らなかったから、驚いたものだけど…)

アスカがふと故郷の文化について思い出して、日本マニアの友人のことを考えた。

(ニコルのことだから知っていても不思議ではないけど、知らなかったらきっと面白いほど驚いてくれるんじゃないかしら)

ニコルの反応を想像して、クスクスと笑う。

「今までの所、46人の皆さんが私にカードをくださいました。ありがとう! そうです。皆さんをちょっと驚かせようと、私がこの様にさせていただきました。しかも、これがすべてではありませんよ!」

ロックハートがポンと手を叩くと、玄関ホールに続くドアから、無愛想の顔をした小人が12人ゾロゾロ入ってきた。
それはただの小人ではなかった。
12人全員が金色の翼をつけ、ハープを持っていた。
アスカは、もうクスリとも笑っていなかった。

「私の愛すべき配達キューピッドです!」

アスカの代わりに、ロックハートがにっこりと笑った。

「今日は学校中を巡回して、皆さんのバレンタイン・カードを配達します。そして、お楽しみはまだまだこれからですよ! 先生方もこのお祝いのムードにはまりたいと思っていらっしゃる筈です! さあ、スネイプ先生に『愛の妙薬』の作り方を見せてもらってはどうです! ついでにフリットウィック先生ですが、『魅惑の呪文』について私が知っているどの魔法使いよりもよくご存知です。素知らぬ顔して憎いですね!」

フリットウィック先生は両手で顔を覆い、セブルスは『愛の妙薬』をもらいに来た最初の者には毒薬を飲ませてやる、と言っているような顔をしていた。
アスカはもう、無表情無関心で残りのオートミールを食べ終えると無言でけばけばしい大広間から逃げるように足早に立ち去った。
小人達は一日中教室に乱入し、バレンタイン・カードを配って先生達をうんざりさせた。
かく言うアスカも何枚か貰ったが、知らない人からであったり、この騒動に面白がって悪乗りした双子からふざけたメッセージを貰っても全く嬉しくなく、むしろ大迷惑だった。
差出人の中に、アーニーの名前があって、無理矢理受け取らされたアスカは苦々しい顔で鞄の奥底にしまった。
もう少しでアスカに杖を突きつけられるところだったというのに、そんな事はもう忘れてしまったのか、アーニーは大物だとある意味で感心した。
そんな中、午後も遅くなってグリフィンドール生が『妖精の呪文』の教室に向かって階段を上がっている時、小人が誰かを追いかけて来た。

(また来た。今度は誰宛?)

先生方同様うんざりしているアスカが胡乱気に小人の向かう先を眺めていると、小人は目的の人物の名を大きな声で叫んだ。

「オー、貴方にです! アリー・ポッター!」

とびきり顰めっ面の小人が人の群れを肘で押しのけてハリーに近付く。
ちょうどハリーは一年生が並んでいる真ん前で、その中にジニーがいた。
ハリーは、ジニーの目の前でカードを渡されたら堪らない、と真っ赤な顔で逃げようとした。
ところが小人はハリーを逃がさなかった。
ハリーが2歩も歩かない内に前に飛んで回り込み、顰めっ面のまま叫ぶ。

「アリー・ポッターに、直々にお渡ししたい歌のメッセージがあります」

その言葉が聞こえてしまったアスカは、まるで自分がそう脅されたようにヒッと息を飲んだ。
ハリーの顔がどんな色になっていて、どんな表情になっていても構わず、小人は竪琴をビュンビュンかき鳴らす。

「ここじゃダメだよ!」
「動くな!」

逃げようとするハリーを小人は鞄をがっちり捕まえて引き戻す。

「放して!」

捕まれた鞄の手を振り解こうと、ハリーが鞄をグイッと引っ張り返しながら怒鳴る。
次の瞬間、ビリビリと大きな音がしてハリーの鞄が真っ二つに破れた。
鞄の中に入っていた本、杖、羊皮紙、羽根ペンが床に散らばり、インク壺が割れてその上に飛び散った。
小人が歌い出す前に、とハリーは急いで拾い集めたが、廊下は渋滞して人集りが出来てしまった。

「何をしてるんだい?」

そこへ、冷たく気取った声が響いた。
ドラコが床に散らばるインクまみれの荷物を必死で拾っているハリーを見下ろしていた。
ハリーは、破れた鞄に何もかもがむしゃらに突っ込み、ドラコに歌を聞かれる前に逃げ出そうと必死だった。

「この騒ぎは一体何事だ? ベル、君がいるのに何故こんな渋滞になっているんだ?」

さらに、もう1つ声が増えた。
グリフィンドール監督生パーシーだ。
アスカはパーシーと視線が合ってしまい、咎めるような言葉を受けて、眉間に皺を寄せた。

「パーシー、それはどういう意味? あたしは監督生じゃないわ」

ハリーを手助けしたくてうずうずしていたアスカが、パーシーは自分の事を何だと思っているのか、と不快に感じて出た言葉だった。
だが、アスカの存在もあることに気付かされたハリーの頭はもう真っ白になり、ともかく一目散に逃げ出そうとした。
しかし小人がハリーの膝の辺りをしっかと掴んだものだから、ハリーは床にばったり倒れた。

「これでよし。貴方に歌うバレンタインです」

小人はハリーの踝の上に座り込んで逃げられなくすると、ハープを奏で始める。
ハリーの健闘虚しく、無情にも歌が始まった。
それは、控え目に言っても素敵とは思えない歌だった。

「あなたの目は緑色、青いカエルの新漬のよう。あなたの髪は真っ黒、黒板のよう。あなたが私のものなら良いのに。あなたは素敵。闇の帝王を征服した、あなたは英雄」

まるで拷問だった。
歌を聞き終えて、アスカは自分が貰ったのはバレンタイン・カードだけで本当に良かったと真っ先に思った。
ドッと湧き上がる笑い声に混じってハリーも無理して笑った。
中には笑い過ぎて涙が出ている者もいたが、アスカは少しも笑うことが出来なかった。
一年生に紛れたジニーが真っ赤な顔を隠そうと俯いているのが見えたからというのもあるが、愉快だとは少しも思わなかったからだ。
無理して乾いた笑い声をあげるハリーはヨロヨロと立ち上がるが、小人に乗られていたせいで足が痺れていた。

「さあ、もう行った、行った。ベルは5分前に鳴った。すぐ教室に戻れ」

パーシーがシッシッと下級生を追い立てたのは、ハリーにとって幸いだった。

「マルフォイ、君もだ」

パーシーの声に促されてハリーとアスカの視線がドラコを見ると、ドラコは屈んで何かを拾い上げたところだった。
ドラコは横目でハリーを見ながら、クラッブとゴイルにそれを見せている。
アスカにはそれが何かのノートのように見えたが、大きさからしてハリーの日記帳なのかもしれない。

「それは返してもらおう」
「ポッターは一体これに何を書いたのかな?」
「マルフォイ、それを渡せ」
「ちょっと見てからだ」

ドラコの口振りとハリーの様子から、やはりハリーの日記帳か、とアスカが結論付けて呆れたように溜め息を吐く。

(人の日記を読むなんて趣味が悪い。これは、流石に注意した方が良さそうね)

ドラコの子供みたいな行動に呆れながらもアスカは一歩進み出る。

「マルフォイ君、それをハリーに返して。悪趣味よ」
「! ダンブルドア……」

アスカの言葉に、日記帳を振りかざす手がビク、と固まった。
その隙をハリーは見逃さなかった。

「エクスペリアームス!」

ハリーが素早く振った杖から紅の閃光が走り、日記帳はドラコの手を離れて宙を飛んだ。

「武装解除の呪文…」

アスカはまさかハリーが呪文を使うとは思っていなかったので目を丸くして、日記帳が飛んでいく軌道を目で追う。
ロンの手が日記帳を受け止め、ハリーににっこりと満足気に笑ってみせた。

「ハリー! 廊下での魔法は禁止だ。これは報告しなくてはならない。いいな!」

せっかくの明るいムードに釘刺すパーシーの声が浴びせられたが、ハリーもロンも気にしていないようだった。
日記帳が無事に戻って来たということもあるのだろうが、ドラコを出し抜けられた、とか、一枚上手に出れた、とかそういうことに喜んでいるんだろうなと考えながらアスカは歩を進める。
そろそろ教室に向かわなくてはまずい。
自然とドラコのそばを通るジニーと同じようなタイミングですれ違った時、ドラコはジニー目掛けて意地悪く叫んだ。

「ポッターは、君のバレンタインが気に入らなかったみたいだぞ」

忽ちジニーは両手で顔を覆い、教室に走り込んだ。
歯を剥き出したロンが杖を取り出すより先に、アスカが杖を振るった。

「シレンシオ!」

途端に笑い声を上げていたドラコの口から声が出なくなった。

「暫く黙ってなさい。耳障りだわ」
「〜〜っ、〜〜〜っ!」

ドラコが慌てたようにアスカに何かを言っているようだったが、ドラコの口から漏れるのは空気だけで、冷たく気取った声は少しも出てこない。

「ベル! 君まで廊下で魔法を使うなんて!」
「パーシーごめんなさい。好きに報告してくれて構わないわ」

少しも悪いと思っていないとばかりにパーシーに告げ、アスカはフリットウィック先生の待つ妖精の呪文の教室へ向かう。
授業を遅れた理由に、あの例の小人の事を話せば、フリットウィック先生はさめざめとしながら許してくれるだろうとアスカは思った。

(そういえば、ハリーの荷物はインクまみれになってたな。あれはもう落ちないだろうなあ…)

無事に授業に参加出来たアスカはふと思い出して眉を下げた。

(───…あれ? でもさっきの日記帳、インクで汚れてた?)

たが、フリットウィック先生の声を聞きながら、自分の言葉に違和感を感じて思い返したアスカは、日記帳がインクの汚れがなくきれいだったと記憶を辿って怪訝に眉を寄せる。
チラリとハリーを見ると、ハリーがちょうど日記帳を見ているところだった。
ハリーもどこか不思議そうな顔をしているようにアスカには見える。

(──…偶々インクを被らないくらい遠くに落ちただけ? なにか、闇の魔法の掛かったいわくがあるモノじゃ、ない…わよね?)

そもそもいわくのある品をどうやってハリーが手に入れられるのか。
クリスマスプレゼントにそんなものをハリーに送りつけてくる者などいないし、何より怪しいモノをハリーが使うとは思えず、アスカは「考え過ぎか」と溜め息と共ににその考えを吐き出した。