「ベル!」

夕食後、うんざりするような大広間からさっさと出たアスカは、大きな声に呼び止められて振り向いた。
大きな体を揺らしてハグリッドが近付いてくる。
アスカは大きな手を振るハグリッドにうんざりしていた顔を笑顔に変えた。

「ハグリッド! 久し振りね」
「お前さん、最近ハリー達と居らんようだが喧嘩でもしとるのか?」

近付いてきたハグリッドは、大きな手でアスカの頭をグリグリ撫でながら心配そうに問う。
頭がぐらんぐらん揺れるのでアスカは目眩を起こしそうになり、ハグリッドの腕をペチペチ叩く。

「ハグリッド、目が回る!」
「おお、すまん」

アスカの抗議に頭から手が離れる。
まだクラクラとしていたが、最近のアスカは目眩に慣れてきてしまっていたので、もう、と苦笑いを浮かべただけだった。

「ハリー達とはちょっと…喧嘩、はもう終わったような気がするんだけどね。ちょっとやりたいことがあって、あたしが単独行動してるようなもの…かな?」
「俺にはよく分からんが…今、ホグワーツはちょいと危ない事が起こっとる。お前さんなら大丈夫だと思うが気ぃつけろよ?」
「ありがとう。ハグリッドも気をつけてね?」

アスカが頷いて言うと、ハグリッドは視線を不自然に彷徨わせた。

「あー────…、うん」

歯切れの悪いハグリッドに、アスカは首を傾げる。
ハグリッドは隠し事が苦手だ。
今も顔に、何かあります、と出ていた。

「ハグリッド? 何かあった?」
「───…ベル、俺はもしかしたら…ホグワーツを追い出されるかもしれん」
「え? 何で?」
「……………」

ハグリッドの言葉にアスカは問うが、ハグリッドは口をモゴモゴさせるばかりで続きを言い出さない。

「…もしかして、秘密の部屋が何か関係してる?」
「!」

小さな声で問いかけたアスカにハグリッドは大袈裟なくらい反応を示した。

「──…ハグリッド、こっち!」

アスカとハグリッドの居る場所は玄関ホールで、時刻は夕食時。
今もレイブンクローの生徒達が3人、アスカ達を怪訝な顔で一瞥して寮へ帰って行った。
アスカは、ハグリッドの大きな手を掴んで力一杯引っ張り、空き教室にハグリッドの背中を押して入れると自分も入ってドアを閉める。

「詳しく聞かせてくれる?」

明らかに挙動不審なハグリッドを落ち着かせるようになるべく穏やかな声音でアスカは言った。
アスカは実年齢はとうに成人しているし、一度ホグワーツも卒業している。
だが、そんな事を知らないハグリッドは、口にするのを躊躇っていた。
ダンブルドアの養女とは言え、一生徒に話すにはそれ程重い内容なのだろう。
けれど、アスカには思うところがあった。
いつもうっかりサラッと口を滑らせてしまうハグリッドだが、今回は口ごもるハグリッドを促したのはアスカだが、それでも自分から話を切り出したのだ。
まるで、聞いて欲しいと言っているようだった。

(あたしに聞いてほしい話がある? けれど、なかなか切り出せない…そんなところかな?)

アスカは、やれやれと小さく溜め息を吐いた。

「ハグリッド、話したい事があって玄関ホールであたしを待ってたんでしょう? ハリーには聞かれたくない話? それなら話したりしないから安心して。ハグリッドがホグワーツから居なくなるなんて嫌だよ。協力出来ることがあるなら言って? 言ってくれなきゃ、何にも出来ないわ」
「ベル……お前さんは…本当に優しい子だ。そんな所まで、アスカにそっくりだ…」

ハグリッドのつぶらな瞳が涙ぐむ。

「ふふ、そんなにそっくり? じゃあさ、あたしをアスカだと思ったら話せるんじゃない? ハグリッド、仲が良かったんでしょう?」
「ああ、アスカとも仲良くしてもらっとったが、それよりもアスカの父さん…ウィリアム・フィーレンとは年こそ離れておったが兄弟みたいにウマがあった。あいつが動物や生物好きだったということもあるが、ウィリアム…ウィルは動物からも良く好かれてた。ウィルがホグワーツに在学していた頃はよくドラゴンについて語り合ったもんだ。アスカは幼いときに祖母に日本からこっちに連れ出されてしまったようだが、よく寝物語で俺との話を聞いていたらしくてな。ホグワーツに入学してすぐの頃に会いに来てくれたんだ。それからの付き合いで…アスカはよく俺のとこに来ては禁断の森に入って絵を描いたり、読書をしたりしていたな。そういえば、趣味もお前さんとよく似とる…俺の事を描いてくれたこともあったな。俺が大きすぎて紙に入りきらない!、と怒っとった」

ハグリッドは昔を思い出して、楽しそうに笑う。
アスカも、その頃を思い出して自然と笑みが浮かんだ。

「ウィルの時もそうだったが、アスカが死んじまったと聞いた時はそれはもう悲しかった。ホグワーツに入学した時は能面みたいに無表情だったアスカが、友人が出来て、よく笑うようになった。俺はそれが嬉しかった。これから、もっと幸せになって欲しいと思っとったのに……」
「ハグリッド…」

懐かしそうに緩んでいたハグリッドの顔が、悲しげに歪んだ。
アスカは、ハグリッドが自分の事をどう思ってくれていたのかを知り、胸がきゅう、と痛んだ。

「───ベル、お前さんは50年前に秘密の部屋が開いた事があることを知っとるか?」
「知ってる。ダンブルドア先生から聞いた」

真剣な顔でハグリッドはアスカを見つめて問いかけた。
アスカが頷いて答えると、ハグリッドは肩を落とす。

「俺が、ホグワーツを退学になっとるのも聞いとるか?」
「………知ってるよ。確か、50年位前に─────……え?」

思い出したアスカは、目を見開いた。
2つの件の時期が、不自然なほど符合していることに気が付いたからだ。

「そう、俺は50年前に秘密の部屋のせいで退学になっとる。俺が、飼っとったペットが人をこ、殺したと……あの子が、秘密の部屋の怪物だと……あの子はそんな事出来なかったのに………」
「……50年前に、部屋の怪物のせいで人が死んでいるの?」

アスカは、衝撃的な事実に声が震えた。

「女子トイレで、女生徒が1人亡くなった。ベル、信じてくれんかも知れんが、俺は50年前だって部屋を開けておらんし、ペットをけしかけて人殺しもしとらん!」
「は、ハグリッド、落ち着いて。あたしは別にハグリッドを疑ってなんかないよ。ハグリッドがスリザリンの後継者とは思えないもの」
「……そうか。…50年前は、ダンブルドア先生以外誰も信じてくれんかった。皆、トム・リドルを信じた」
「トム・リドル?」
「俺を捕まえた優等生だ。───ベル、今はダンブルドア先生が情報の流出を抑えてくださっとるが、このままでいればその内魔法大臣が俺を捕らえにくる」
「そんな……だって、ハグリッドは何もしていないのに?」
「前例があるからな…俺は、まだ良いが……もしかしたら、ダンブルドア先生まで巻き込んでしまうんじゃねえかとそれを心配しとる。もし、俺がアズカバンに行くことになったら、ファングを頼む。あいつはお前さんに良く懐いとるからな」

ハグリッドの言葉に、アスカは頷く。
ハグリッドが自分に頼みたかったのはファングの件なのだろう、とアスカは思った。

「……ハグリッド、1つだけ教えて」

用事は済んだとハグリッドがドアに向かう背をアスカは引き止めた。

「50年前の時のあなたの友達は、今どうしてるの?」
「今は森に居る。女生徒が襲われた時、あいつは……アラゴグは、外に出してくれと俺に強請った。アズカバンに行く前に、俺はアラゴグを逃がした。アラゴグはいい奴だ。アラゴグは、今まで一度も人を襲ったことはないぞ」
「……そう、分かった。色々教えてくれてありがとう」

アスカはにっこりと微笑んでハグリッドに手を振った。
ハグリッドは少し複雑そうな顔をしていたが、話してスッキリしたのかアスカに手を振り返して退室していった。

「───ありがとう、ハグリッド。あなたの為にも、早くしなきゃ」

アスカは目を細めると、そう呟いて思考に耽る。

(ハグリッドが重要な手掛かりを教えてくれた)

1つは、50年前に殺された女生徒が1人いたこと。
もう1つは、トム・リドルという名前の生徒。
アスカにはその名前に覚えがあった。
最後に、怪物の正体を知っているかも知れないハグリッドのペットが、禁断の森に今も居ること。
3つ共、スリザリンの後継者に繋がる糸口に違いなかった。
アスカが最初に向かったのは、トロフィー室だった。
ハーマイオニーと喧嘩したあの日、セドリックに連れられて訪れた以来来ていなかったが、変わらずに残っている目的のものを見てアスカは目を細める。

「T・M・リドル、特別功労賞受賞。日付は50年前…やっぱり、彼がハグリッドの言っていたトム・リドル」

アスカは、金色のピカピカに磨かれた盾の他に、『魔術優等賞』の古いメダルと首席名簿にも同じ名前を見つけ出した。

「相当優秀な生徒だったのね。…確かに、彼が相手ならハグリッドが何を言っても、先生方は彼の方を信じたかも知れない」

アスカはそっと嘆息する。

「彼が今も生きているなら、彼からも話を聞くことが出来るのでしょうけど……生きているか、今どこに居るのかも分からないもの、無理ね」

探すにしても時間がかかってしまう、とアスカはトロフィー室を退室した。
そのままの足で、アスカは3階へ向かう。
誰も居ない松明が薄暗く照らす廊下を静かに歩き、女子トイレの前に立つと音を発てないようにドアを開けた。
後ろ手でドアを閉めると、啜り泣きの聞こえてくる小部屋に向かって声をかける。

「マートル、居るんでしょう? あたしよ」
「……ベルじゃないの。久し振りね…」

幾らか間をおいて、上半身を小部屋のドアを通り抜けたマートルがアスカを見た。

「ちょっと教えて欲しい事があるの」
「何よ? 私は今、忙しいのよ。早くして」

分厚い眼鏡のレンズの奥の目に涙を浮かべているマートルが、苛々しながら促す。

「あー…貴女が死んだ時の事が、知りたいの」

アスカが躊躇いがちに言った言葉で、マートルは忽ち顔付きが変わった。
それはそれは嬉しそうな顔でマートルは小部屋から出てきた。

「怖かったわ! 正にここだったの。この小部屋で死んだのよ。よく覚えてるわ。オリーブ・ホーンビーが私の眼鏡の事をからかったものだから、ここに隠れたの。鍵を掛けて泣いていたら、誰かが入って来たわ。何か変な事を言ってた。外国語だった、と思うわ。とにかく、嫌だったのは喋ってるのが男子だったってこと。だから、出ていけ、男子トイレを使え、って言うつもりで鍵を開けて、そして───…死んだの」

唐突に話が終わった。

「トイレの鍵を開けた瞬間に? 他には何も覚えてないの?」
「黄色い目よ。大きな黄色い目玉が2つ。体全体が、ギュッと金縛りにあったみたいで、それからふーっと浮いて…そしてまた戻ってきたの。だって、オリーブ・ホーンビーに取っ憑いてやるって固く決めてたから。あぁ、オリーブったら、私の眼鏡を笑った事を後悔してたわ」

嬉々として話すマートルに、アスカは思案気に頷く。

「そう。その黄色い目はどこで見たの?」
「あの辺りよ」

マートルが指差したのは、小部屋の前の手洗い場だった。
アスカはゆっくりと警戒しながら手洗い場に近付くと、調べ始める。

「他には? もう覚えてない?」
「そうね…特には思いあたらないわ」

マートルは手洗い場を調べながら問うアスカの傍でふよふよ宙を漂いながら唸って首を振った。

「あ、その蛇口ずっと壊れてるわよ」

アスカが指先で触れた銅製の蛇口を見てマートルが言う。

「…水が出ないの?」
「いっておくけど、私が壊したんじゃないわ」
「ふふ、マートルったら。そんな事考えてないよ」

マートルの言葉にクスクス笑いながらアスカは蛇口の脇の所に引っ掻いたような小さな蛇の形が彫ってあるのに気付いた。

(もしかして、ここが秘密の部屋への入口?)

「───ねぇ、マートル。トイレに入ってきた男子が外国語を話してたって言ったわね? それって、もしかして蛇みたいな言葉じゃなかった?」
「蛇? うー…ん……そうね、言われてみればそんな気もするわ」

マートルの返答にアスカは確信を得た。

(ああ、ここだ、間違いない。──けれど、パーセルマウスじゃないあたしでは開けられない)

アスカは手を額に宛て、天を仰ぐように上を向いた。

「忙しいのにごめんね、マートル。もう1つだけ教えて」
「え? あぁ、何よ?」

自分が最初にアスカに言った言葉を思い出してマートルは促す。

「マートルが生きていた時、パーセルマウスの生徒がいなかった?」
「──そ、そんなの分からないわ。そんな子がいるなんて知らないし、友達なんていなかったから聞いたこともなかったわよ!」

マートルの目にみるみると涙が溜まり、最後にはボロボロ零れ落ちてマートルは叫ぶように言って小部屋の中へ猛スピードで戻って行ってしまった。

「あー…ごめんなさい、マートル。あたし、寮に戻るね」

苦笑いを浮かべて、また来るよ、と告げてアスカは女子トイレから出た。
寮へ戻る道すがら、アスカはマートルから聞き出した情報を整理していく。

(50年前にマートルを殺したのは、秘密の部屋の怪物で間違いない。おそらく、継承者がたまたま秘密の部屋を開けたその場に、マートルが出くわしてしまったんだ。怪物……いや、黄色い目を見たマートルは、死んでしまった。けれど、どうして今回は、誰も死なずに石になっているの? 怪物の他の能力? それとも、継承者の魔法? 継承者といえば、パーセルマウスだ。ホグワーツの中にパーセルマウスがいる。ハリーの他に、もう1人。秘密の部屋を開ける為の言葉が蛇語なら、もしかしてハリーにも開ける事が出来る?)

思い至った事にアスカは息を呑んだ。
ハリーが気付けば、自ら飛び込むことは容易に想像できる。
アスカは険しい顔付きで再度思考に沈む。

(50年前にも部屋を開けた人が居るなら、今回はその人の子孫か、もしくはその人自身ってことになるけれど、前者なら探し当てるのは容易じゃない。代々ホグワーツ出身の家が、数えきれないほどある。ファミリーネームが変わっている可能性もある。後者の方は……居そうにない。年齢から考えて、該当者が居ない。ゴーストなら分からないけれど…。けれど、ゴーストが字を書いたり出来る? ポルターガイストのピーブズなら出来るでしょうけど、彼は違う。──怪物の正体も、もう少しで分かりそうなのに。黄色い目玉が2つ、それを見ると金縛りにあったかのように死んでしまう……そんな怪物、いたかしら? 継承者も、怪物も、あと一歩手が届かない……それとも、あたしは何かを見落としているの?)

うんうん唸りながら寮に入り、談話室を素通りして部屋へ入る。
考えても現状では答えは出てこなかった。
アスカは自分のベッドに倒れ込む。

(そう言えば、もう一つあったな。ハグリッドが教えてくれた……)

考えすぎた頭を少し休ませようと、ぼんやりと天井を眺めていたアスカは、ハッと上体を起こした。

「アラゴグ……そうよ、アラゴグ!」

大きな声が出てしまい、慌てて口を押さえて部屋の中を見渡す。
幸い、アスカ以外の同室者は室内に居なかった。

「……ハグリッドにお願いして、アラゴグの所へ連れて行って貰おう」

(ハグリッドが言っていたじゃないか。女生徒が襲われた時アラゴグは外に出たがっていた、って。アラゴグは、怪物をきっと知っている。嫌っているのか、恐れているのか分からないけれど、きっと相性が悪いんだ。アラゴグに会えば、怪物の正体が分かる筈だ)

アスカは、手の中に僅かに残っている真実への糸を手放さないように、ぎゅう、と握り締めた。