螺旋階段が一番上まで上がった所で降りたアスカは、扉を叩く。
音もなく扉が開くと、そのまま躊躇うことなく入ると、扉の傍の止まり木に止まっていた一羽の鳥がアスカを呼び止めるように力無く鳴いた。

「フォークス? 貴方……」

振り返ったアスカは、羽を半分毟られたような草臥れた鳥…ダンブルドアのペットの不死鳥の名を呼んで眉を下げた。
アスカが歩み寄り、フォークスのその嘴を撫でるとやんわりと目を細めるものの、いつものような元気で美しい姿とはかけ離れている。

「『燃焼日』が近いのじゃ。明日、明後日にはその時が来るじゃろう」
「ダンブルドア先生」

背後から聞こえた声に振り返ると、ダンブルドアが自慢の髭を撫でながらアスカに歩み寄る。

「今夜は確かギルデロイ・ロックハート氏の提案された『決闘クラブ』があった筈じゃが…アスカは参加しなかったのかのう?」
「参加しましたよ。だから先生を訪ねるはめになったんですから」

いつもの好好爺とした風体のダンブルドアにアスカは幾分か勢いを殺がれながらも息を吐く。
アスカのどこか焦っている様子にダンブルドアは片眉を僅かに上げると、背もたれの高い椅子に腰掛け、アスカにも椅子を勧める。

「どうやら何かあったようじゃの。楽しい話なら大歓迎なのじゃが…」
「ダンブルドア先生はご存知でしたか? ハリーがパーセルマウスだったということを!」

アスカは上品とはかけ離れた態度でダンブルドアの勧めた椅子に座り、ダンブルドアのどんな挙動をも逃がさないとばかりに、睨みつけて言う。

「……ハリーがパーセルマウスじゃと? それは……確かなのかのう?」

アスカは、決闘クラブでハリーがドラコとモデルペアとして対峙する事になり、その際にドラコが魔法で出した蛇に話しかけた事を話した。
話を聞いたダンブルドアは、小さく唸り何やら思考を巡らせているようだった。

「───アスカ、そう睨まんでくれんかのう。お主が見た通りを話してくれたのだとしたら、ハリーはそう、パーセルマウスなのじゃろう。それをわしは知っていてお主に黙っていたわけではないよ。わしも、すべてを知っているわけではないのじゃ」
「……先生の話を信じるのなら、今回の件はそうなのかも知れませんが…けれど、やっぱり先生はあたしに先生がご存知になっているすべてを話しているわけではないのではないですか? 例えば、何故ハリーが蛇語を話せるのか…先程までは知らなかったとしても、今は何か考えついた事がありますよね? 秘密の部屋に関しても…50年前に一度開いたことがあったなんて知りませんでしたよ」

いかがです?、とアスカが挑むように問えば、ダンブルドアは驚いた顔をして見せた。

「わしの娘は、ハリーの事になると相変わらず随分と手厳しいのう」

ふぉふぉふぉ、と陽気に笑いながらダンブルドアが数度頷く。

「茶化すのはおやめ下さい。誤魔化されませんよ」

アスカはダンブルドアを真っ直ぐ見つめる。

「────そうじゃの。確かにそうじゃ。わしはアスカにすべてを話しているわけではない。うっかり話し忘れた事もあるし、わし自身がまだ言わずにおいた方が良いだろうと判断して言ってない事もある」
「 !! 」
「ハリーとアスカの為じゃ。わしはハリーを護りたいし、同じくらいお主も護りたいと思っておる。ハリーの事になるとお主は自分の事などどうでも良くなってしまうじゃろう? それではダメじゃ。お主も、お主の持つ優れた能力も、代えることが出来ないかけがえのないものじゃ。無くしたくはない……そう、考えておるのじゃ。それに、ハリーにとってもお主のように傍で支えて見守ってくれる存在は大事じゃ。アスカにとってハリーが特別な護るべき存在であるように、ハリーにとってもお主は特別な存在になっているとわしは思っておるよ、アスカ」

ダンブルドアの言葉に、アスカは頭を殴られたような衝撃を受けた。
ダンブルドアが言った、『ハリーの事になると自分の事などどうでも良くなってしまう』という言葉に、身に覚えがあった。
多少の無理をしても守護のピアスがあれば大抵は大丈夫、ハリーを護れるなら最悪自分の死すら仕方ない、そう覚悟していたが、ハリーの為を思うのなら、それではいけないのではないか……考えを見透かされ、諭されているようにアスカは感じた。
黙りこむアスカに、ダンブルドアは優しい声音で続ける。

「パーセルマウスは確かにハリーには辛い状況になるじゃろうが、それでもマンドレイク薬が出来上がってしまえば、石になった者から誤解は解けるじゃろう。今大事なのはお主の事じゃ、アスカ。先見から予測して石になるのじゃろうと考えてはいるが、お主がそうなった時、石ではなく死体が発見される…という事もあり得るのじゃ。怪物の正体も分からず、スリザリンの継承者も誰か分からぬのじゃから。ヴォルデモートの死の呪文の時のように、また眠り姫になるとは限らんのじゃ。努々忘れるではない、警戒を怠ってはならぬぞアスカ」
「…はい、ダンブルドア先生」

アスカは殊勝な態度で頷き、ダンブルドアの部屋から退出しようと立ち上がって踵を返した先に、見知った姿を見て目を丸くした。

「セブルス」
「決闘クラブでの件を校長に報告、進言しに来たのだが先客がおってな。我輩の用事は済んだからもう帰る所だ」

何故、と問う前に告げたセブルスは、言い終わるや否やサッサと踵を返す。
暗に送っていってくれるというセブルスの意図に笑いながらアスカはダンブルドアの部屋から退出した。

「……………ありがとう、セブルス」

セブルスの背に早足で追いついたアスカが礼を述べるが、セブルスは何の反応も示さなかった。

「仕方ないから、今日の件はプラマイゼロにしてあげるよ!」
「……意味が分からん」

眉間に皺を寄せて怪訝な顔をアスカに向けたセブルスに、アスカは楽しそうに笑ったが、暫くして真剣な表情でセブルスを見つめる。

「ねえ、話、どこから聞いてたの?」

アスカの視線を受けて、セブルスは見つめ返す。

「……我輩に聞かれて困る話をしていたのか?」
「したと言えば、したかな。セブルスは怒る、かも」
「…………分かっているなら、塔でジッとしていろ。今のホグワーツはお前にとっては安全ではない」

セブルスの呆れたような声音に、アスカは不安気に視線を彷徨わせる。

「もし……もしも、あたしがそうなっても、最期まで足掻いて生き延びてみせると言ったら、セブルスはあたしを信じてくれる? 10年間、信じてくれていたみたいに……あたしは、簡単には死なないから。継承者が誰なのか分からないし、怪物にどんな恐ろしい力があるか分からないけど……それでも、信じてくれる?」

アスカの問いに、セブルスは黙り込んだ。
ガーゴイル像の壁が開かれても、2人はその場で立ち止まったままだった。

(……やっぱり…都合が良すぎるか。不確定要素と不安要素ばかりの中で、信じて欲しいだなんて…)

諦めて、やっぱりいいや。ごめん、と謝ろうとセブルスに視線を戻したアスカは、セブルスの表情に息を呑んだ。

「我輩に自分が言ったことをもう忘れているのか?」

心の底から呆れたように、残念なものを見るかのような、アスカにとって心外な表情でセブルスは重い溜め息をやれやれとどこか芝居がかったような動作で吐いて言う。
カチン、と頭にくるようなその態度にアスカの眉間に皺が寄る。

「我輩は、お前以上の怪物など闇の帝王と校長位しか知らんからな」
「ちょ、セブルス!? その2人と並べないでくれる!?」
「くだらないことを悩んでないで、さっさと寮に戻って寝ろ。消灯時間はとっくに過ぎている。生徒はベッドの中にいるべき時間だ。必要な睡眠を摂らねば成長しないぞ」

アスカの抗議など歯牙にもかけず、セブルスは鼻で笑うようにして歩き出す。

「ちょっと! あたしが貴方と同い年なの知ってるでしょ!? あ、いや…正確に言うと10歳違うんだけど……でも、それでもとっくに成人してるんですけど!? ご存知ですよねぇ!?」

アスカはバタバタと足音を発てながら、早足のセブルスを追いかけ、怒り心頭で文句を口々に言う。

「ねえ聞いてる!? セーブールースー!! 蝙蝠お化けー!! ドラキュラ伯爵ー!! 陰険教授ー!! 薬学馬鹿ー!! …えーっと、あとは……」
「アスカ、自分でその口を閉じられないようなら、我輩が閉じてやるがどうする?」

アスカが思い付く限りの悪口を述べていると、セブルスがギロリと睨んで脅した。
その表情があまりにも恐ろしかったので、アスカはぐぅ、と次いで言おうとしていた言葉を飲み込み、ぷいと顔を背けた。

「──〜っ、黙れば良いんでしょ、黙れば!!」
「クク、それは残念」

口を閉じたものの不満たらたらな事を隠そうともしないアスカの態度に、セブルスは喉で笑った。

(セブルスなら本当に魔法で口を縫い付けたりしそうだもの。………でも、信じてくれているって事は分かったから、まあ…いいか。多少の失礼は水に流してあげましょう。今に始まったことでもないしね)

アスカが黙らないのなら、魔法ではなく物理的に塞いでやろうと企んでいたセブルスが、心中では本当に残念だと思っていたなどアスカは知る由もなかった。





翌日、前夜に降り出した雪が大吹雪になり、学期最後の薬草学の授業は休講になった。
スプラウト先生がマンドレイクが凍えるのを防ぐために靴下を履かせ、マフラーを巻く作業をしなければならず、授業を行える状況ではなかったからだ。
厄介な作業で他の誰にも任せることが出来ない事、更には石になってしまったMrs,ノリスとコリン・クリービーを元に戻すため、一刻も早く育ってくれることが最重要だった。
ハリーの事が心配だったグリフィンドールのアスカが談話室に降りていくと、ハリーがハーマイオニーとロンに、「ジャスティンは誤解しているに違いない」と話している声が聞こえてきた。
その声音と様子は苛々として、どこか焦燥している風にアスカには見える。
淑女のする事ではないと思いながらも、聞き耳をたててしまうのは仕方ない。

「僕が、あの蛇に『襲うな』って言わなかったら、ジャスティンはきっと首を食いちぎられてた。僕は助けてあげたのに!」
「そんなに気になるんだったら、こっちからジャスティンを探しに行けばいいじゃない」

ロンと空いた時間を魔法のチェスをして過ごしていたハーマイオニーが見かねたように言えば、ハリーは少し逡巡した後談話室を出て行った。
ハリーの後ろ姿を見ていたアスカが視線をもとに戻すと、バチリとハーマイオニーと視線が重なる。

「あ…」

どちらからともなく零れ出た言葉は、続く言葉が見つけられないまま互いに視線を逸らした。
そのまま談話室から逃げるようにアスカは塔をでると、ついでだからとハリーの後を追う事にした。

(予想していたけど、ハリーがパーセルマウスだって確定したわね)

昼だというのに、窓の外では灰色の雪が渦巻くように降っていたので、城の中はいつもより暗く、寒かった。
暖かな談話室から急に下がった温度にブルリと震えながら、ハリーの姿をキョロキョロ探すが、とんと姿が見えない。

「見失った」

よっぽどハリーは気になってやきもきしていたのだろう。
ハーマイオニーとロンなら、パーセルマウスがどんなものかハリーに聞かせている筈だ。
ホグワーツの開設者の1人であるサラザール・スリザリンは蛇と話せる事で有名であり、だからこそスリザリンのシンボルが蛇なのだ。
昨日の大広間で、ハリーは蛇がジャスティンを襲うのを止めたのかも知れないが、傍目からはハリーが蛇を唆しているように見えた。
悲しいかなアスカの目にも、そのように見えてしまった。
ハリーがそんな事をする子ではないことをアスカは知っているが、他の生徒達がどの様に感じたか…アスカの予想が当たっているのなら、ハリーには辛い日々が待ちかまえているだろう。
ハリーがいくら声を大にして、「ジャスティンを襲おうとしていた蛇を止めてジャスティンを救った」と言っても、誰も蛇語が話せないし分からないので、その事を証明出来ない。
自分の目で見た通りなのだと信じる者が殆どだろう。

「ジャスティン、ってあの蛇と睨めっこした子よね。ハッフルパフのネクタイをしてた。今日合同授業だったから、ハッフルパフも休講なのよね。真面目な子だったら、図書室で勉強してたりするかしら?」

休講となったアスカ達グリフィンドールの二年生とハッフルパフの二年生以外は、皆授業を受けている筈だ。
ハッフルパフの談話室に居るのだとしたら打つ手がないが、図書室に行けば居るかも知れない。
もし本人が居なくても、ハッフルパフの生徒がいれば談話室から呼び出してくれる可能性もある。
ハリーが頼んで、呼んでくれるかは分からないし、更にはジャスティンが応じるかの問題はあるだろうが、きっとハリーは可能性のある図書室に向かったに違いない。
そう考えたアスカは、図書室へ向かって歩き出した。
授業中のクラスの音を聞きながら、迷いなく進むアスカだが、ダンブルドアやセブルスに言われた事を忘れてはいない。
いつでも取り出せるように袖に杖を忍ばせ、辺りを警戒するのを怠ったりはしなかった。
何事もなく図書室に辿り着いたアスカは、静かに入室するとハリー、もしくはジャスティンの姿を探して図書室の中を歩く。
ジャスティンがどんな顔だったかうろ覚えで自信はないが、見れば分かる筈とアスカは安易に考えていた。

(もし、ハリーが居なくて、ハッフルパフの子達も居なかったら……諦めて談話室に帰る……か、このまま読書でもしようかな)

この前セドリックが薦めてくれた本が面白かった、等探しながらも暢気にそんな事を考えていたアスカは、微かに聞こえてくる話し声に導かれ、足をそちらへ向けた。

「じゃ、アーニー、貴方絶対にポッターだって思ってるの?」

近付いてはっきり聞こえてきた声をアスカは知っていた。
本棚の間の奥の方で、ハッフルパフ生達が塊ってコソコソと話をしていた。
その中に、アスカは金髪を三つ編みにした女の子、ハンナ・アボットを見て声をかけようとしたが、先に口を開いた少しぽっちゃりとしている少年の声に出鼻を挫かれてしまった。

「ハンナ、彼はパーセルマウスだぜ。それは闇の魔法使いの印だって皆が知ってる。蛇と話が出来るまともな魔法使いなんて聞いたことがあるかい? スリザリン自身のことを皆が『蛇舌』って呼んでた位なんだ。──壁に書かれた言葉を覚えてるか? 『継承者の敵よ、気をつけよ』ポッターはフィルチと何かゴタゴタがあったんだ。そして気が付くとフィルチの猫が襲われた。あの一年坊主のクリービーは、クィディッチの試合でポッターが泥の中に倒れている時、写真を撮りまくってポッターに嫌がられた。それ以前にも、ポッターに煩くつきまとっていたのは皆知ってる。そして気が付くとクリービーがやられていた」

確かに、少年の言い分も当たっている部分はあったが、それでも理由としては弱いのではないかとアスカは思った。
フィルチとゴタゴタなんてグリフィンドールの双子はしょっちゅうあるし、フィルチは生徒達全員を嫌っている。
クリービーは、ハリーだけではなくアスカにも付きまとっていた。
確かに鬱陶しくはあったが、石にされる程ではない。

「でも、ポッターって良い人に見えるけど。それに、ほら、彼が『例のあの人』を消したのよ。そんなに悪人である筈がないわ。校長先生の養女でもあるベルのお友達だし、悪人ならベルは仲良くなんてしないわ。どう?」

少年の言葉に納得出来ないという顔のハンナが反論するが、少年は意見を変えていないようだった。
訳あり気に肩を落とし、皆にもっと近付くように合図を出す。
ハッフルパフ生達は額がくっつきそうなくらい近寄り、先程より声を落とした少年は皆の顔を見回しながら話し出す。

「ハンナの言う通り、僕は不思議に思ってたんだ。新学期が始まった時はベル・ダンブルドアは去年と同じ様にポッター達と一緒にいた。けれど、フィルチの猫が石になって暫く経った後…ちょうどクィディッチのスリザリンとグリフィンドールの試合があった後くらいから、彼女はポッター達から離れた。四六時中4人でいるほど仲が良かったのに、急に、だ。変だと思うのが普通だろ?」
「それについては私、気になったから直接ベルに聞いたわ。ベルは、ちょっと意見が合わなくて喧嘩しちゃったのよ、でも嫌いになって離れてる訳じゃないわ、ってそう言ってた。喧嘩なんて私達の間だってあることだし、そういう理由なら珍しくもなんともないと思うけど?」

少年の話を止めて、ハンナが言うと、自分も聞いた、と何人かの生徒もハンナに頷く。
だが少年は頭を振った。

「違う違う。ハンナ達にはそう言い訳したんだろうけど、きっと真相はそうじゃないと僕は思う」

ハッフルパフ生達は、少年が言いたい事が分からずに首を傾げる。

「ベル・ダンブルドアはポッターの本性に気付いたのさ。何があったのかは分からないけど、ぼくが考えるには医務室だ」
「医務室?」
「そう。クリービーが襲われた時、彼女はポッターを庇ったせいで医務室に泊まった。ポッターと一緒にね。その時に知ってしまったのさ。もしくは気付く切欠になるようなことが起きたんだ。彼女は正義感が強くて聡明で行動力がある。友人思いで自分の意見をはっきりと言える人だ。そんな彼女がポッターの本性に気付いたら一緒に仲良くなんて出来ないだろ? グレンジャーやウィーズリーにもポッターのことを言った筈だ。けれど、あいつらは信じなかったんだ。だから、彼女1人でポッターの傍を離れた」
「でもアーニー、そうなるとベルが校長先生に話したらすぐにポッターを捕まえられることが出来るんじゃないの? 校長先生はベルの養父だもの、今の今まで退学になってないのはおかしいわ」

「ってかアーニー、ベルのことそういう風に見てたのね。ちょっと…熱狂的なファンって言うか、信者というか」「お前知らなかったの? アイツは前にクリービーがサイン入り写真がどうのって話していた時、自分も欲しそうに見てたの気付いてなかったのか?」「え、アーニーって…まさか……そうだったの?」、と他のハッフルパフ生達がコソコソヒソヒソとアーニーに聞こえないように囁きあう。
額がくっつきそうな程近寄っている為、ばっちり少年…アーニーに聞こえてしまっており、アーニーの顔は真っ赤になっていたが。
アスカも自分の話が出て割り込み辛かったのに、ヒソヒソ声が聞こえてきてしまって、尚更声をかけ辛くなってしまった。

(あの子…アーニー君? の話は間違った方向に盛大に飛躍している作り話だ…でも、真実を知らなければそうなのかも知れないと思わせるような変な説得力を持ってる。ちょっと面白い話で続きが気になるけど、どこかで割って入って誤解を解かないと……ハリーが彼らを見つける前に、終わらせないと)

アスカは静かに辺りを見渡し、いつハリーが現れるのか分からない状態にハラハラしつつも、アーニーが自分の話をどう纏めるのか気になってしまってもいる。
自他共に認める本の虫であるアスカは、物語と言うものに自分でも呆れるほどにとことん弱いのだ。

「う、煩いな。彼女はあんなに魅力的なんだ、陰で憧れる位別に良いだろ? こほん。あー…っと、続きだけど、ベル・ダンブルドアが何故校長先生に言わないのか。それは、証拠がないからさ。彼女は決定的の瞬間を見ていないんだ。フィルチの猫の時はポッターと一緒にいたし、クリービーの時も医務室で一緒だった。ポッターが罪を犯している瞬間を見ていないに違いない。証拠がないから言えずにいるんだ。だからポッターはまだホグワーツにいる」
「それって…やっぱりなんだかちょっと……こじつけにも聞こえるわ」

ハンナの言葉に、アスカも途中までは中々良かったのに、最後の詰めが甘い、と頷く。

(ハリーと一緒にいて決定的な瞬間を見ていないと言うことは、要するにハリーのアリバイが成立しているということではないか。そこで怪物が〜…とか出て来ない辺り、矛盾が残る陳腐な三流推理小説だわね。つまらん)

さて、自分の話も終わったようだしそろそろ止めるか、とアスカが声をかけようとしたが、狙ったようにアーニーはまた話し出してしまった。

「ハンナはまだ分からないのか? いいか? ポッターが『例のあの人』に襲われてどうやって生き残ったのか、誰も知らないんだ。つまり、事が起こった時、ポッターはほんの赤ん坊だった。木っ端微塵に吹き飛ばされて当然さ。それ程の呪いを受けても生き残る事が出来るのは、本当に強力な『闇の魔法使い』だけだよ。だからこそ『例のあの人』が初めっから彼を殺したかったんだ。闇の帝王がもう1人いて、競争になるのが嫌だったんだ。ポッターの奴、一体他にどんな力を隠しているんだろう? もしかしたら、ベル・ダンブルドアもそれを恐れてポッターから離れたのかも知れないよ」

アスカはもう、三流推理小説だとかいう話など頭の中から抜け落ちていた。
代わりに、目の前が真っ赤に染まってしまうほどの怒りで目眩がするほどだった。
もう、ダメだった。
この話をハリーにはとても聞かせられない。
これ以上は、アスカは怒り狂う自分を抑えられる自信がアスカにはなかった。
だがアスカが一歩踏み出して姿を見せようとした所で、大きな咳払いでその足がたたらを踏むことになった。

(他に誰かが居る?! まさか──…)

自分の他に存在していた第三者の影に、アスカは脳裏に真っ先に浮かんだ人物に顔を青冷めた。
予想が外れて欲しいと祈るように願っていたアスカの居る本棚とは向かいに位置する本棚から、怒りを露わにした表情でハリーが姿を現した。
その姿が一瞬見えたアスカは、慌てて本棚により身を寄せて体を隠し、思わず声が漏れそうになった口を両手で素早く塞いだ。
全て咄嗟に身体が勝手に動いたことであり、無意識の行動だった。
隠れてから、アスカは自分の行動は正しかったのではないかと思った。
ハリーは、今の状況をきっと他の誰にも聞かれたくも見られたくも無いはずだ。
だが、この場から抜け出す事を決意するには気付くのが遅かった。
突然の自分達が今まさにしていた話題の人物の登場に、先程までのヒソヒソ声は止んでしまった。
息苦しいまでの静寂が、アスカの行動を阻んでいた。

「やあ。僕、ジャスティン・フィンチ-フレッチリーを探してるんだけど……」

静寂を遠慮なく切り裂いたハリーの怒りを孕んだ声と言葉が、ハッフルパフ生達を切り刻むナイフのように響いて、皆は不安と恐怖に固まり、恐々とアーニーの方を見た。
アスカはハリーの声音に、抑えきれない怒りを感じとって、心臓が握り潰されたようだった。

(ああ、ハリー…一体どこから聞いていたの? あんなに非道い…悲しい言葉をハリーが聞いていただなんて…。違うの、貴方が死なずにすんだのは…リリーが貴方を愛した印を、命を懸けて残したからなのよ。あたしは、貴方の両親がどれだけ貴方を愛していたか、良く知っている。ハリーが辛い思いをしているこんな時、それを知っているのに話してあげられないあたしを許して……)

アスカの目尻から涙がジワリと溢れ、頬をスルリと零れ落ちる。
漏れそうになる嗚咽を口を塞ぐ両手で食い止めながら、ごめんなさい、ごめんなさい、と心中で繰り返し謝る。

「あいつに何の用なんだ?」
「決闘クラブでの蛇の事なんだけど、本当は何が起こったのか、彼に話したいんだよ」

嗚咽を堪えながら、アスカは必死にハリーとアーニーの会話に耳を傾ける。
アーニーの声は、恐怖からかずっと震えている。

「僕達皆あの場に居たんだ。皆、何が起こったのか見てた」
「それじゃ、僕が話しかけた後で、蛇が退いたのに気が付いただろう?」
「僕が見たのは、君が蛇語を話した事、そして蛇をジャスティンの方に追い立てた事だ」
「追い立てたりしてない! 蛇はジャスティンを掠りもしなかった!」

ハリーが怒気を露わにアーニーに言えば、アーニーは恐怖で戦き震えているクセに頑固に言い切る。

「もう少しってとこだった。それから、君が何か勘ぐってるんだったら、僕の家系は9代前まで遡れる魔女と魔法使いの家系で、僕の血は誰にも負けない位純血で、だから──…」
「君がどんな血だろうと構うもんか!!」

アーニーが慌てて言い始めた家系の話に、ハリーは遂に怒りに声を荒げて遮った。

「なんで僕がマグル生まれの者を襲う必要がある!?」
「君が一緒に暮らしているマグルを憎んでるって聞いたよ」

アーニーが即座に答えた言葉に、アスカの脳裏に今年の夏に見たよく肥えた親子2人とリリーの姉の姿が思い浮かぶ。

「ダーズリー達と一緒に暮らしていたら、憎まないでいられるもんか。出来るものなら、君がやってみればいいんだ!」

ハリーは目を吊り上げて吐き捨てるように言い放つと踵を返してその場を離れた。
怒り心頭のまま図書室から出て行ってしまったようだった。
アスカは、目尻に残っていた涙と頬を流れ落ちた涙の跡をローブの袖で乱暴に拭い、深呼吸をする。
残ったハッフルパフ生達は、立ち去ったハリーに安堵し、緊張で強張っていた身体から急激に力が抜けたせいか、床に座り込んでしまっている者が殆どだ。
アスカの出番が漸く回ってきた。
今度こそ誰にも邪魔をされずにアスカは緊張を緩めた彼らの前に滑り出た。

「あなた達、そんな所でなにしてるの?」
「 !? 」
「ベル!?」

アスカは腹の中を暴れまわる怒りを抑え、静かな口調で呼び掛けると、ハッフルパフ生達は弾かれたように顔を上げた全員がアスカの姿を見ると、驚きで固まってしまった。
ハンナを始めとした何人かの生徒の顔から血の気が引いていく。
アスカはにっこりと笑みを浮かべると首を傾げ、固まっている皆に再度問いかける。

「あたしは、ここで、何を、していたのか、って、聞いているのよ?」

言葉を一つ一つ区切り、1人ずつの目を見つめ回しながら言ったアスカの態度に、抑えきれなかった怒りが滲み出てしまったのか、血の気の引いた顔に恐怖を浮かべる。

「答えられないの? 何か悪い事でもしていたのかしら? そうね、例えば───…」

一向に返事が来ないので、アスカは不思議そうに今度は逆の方向に首を傾げる。
その視線の先には、小太りの少年が驚きと恐怖と若干の嬉しさが混じった複雑な表情で固まっていた。
アーニーはアスカと視線が合うと、ゴクリと唾を嚥下する。

「あたしの友人を虐めていた、とか?」
「 !! 」

びくりとアーニーの肩が揺れた。

「き、聞いていたのか?」
「あ、あの、ベル……わ、私達は別に…」

震える声でハンナが小さく頭を振るが、アスカは笑みを消した。

「悪いとは思ったけど、あなた達が夢中で話していたものだから話しかけるタイミングが中々なくって………あたしの事もハリーの事も好き勝手に話していたようだけど、あなた達、あたし達の何を知っているの?」

アスカの腸は煮えくり返り、眼鏡の奥の瞳は怒りで陽炎のように揺れていた。

「詳しく知らないくせにいい加減な事は言わない方が良いわよ。例え憶測から出た言葉でも、一度口から飛び出してしまえば、その言葉に責任をもたなくてはならなくなる。言葉は簡単に人を傷付ける凶器になるし、場合によっては自分に倍になって戻ってきて首を締め付けてくる」

アスカの伸ばした手が、アーニーの首をスルリと撫でる。

「忠告しておくわよ。あたしって、友人思いで行動力があって、正義感もあるから、大事な友達が正しい事をしたというのに、真実を知りもしない愚か者に傷つけられたりしたら…ちょっと、何するか分かんないかな?」
「そ……れは………脅しか? 僕達を、あのブラッジャーみたいに粉々に爆破してやると言いたいのか? 君みたいな人が、あんな奴の肩を持つのか? 君は、あいつの本性に気付いたから傍を離れたんだろう? それなのに、どうしてあいつを擁護するようなことを言うんだ? 昨日、君も見たはずだ。僕達と同じ物を見たはずだろう?」

アーニーは、ハッフルパフ生とは思えないほど勇敢だった。
だが、言葉の選択を間違えてしまった。

「あたしがハリー達から離れているのは、意見の相違の為よ。貴方が変に推察しているような他の理由なんてないわ。───忠告したというのに、貴方はあたしの事を知らないようね? マルフォイ君ですらあたしが睨むと金魚の糞を2匹連れて逃げていくのに……手始めに、その害にしかなりそうもない口を縫ってしまいましょうか」

アスカの瞳を揺らしていた怒りの炎は成りを変え、炎さえ凍り付きそうな冷めた冷気にアーニーの表情が恐怖の色に染まる。

その声が聞こえたのはそんな時だった。

「襲われた! 襲われた! またまた襲われた! 生きてても死んでても、みんな危ないぞ! 命からがら逃げろ! おーそーわーれーたー!!」

図書室に居た全員が、その声に息を呑んだ。
最初に動いたのはアスカだった。
ハッフルパフ生達も顔を見合わせてアスカのあとを追うように駆け出す。
アスカは図書室の扉を開けて廊下に飛び出す。
他の教室からは授業を受けていた生徒達が次々に出て来ているせいで、廊下は大混乱になった。
アスカは生徒達が集まっていく方向に、人の波の間を縫うように早足で進んでいく。
階段を上がり、次の廊下を曲がると生徒達が立ち止まって廊下の先を見ようとひしめき合っていた。
そんな生徒達を上から宙を漂いながら見下ろし、ニヤニヤしているポルターガイストのピーブズの姿が見えた。
襲われた、と学校中に聞こえる大声で叫んだ声はピーブズのものだった。
先生方の生徒達を制止する声が響いており、アスカは何とか体を滑り込ませて騒ぎの現況を見ることが出来た。

「そんな……ニック…に、あれは…」

薄暗い廊下の真ん中辺りで『殆ど首なしニック』が、平素の透明な真珠色ではなく、黒く煤けたような姿で床から15センチ程上で真横に静止していた。
首は半分落ち、顔は恐怖が貼りついたまま硬直している。
そのすぐ近くで、冷たい廊下の床に寝転がっているのは、ハリーが探していたジャスティンだ。
ジャスティンは、ニックと同じ様にピクリとも動かず、恐怖を顔に貼り付けたまま光を映さない目が天井を凝視している。
ジャスティンとニックは、石になってしまった。
見ただけで、それが分かった。
2人の傍で、壁に張り付くようにしたハリーがいた。

「ハリー…」

喧騒の中、アスカの呟いた小さな声が聞こえたとは思えないが、ハリーはアスカを見た。
ハリーの顔は強張り、血の気が引いて真っ青だった。
アスカは思わずハリーに駆け寄ろうとしたが、マクゴナガルが珍しく廊下を走ってやってきて、杖を振るった。
忽ち大きな破裂音が響き渡り、それまで混乱して騒いでいた生徒達が驚いて静かになった。

「皆さん教室に戻りなさい。ここにいてはいけません、まだ授業中ですよ」

マクゴナガルの号令に、生徒達は次々に踵を返して大人しく戻っていく。
騒ぎが収まりかけアスカがほっとしたその時、アーニーが息咳ききって現れた。
すぐ隣に来たアーニーに驚いたアスカだったが、それよりもハリーを指差しながら口を開いたアーニーの言葉に、更に驚いた。

「現行犯だ!」
「ちょ…貴方、何言って…!」
「おやめなさい、マクラミン!」

マクゴナガルが厳しい口調でアーニーを窘めた。
マクゴナガルが呼んだことで、アスカはアーニーのファーストネームを漸く知ることになったが、必要があるとは思えなかった。
マクゴナガルや集まった先生方が、ジャスティンと殆ど首なしニックを調べている。
アスカはハリーを見たが、ハリーは2人を調べている先生方を見ていた。

(タイミングが悪い。ハッフルパフの子達に傷つけられて、そんな中でまた犠牲者が出た。しかも今回は、ゴーストのニックまでが石化されてる。ポルターガイストのピーブズならまだしも…一体どんな魔法を使えばそんな事が出来るの? 継承者は思っていたよりとんでもない魔法使いだ。それに加えて、正体不明の怪物まで居るだなんて……生徒達の恐怖はもう堪えきれない所まで近付いてきてる。恐怖に負けた誰かが、ハリーを退学させろアズカバンに放り込め、と、いつ言い出してもおかしくない)

アスカは力なく垂れていた手を握り締める。

(アーニーがその例だ。あんなひどく残酷な事を考える生徒達が増え、ハリーを陰で敵視して罵り、ハリーを傷つける。そんなハリーの状況を、あたしは自分の身が危険だ、大事だからと見過ごすことが出来る? ハリーを護るために再入学したのに、そんな事に果たして耐えられるだろうか?)

「───そんなの、無理に決まってるじゃない」

親友達の忘れ形見を、愛しいまだ12歳の子を傍で護り、立派に成長していく様を親友達の代わりにアスカが見届けるのだ。
それが、自分の役目だとアスカは思っていた。

(ハリーを苦しめるものがあるなら、あたしが排除する。あたしを狙っているなら、さっさと来ればいい。返り討ちにしてやるわ)

アスカは、ピーブズが意地が悪そうにニヤニヤ笑いながらふざけた歌詞の歌を歌い出し、マクゴナガルに一喝されているのを背後に聞きながら、アスカは足早にその場を離れた。

(ダンブルドア先生にもセブルスにも言わない。あたし1人で片付ける。無傷で、とはいかないかもしれないけれど、ちゃんと生きて、またハリー達の傍に戻ってみせる!)

そう決意したアスカには、するべき事があった。