コン、コココン、コンコン、といつものように独特なリズムでノックをすれば、名乗らずともそのドアは開いた。

「こんばんは、セブルス」
「……入れ」
「ありがとう」

ドアから現れた全身真っ黒な友人に、にっこり微笑むと、友人は眉間の皺はそのままにぶっきらぼうに告げ、アスカは部屋の中へ入った。
暖かな部屋の中で息を1つ吐くと、座り心地の良いソファーに腰を沈めた。

「何の用だ?」
「セブルス、あたし美味しい紅茶が飲みたい」

訝しげに聞いてきたセブルスの質問には答えず、アスカはにっこりと笑う。

「………………」

セブルスは、そんなアスカに寸の間黙ったが、やがて杖を一振りして紅茶を淹れた。

「ありがとう」

アスカはセブルスの出した紅茶にミルクと砂糖を入れてひと混ぜしてからカップを持つと、柔らかな湯気が上る乳白色の紅茶に、そっと息を吹きかけた。
ふわりと柔らかな香りが部屋に広がる。

「──それで? わざわざ紅茶を飲みにきたのではあるまい。何の用だ?」
「せっかちね。そんなにあたしをすぐ追い出したいわけ?」
「…生徒がこんな時間にベッドを抜け出しているんだ。さっさと帰さなくてはならんだろう」
「意地悪」

言葉とは裏腹にアスカはクスクスと笑った。
コクリと紅茶で喉を温め、カップをソーサーに置いたアスカは、ジッとセブルスを見つめる。

「──『秘密の部屋』のことよ」
「…やはりな。言っておくが、我輩は何も知らん」

セブルスは、おおよそ想像していたアスカの話に、さらりと答えて自分も紅茶のカップに手を伸ばした。

「伝説の話なら今日、ビンズ先生に聞いたよ」
「あのビンズ先生が? お前達に伝説の話を聞かせたのか?」

僅かに驚き、セブルスはそれから眉間の皺を増やした。

「セブルスは、秘密の部屋の伝説を知ってたのね。教えてくれれば良かったのに」
「話す暇などなかったろう。それに、お前の事だから知っているものだと思っていた」

コクリとセブルスの喉仏が上下に動くのを見ながら、アスカは首を振る。

「残念ながら、初耳だったのよ。誰からも聞いたことなかった。セブルスは、なんで知っていたの?」
「…ルシウス先輩から聞いた」
「ルシウスから?」

セブルスの言葉にアスカは目を丸くさせた。
脳裏にプラチナブロンドの嫌味ったらしい顔が浮かぶ。

「あの人、あたしにはそんな事教えてくれなかったけど」
「お前は先輩を毛嫌いしていたし、フィーレンの家でも会話らしい会話などしていないんだろう?」
「え? あー…そうだったかも。必要最低限しか会話していないし…でも、話す時間ならあったよ。あの人、フィーレンの後ろ盾欲しさにしつこい位構ってきてたもの」
「それならわざと話さなかったか、話さずとも問題ないと考えていたんじゃないか?」
「そうかしら。でも、ルシウスが貴方に話したって事は、『秘密の部屋』は、本当に存在するって事?」
「…………………」

セブルスは急に黙り込んだ。
アスカの表情や言動から、アスカが何を考えているのか探ろうとしているかのような目つきだった。

「アスカ、お前、部屋を探すつもりか?」
「まさか。そんな事するほど暇じゃない」

アスカは、とんでもないと言わんばかりに肩を竦めた。
その様子をセブルスは疑わしげに見つめる。

「──ポッターか」

徐に開かれた口から出てきた名前に、アスカは眉を上げる。

「唐突ね。何の話?」
「惚けるな。あの出しゃばり共が首を突っ込もうとしているんで、お前は止めたいんだろう?」
「わぁ、凄いわセブルス。まるでエスパーね」

大袈裟に芝居かがった風に言ったアスカにセブルスは眉を顰める。

「なんだそれは。お前のことを知っていれば簡単に推察出来る」
「嫌だな、セブルスったら。そこまであたしのこと分かってくれてるなら協力してよ。ルシウスから、継承者が誰か聞いていない?」

伺うように述べてアスカがカップを持ち上げると紅茶の優しい香りが鼻孔を擽る。

「スリザリンの後継者か。先輩からは聞いていないが、おそらくはサラザール・スリザリンの血縁者ではないか? 血に拘ってホグワーツを去ったのだ。部屋があるとするなら、鍵は純血…
サラザールの血で開かれるのではないか?」

セブルスもカップを持ち上げ、紅茶で喉を潤してから言えば、アスカはそういえば誰かも同じ事を言っていたなと一つ頷く。

「それはあるかも知れないけれど、だとしたらホグワーツの中にサラザール・スリザリンの末裔が居ることになるね」

そんな有名人の末裔ならば、ホグワーツで…というかあの狸爺が把握していないはずはないだろうというのがアスカの見解である。

「あくまで推論だ」
「そうね。まあ、後継者が誰かは置いといて、じゃあ怪物の方は? 秘密の部屋に居るとする怪物は、何だろう?」

紅茶の香りを楽しみ、コクリと飲んでセブルスに問えば、セブルスは肩を竦めた。

「我輩がわかるわけなかろう」
「石にする能力があるのよ、そう考えればわかりそうじゃない?」
「我輩は魔法生物の教師ではない。ハグリッドにでも聞け。それに、Mrs,ノリスを石にしたのは、後継者かも知れん」
「ハグリッドには聞けないからセブに聞いてるのに。仮に後継者が石にしたのだとしたら、ダンブルドア先生が解呪出来ない程の魔法を使うだなんて、そんなの怪物としか言いようがないじゃない」
「そういう定義を使うのなら、我輩の目の前にいるお前も怪物ではないか」
「失礼ね! 自分だって蝙蝠の怪物の癖に」
「………………」
「………………」

カチャリ、と互いにカップをソーサーに戻し、無言で睨み合う2人だったが、やがてセブルスが息を吐いた。

「…言い過ぎた」
「あたしこそ」

気まずそうに告げたセブルスに、アスカも眉を下げる。

「……お前が案じなくともマンドレイク薬が出来上がれば、騒ぎはやがて落ち着くだろう」

雰囲気を変えようと話を戻したセブルスに、アスカは顔を険しく変える。
その脳裏に浮かぶある光景があった。

「───このままじゃ終わりそうにないから、どうにかしようとしてるのよ」
「どういう意味だ?」
「…視たの。セブには言っておくね。あたし、襲われるみたい」
「何だと?」

セブルスが驚いたように目を見張った。

「それはいつ、どこで、誰にだ!?」
「わ、わかんない。今回は映像だけだったし、とても短かった。多分、誰かに呼ばれて、振り向いた瞬間……気を失った…か、もしくは石にされてしまったのかも」

Mrs,ノリスみたいに、と続ける筈だったアスカの口は、セブルスの表情を見て先を続けられなかった。

「…セブルス?」

漆黒がさらに深みを増し、闇に呑まれてしまったかのように光がなくなったセブルスの瞳に危うさを感じ、アスカは眉を顰める。
その瞳にジッと見つめられ、アスカは息が詰まったようだった。

「ダンブルドアには言ったのか?」
「……伝えて…ある」

居竦まれたようにアスカがぎこちなく返事を返すと、セブルスは頷いた。

「我輩からも伝えておこう」

セブルスの言葉に、アスカはホグワーツから追い出されそうな不安がこみ上げ顔を歪めた。

「あたしなら大丈夫だから。知ってるでしょう? このピアスがあれば、大抵の魔法なら跳ね返せる。それに、仮に石になってもマンドレイク薬で治してもらえるし……あたしをホグワーツから追い出すつもりなら、やめて。必要ないわ」
「知っているが、我輩はお前を失うのは二度とごめんだ」
「セブルス…」

自分が世間では死んだと見なされ、10年間寝ていた事を言われてはアスカは強く言えなくなってしまう。
だがそれでもアスカはホグワーツを追い出されるわけにはいかないのだ。

「あたしはハリーを守るためにホグワーツに居るの! 居なくちゃいけないの!」
「そのためなら死んでも良いと言うのか!? ふざけるな!」
「セブルス!」
「黙れ! そんな事は許さん!」

セブルスは勢いよく立ち上がりながら叫ぶと、アスカの手首を掴み、引っ張った。
ガシャン、と何かが割れる音が響く。

「!?」

急に腕に走った痛みと、視界が突然真っ黒になってアスカは混乱した。
なにか、暖かいものに包まれている…アスカは制服越しに伝わってくる温度に、自分がセブルスに抱きしめられている事に気付いた。

「…セブ……ルス…?」
「頼むから…時計塔でじっとしていろ…」

懇願するように掠れた声音が耳に響いて、アスカは思わず泣きそうになった。

(セブルス…ごめん……)

アスカは、ぐっとセブルスの胸を押した。
セブルスの腕がスルリと解ける。

「それが出来なかったから、あたしは10年間眠り続けていたし、今、ここに居るんだよ」
「アスカ…」

あの日、リリーとジェームズがヴォルデモートに殺され、ハリーの額に雷型の傷が出来たあの日、2人が殺される瞬間を先見したアスカは、考えるより先に身体が動いていた。
ジェームズが、何故来たんだと叫んだが、時計塔でじっとしてなど居れなかった。
2人は大事な友人であるし、生まれたばかりのハリーは小さくて、可愛くて、愛おしかった。
そんな3人の幸せを壊させるなんて、大事な友人を2人も失うなんて、怖くて、
頭にきて、黙って居られなかった。
目が覚めて、真実を聞かされ、助けられなかった2人を思い、どれだけ己を責めたか。
どれだけ悔いたか。
どれだけ嘆いたか。
胸に穴が空いたようだった。
心臓にまるで幾千もの針を突き刺されたかのようだった。
アスカは2人に誓ったのだ。
ハリーを守ると。
アスカは、にっこりと笑う。

「大丈夫。あたしは死ぬつもりなんて毛頭ない。あたしが死んだら誰が意地悪な教授からハリーを守るの? セブルスから点をもぎ取れるグリフィンドール生なんて、あたししかいないんだから」
「おい」

セブルスはアスカの言葉に眉間に皺を寄せた。

「ふふっ、任せて。あたしを信じて。あたしは怪物なんでしょう?」
「っ、…お前って奴は───…」

呆れたようにセブルスが言えば、アスカはふふん、と鼻を高くして笑った。

「─────…分かった。だが、今後1人で行動はするな」
「……………………」

深く溜め息を吐いたセブルスが、仕方がないとばかりに髪を掻きあげて言うが、アスカは返事をしない。

「アスカ、聞いてるのか?」
「…だって、そんな事したらセブルスとこうして会えなくなっちゃうじゃない」
「!ッ」

口を尖らせて言ったアスカの言葉に、セブルスの動きが止まる。

「…………………………」
「セブルス?」

ふいっと突然そっぽを向いたセブルスに、アスカは不思議そうに首を傾げた。

「……会いたい時は手紙を寄越せ」
「!、分かった!」

笑顔で頷くアスカに、セブルスは隠れて先程より深い溜め息を吐いた。

「そろそろ戻れ。送っていく」
「あぁ、そうだね。お願いします」

ぺこりと頭を下げたアスカに、セブルスは割れてしまったカップとソーサーを杖を振って直し、アスカの背をドアの方へ押しやった。

「そんなに押さなくてもちゃんと帰るよ」
「さっさとしろ」

もう、とアスカは眉を寄せながらドアを開けた。

(早く部屋から追い出さないと、我輩の理性が保たん…)

ホグワーツ内を歩いているときは、夜中とはいえ他の教師やゴースト…特にピーブスに見つかるとまずいため、終始無言だったのだが、グリフィンドール寮まであと少しといった場所で、アスカは思い出したように声を出した。

「どうした?」
「うん。ひとつ言い忘れてた」
「?」

アスカは、にっこりと微笑むとセブルスの手を取る。

「!?」
「信じてくれてありがとう、スネイプ先生。おやすみなさい」

照れたように仄かに頬を赤らめ、はにかんで笑って言うが早いか、アスカは持ち前の駿足で太った貴婦人のもとへあっという間に駆け、流れるように合い言葉を言って、唖然としたままのセブルスに手を振ると寮へと入って行った。

「───あ、あの大馬鹿者め…っ」

不覚をとられたセブルスは、普段の土気色の肌を朱色に染め上げていた。
口を手で覆い毒吐くが、一向に顔の熱は引いてはくれなかった。
セブルスは一つ舌打ちして、踵を返し歩き出す。
そんな彼を見ているものは誰も居なかった。





ピクシー妖精の悲惨な事件以来、ロックハートは教室に生き物を持ってこなくなった。
その代わりに自分の著書を拾い読みし、時にはその中でも劇的な場面を演じて見せた。
現場を再現する時はたいていハリーを指名して自分の相手役を務めさせた。
ハリーがこれまでに無理矢理演じさせられた役はどれも微妙な役柄で、アスカはハリーに同情せざるを得なかった。
下手に口を挟んではアスカまでもが標的になるからと優しいハリーに諭され、闇の魔術に対する防衛術の授業はアスカの忍耐力強化の授業と化していた。
だがもう一つ、ハリーが1人で耐えているのには、ロックハートを上機嫌にしておかなければならないという使命も関係していた。
その理由をアスカは聞いていたが、乗り気ではない。
ハリーが狼男を演じているのを見ながら、アスカは溜息を吐く。
アスカの隣に座るハーマイオニーの手には、一枚の紙切れがしっかりと握られている。

「────ねえ、本当にあんな奴に頼むつもりなの?」
「今更何を言い出すんだい? 他に適任者はいないだろう?」

アスカの問いに答えたのはハーマイオニーではなく、ロンだった。
アスカがハーマイオニーが座っているさらに奥を見れば、真剣な表情のロンがアスカを見ていた。

「──そうね、簡単に許可証にサインしてくれる可能性のある先生なんてあの人くらいでしょうけど…」

図書室の禁書の棚を閲覧する為の許可証にサインをしてもらう為、ハリーは我が身を犠牲にして頑張っている。
ホグワーツ中の教授方の中で、ハリー達がサインを貰える可能性のある教師はロックハートしかいないと言えた。

「ベル、君がアイツをよく思っていないのはわかっているけれど、協力してくれよ。僕たちはポ……あれ、ポリー……」
「ポリジュース薬」
「それ。その薬を作って、マルフォイの奴をホグワーツから追い出してやるんだから」

薬の名前を覚えていないロンに呆れた様子のハーマイオニーから助け船を貰いながらのロンの説得をアスカは受けるが、やはり乗り気にはとてもなれなかった。

「そんなことをして、もしマルフォイ君が違ったらどうするの? 次は怪しい別の誰かを同じようにして探すの? そもそもポリジュース薬って禁書にあるくらいだから難しいよ。薬の調合を間違えて、大惨事になったらマルフォイ君じゃなくてあたし達が退学になるかもよ?」
「う……だ、だからベルに協力して欲しいんだって言ってるじゃないか。ベルとハーマイオニーの2人なら絶対大丈夫だろう?」

アスカがロンに挑むように問いかければ、ロンは一瞬たじろいだが、それでも折れなかった。

「そうよ。魔法薬学は私よりベルの方が成績良いもの」
「そうそう、それに調合に必要な材料もベルにならスネイプだって簡単にとはいかなくても頼み込めばほんのちょっぴりだけでも分けてくれるかもしれない」
「は?」

アスカはロンが言った言葉に面食らい、思考が一瞬止まってしまった。

「………いやいや、いくら魔法薬学の成績が良いからってスネイプ先生はそんなことグリフィンドールの生徒にしないでしょ。スリザリンの生徒ならまだわかるけど」
「そうかもしれないけど、私たちの中で可能性があるとしたらベルだけだわ」
「はい?」

アスカは友人達が言っている意味がよく分からなかった。
セブルスと友人だと知られているのなら分かる。
だが、今のアスカとセブルス、二人の関係は生徒と教授であり、しかも敵対すると言われているグリフィンドールの生徒とスリザリンの寮監。
可能性など無に等しいと考えるのが第三者ではないだろうか。
顔を顰めるアスカだったが、そこで終業のベルが鳴った。
その音にハッとしてハリーとロックハートを見れば、ロックハートはいきいきとした様子で立ち上がり、反対にハリーはぐったりとしていた。

(ハリー、お疲れさま)

アスカが労るように視線を向けていると、ロックハートが朗らかな声で告げる。

「宿題。ワガワガの狼男が私に敗北したことについて詩を書くこと! 一番良く書けた生徒にはサイン入りの『私はマジックだ』を進呈!」
(い、いらない!!! これっぽっちも欲しくない!!!)

アスカが愕然としていると、ハリーが戻ってきた。
周りは席を立ち始め、出入り口は込み合い出している。

「用意は?」
「みんながいなくなるまで待つのよ」
「あたしはやっぱりやめた方が良いと思う」
「ベル? 何を言ってるの?」
「ベル、もう覚悟を決めて。やるしかないのよ」

行くわ、とハーマイオニーはぐっと紙切れを握りしめ、ロックハ−トのデスクへ近づいて行った。
ハリーとロンがその後に続き、アスカは3人の背中を暫し眺めた後、息を吐く。

(どうせ薬は作れっこないもの…協力する振りだけしておいて、いざとなったらダンブルドア先生に報告。ここで傍に居られなくなる方がまずい。それに、あたし自身1人になるのもまずい)

アスカは、3人の後を着いてロックハートのデスクに近付いていった。

「図書室からこの本を借りたいのですが、これが『禁書』の棚にあって……どなたか先生にサインをいただかないといけないんです。先生の『グールお化けとのクールな散策』に出てくるゆっくり効く毒薬を理解するのにきっと役立つと思います」
「あぁ、『グールお化けとクールな散策』ね!」

ハーマイオニーの言葉にロックハートは差し出された紙を受け取り、ハーマイオニーににっこり笑いかけながら頷いた。

「私の一番お気に入りの本と言えるかも知れない。面白かった?」
「はい、先生。本当に素晴らしいわ。先生が最後のグールを茶濾しで引っかけるやり方なんて……」

さすがはハーマイオニーだ、とアスカは感心した。
熱が込もったハーマイオニーの答えにロックハートは機嫌がますます良くなったようだ。

「そうですね、学年の最優秀生をちょっと応援してあげても誰も文句は言わないでしょう」

アスカは、自分の協力など必要ないではないかと思いながらことの成り行きを傍観していたが、ロックハートと目があった瞬間にアスカは顔の表情筋を必死に引き締めた。

「それに、さらには学年次席の校長先生の養女まで応援するとあっては文句どころか、お褒めを与っても良いでしょう」
「あ…ありがとうございます……」

アスカは俯きながらも絞り出したような声で答えると、ロックハートは、Ms,ダンブルドアは慎ましい女性ですね、と自分に声をかけてもらって恥ずかしがっている少女を見るように笑って頷く。
実際はアスカは自分の表情筋が活動をしないように、暴言を吐こうとする口を両手で塞ぐために俯いているのだが、ロックハートにはその様子が恥じらう乙女の姿に映ったようだ。
上機嫌のロックハートはにこやかに笑い、とてつもなく大きい孔雀の羽根ペンを取りだした。
ハリーはその羽根ペンは見覚えがあったため動じなかったが、初めて見たロンは呆れかえった顔をした。
その表情をどう勘違いしたのか、ロックハートは自慢気に笑う。

「どうです。素敵でしょう? これは、いつもは本のサイン用なんですがね」

言いながらさらさらととてつもなく大きい丸文字ですらすらサインをして、ロックハートはそれをハーマイオニーに返した。
ハーマイオニーがもたもたしながらそれを丸め、鞄に滑り込ませている間、ロックハートはハリーに話しかけた。

「で、ハリー。明日はシーズン最初のクィディッチ試合だね? グリフィンドール対スリザリン。そうでしょう? 君はなかなか役に立つ選手だって聞いているよ。私もシーカーだった。ナショナル・チームに入らないかと誘いも受けたのですがね、闇の魔術を根絶する事に生涯を捧げる生き方を選んだんですよ。しかし、軽い個人訓練を必要とする事があったらご遠慮なくね。いつでも喜んで私より能力の劣る選手に経験を伝授しますよ」

ハリーは喉から曖昧な音を出し、今にも杖を突きつけそうなアスカの背を押して、急いでロンやハーマイオニーの後を追った。

「信じられないよ」

ハリーがサインを確認しながら言った。

「信じられない」

アスカはサインを見もせずに低い声で言った。

「僕たちが何の本を借りるのか、見もしなかったよ」

ロンが呆れたようにサインを確認しながら言った。

「あの無駄にきらきらした目は飾りなんじゃないかしら」

アスカは呆れたように息を吐く。
何が慎ましい、だ。
必死に色々堪えていただけだとアスカは一人で呟く。

「そりゃあアイツは能なしだもの。まあどうでもいいけど。僕たちは欲しい物を手に入れたんだし」
「ロックハート先生の目は飾りなんかじゃないし、能なしでもないわ」

アスカとロンの言葉にハーマイオニーが抗議した。

(ハーマイオニー、学年の最優秀生だって言われたのがよっぽど嬉しかったのね…)

先ほどの熱を込めた言葉は、演技ではなかったのかも知れないとアスカが考えていると、ロンがぽつりとこぼした声がアスカが考えていた事と殆ど同じで…思わず笑ってしまった。

防衛術の教室からまっすぐに図書室まで来たアスカ達は、押し殺したような静けさの中で、司書のマダム・ピンスの元へ向かった。
マダム・ピンスは痩せて怒りっぽい人で、飢えたハゲタカのようだった。

「『最も強力な魔法』?」

ハーマイオニーが差し出した許可証に書かれた本のタイトルをマダム・ピンスは疑わし気に読み、許可証をハーマイオニーから受け取ろうとした。
だが、ハーマイオニーは手を離さない。

「ハーマイオニー?」
「これ、私が持っていてもいいでしょうか?」

ハーマイオニーが手を離さない理由に合点がいって、アスカは苦笑いを零す。

「やめろよ」

ハーマイオニーがしっかり掴んでいた紙をロンがむしり取るようにして奪うとマダム・ピンスに差し出した。

「サインならまたもらってあげるよ。ロックハートときたら、サインする間だけ動かないでじっとしてる物だったら何にでもサインするよ」
「それに今日出た宿題を頑張れば、サイン入りの本が貰えるじゃない」

ハリーとアスカは、名残惜しそうにマダム・ピンスの手に渡ったロックハートのサイン入り許可証を見つめるハーマイオニーを慰めるように言った。
マダム・ピンスの検査を無事に通るとマダム・ピンスは大きな黴臭い本を持ってきた。
ハーマイオニーは受け取ると大切そうにそれを鞄に入れる。
いそいそと図書室を出ていく友人たちの後を追いながら、アスカはこちらをどこか疑わし気にまだ見ているマダム・ピンスに軽く会釈をすると、友人たちを見失わないように図書室を出た。

「どこで読むつもりなの?」

先頭を歩くハーマイオニーに問えば、ハーマイオニーは「3階の女子トイレ」と小さく答えた。

(なるほど、マートルの所なら誰も来ないわね)

アスカが納得する横でロンが異議を唱えた。

「3階の女子トイレってあの嘆きのマートルの所だろう? 嫌だよ、別の場所がどこかあるよ。もっとましな場所が」
「そうよ、ロンの言う通り。まともな神経の人はあんなところには絶対行かない。だから私達のプライバシーが保証されるのよ」

ハーマイオニーはロンの異議を却下した。
ハーマイオニーの言葉は正論だった。
だが、正論故にアスカは眉間に皺を寄せた。

「ハーマイオニーの言うことはもっともだけど、ここにまともじゃない神経の人が1人いるんだけど…」
「「「あ…」」」

マートルはアスカの友人の1人だ。
ハーマイオニーはそれを忘れていたわけではなかったが、言い方が少しだけ悪かった。

「ご、ごめんなさいベル…でも、私…」
「大丈夫。悪気がないのは分かっているし、あの子とあたしが友達なのも計算の内に入ってるからなんだろうってことも分かってるよ」

アスカは眉を下げて苦笑いを零す。

「…そういえば、ベルはどうやってあのマートルと友達になったの?」

ロンの口振りは、自分なら絶対に友達になんてなれそうにない、という心の声が聞こえてきそうな雰囲気だった。
ハーマイオニーが言った通り、まともな神経の人は嘆きのマートルとなど友達になんてなれそうにない…というか、なりたいとは思わないだろう。
だが、アスカはそんなマートルに助けて貰った事があった。
それは、まだジェームズ達と友達になっていなかった一年生の頃の話だ。
アスカは、その頃を思い出してそっと懐かしそうに目を細める。

「昔、無神経な人に酷い事を言われて…泣いていたときに助けて貰った事があるの…マートルは、そんなつもりなかったのかもしれないけどね」

アスカがポツリと言えば、ハリー達はなんとも複雑そうな顔をした。
どこかしんみりとした雰囲気の中、ロンがぽつりと呟く。

「………ベルが泣くとか想像つかない…」

その声にハーマイオニーが顔を顰めた。

「ベルだって女の子だし、涙を零す時だってあるわよ!」
「そ、そりゃぁそーだけど、ベルはあのマルフォイやスネイプにだって強気だし、実際に泣いてる所なんて見たことないし……それに怒るとママより怖い位だし……そんなベルが、って思うとやっぱり想像つかないよ」

ロンの言葉を非難するハーマイオニーに、ロンは自分でもまずいことを言ってるという自覚があるのか、たじろぎながらも述べる。
それにアスカは笑う。

「その頃のあたしは、今とは全然違ったのよ。今なら、多分ロンが言ってる通り、泣かなかったと思う。逆に杖が出てたかもね…ハーマイオニー、あたしは気にしてないから大丈夫よ」

クスクスと笑うアスカに、憤慨していたハーマイオニーはロンをギロリと睨んで黙った。
そのまま四人で無言のまま先へ進んでいると、ハリーがそっと近付いてきた。

「…どんな事を言われたの?」

それまで黙っていたハリーがポツリと聞いてきたので、アスカは視線をハリーへ移す。

「────……話すと長くなるから今度ね。あ、ほら着いたよ」