ひそひそと囁く声が集まり、ざわざわと騒がしい。
いくつもの視線が寄せられ、アスカ達は自然と身を寄せ合う。
「なんだ、なんだ? 何事だ?」
マルフォイの声に引き寄せられたのか、アーガス・フィルチが、肩で人混みを押し分けてやってきた。
そして、Mrs,ノリスを見た途端、フィルチは恐怖のあまり手で顔を覆い、たじたじと後退りした。
「私の猫だ! 私の猫だ! Mrs,ノリスに何が起こったと言うんだ?」
フィルチは金切り声で叫んだ。
そして、フィルチの飛び出した目がハリーを見た。
「お前だな!」
アスカは、フィルチの叫び声に気圧される事なくハリーを庇うように前に出た。
キッとフィルチを睨めつける。
「お前だ! お前が私の猫を殺したんだ! あの子を殺したのはお前だ! 俺がお前を殺してやる! 俺が……」
「違います! ハリーも、あたし達も、ただ見つけただけです!」
「アーガス!」
アスカが頭を振ってギラギラと目を光らせるフィルチに臆することなく告げれば、そこでダンブルドアが他に数人の先生を従えて現場に到着した。
先生方の中に友人の姿を見つけると、アスカはそっと肩の力を抜いた。
ダンブルドアは素早くアスカ達の脇を通り抜け、Mrs,ノリスを松明の腕木から外した。
「アーガス、一緒に来なさい。Mr,ポッター、Mr,ウィーズリー、Ms,グレンジャー、ベル、君達もおいで」
ダンブルドアに呼びかけられ、アスカ達は静かに頷く。
いそいそと、ロックハートが進み出た。
(居たのかナルシスト……)
アスカはロックハートが出て来た途端冷めた目つきに変わった。
「校長先生、私の部屋が一番近いです。すぐ上です。どうぞご自由に───…
」
「ありがとう、ギルデロイ」
人垣が無言のままパッと左右に割れて一行を通した。
ロックハートは得意気に、興奮した面持ちでせかせかとダンブルドアの後に従った。
マクゴナガルとセブルスもそれに続く。
セブルスと一瞬目があったアスカは、その目に色んな感情の色を感じ取りながらも、黙ってその背に続いて足を前に進めた。
(ロックハートの部屋に、校長先生とセブルスとあたし達……異様だ。というか、ナルシストの部屋とか考えるだけでも気持ち悪くて入りたくないんですけど……)
アスカは、誰にもばれないようにそっと溜め息吐いた。
灯りの消えたロックハートの部屋に入ると、何やら壁面があたふたと動いた。
アスカが視線を向けると、壁に掛けられた額の写真の中のロックハートが、何人か髪にカーラーを巻いたまま物陰に隠れた。
(げぇ……)
アスカは顔を引き攣らせながらも、見なかった事にしようと視線を前に戻す。
すると、本物のロックハートが机の蝋燭を灯し、後ろに下がった様だった。
ダンブルドアは、Mrs,ノリスを磨きたてられた机の上に置き、調べ始める。
ハリー、ロン、ハーマイオニーが緊張した面持ちで視線を交わし合うのに気付いたアスカは、蝋燭の灯りが届かない所に椅子を見つけ、座るようにと3人を促した。
3人は、ぐったりと椅子に座り込んだが、それでもダンブルドアの様子をじっと見つめていた。
Mrs,ノリスに折れ曲がった長い鼻がつきそうになる程の距離でMrs,ノリスを隈無く調べるダンブルドアと、ダンブルドアと同じくらいに近付いて調べているマクゴナガルを見つめていると、その後ろにただ漠然と立って居るだけのセブルスに気付いた。
半分影の中に立っているセブルスは、何とも奇妙な表情をしていた。
アスカは、その色んな感情が混じった表情に、目を細める。
(──あたしに対する心配と、呆れ、それからハリーを退学処分にできる事への期待……とかそんな所かな)
入り混じった友人の感情を推察しながら、アスカはまあ、ハリーを退学になんてさせないけど、と心中で呟く。
「猫を殺したのは呪いに違いありません。多分、『異形変身拷問』の呪いでしょう。何度も見たことがありますよ。私がその場に居合わせなかったのは、誠に残念。猫を救う、ぴったりの反対呪文を知ってましたのに……」
ロックハートが、ダンブルドアとマクゴナガルの周りをうろうろしながら、あれやこれやと意見を述べ立てていたが、誰も聞いてはおらず、その話の合いの手は涙も枯れたフィルチの激しくしゃくりあげる声だけだった。
(うるさい……少し黙ってて欲しい)
アスカは、眉間に皺を寄せていたが、机の脇の椅子にがっくり座り込み、手で顔を覆ったままのフィルチの様子に、眉を下げた。
まるでつい先日剥製になったばかりの猫のように見えるMrs,ノリスを、ダンブルドアがブツブツと呪文を呟き、杖で軽く叩く。
「──そう、非常によく似た事件がウグドゥグで起こった事がありました。次々と襲われる事件でしたね。私の自伝に一部始終書いてありますが。私が町の住人に色々な魔除けを授けましてね、あっという間に一件落着でした」
壁のロックハートの写真が本人の話に合わせて一斉に頷いていた。
1人、ヘアネットを外すのを忘れていたが、気付いていないようだった。
ダンブルドアが、漸く体を起こし、優しく言った。
「アーガス、猫は死んでおらんよ」
ロックハートは、これまで自分が未然に防いだ殺人事件の数を数えている最中だったが、慌てて数えるのをやめた。
「死んでない?」
フィルチが声を詰まらせ、指の間からMrs,ノリスを覗き見た。
「それじゃ、どうしてこんなに──こんなに固まって、冷たくなって?」
「石になっただけじゃ」
ダンブルドアの言葉に、アスカは目を見張った。
(石? 石になった?)
ロックハートが、「やっぱり! 私もそう思いました!」と、声を上げるが誰も反応しない。
「但し、どうしてそうなったのか、儂には答えられん……」
「あいつに聞いてくれ!」
フィルチは涙で汚れ、斑に赤くなった顔でハリーの方を見た。
さっとその視線から守るようにアスカがハリーの前に立つ。
「先程言った通り、あたし達はMrs,ノリスを見つけただけです」
「一年生がこんな事を出来るはずがない」
アスカに続いて、ダンブルドアが
キッパリと言った。
「最も高度な闇の魔術を以てして初めて──…「あいつがやったんだ! あいつだ!」」
ダンブルドアの言葉を遮り、ぶくぶく弛んだ顔を真っ赤にして、フィルチは吐き出すようにして言う。
「あいつが壁に書いた文字を読んだでしょう! あいつは見たんだ。───私の事務室で──あいつは知ってるんだ。私が……私が……」
フィルチの顔が苦しげに歪む。
「私が出来損ないの『スクイブ』だって知ってるんだ!」
フィルチがやっとの事で言葉を言い終えた。
フィルチがスクイブなのではないかという話は、確かにアスカとロンが話したが、それが一体何だというのだ。
アスカは、ふと壁に書かれた字を思い返していた。
「僕、Mrs,ノリスに指一本触れてません!」
アスカが考えていると、後ろでハリーが大声で言った。
ハリーに皆の視線が集まる。
壁のロックハートの写真さえハリーを見ていた。
「それに、スクイブが何なのかも知りません!」
「バカな! あいつはクイックスペルから来た手紙を見やがった!」
「ハリーはマグル出身で、クイックスペルの手紙の意味なんて分かるわけありません」
フィルチがアスカの言葉に歯噛みする。
その時だった。
「校長、一言よろしいですかな」
影の中から、セブルスの低い、ベルベットのような声が割って入った。
ハリーがハッと息を呑み、警戒心を露わにするのをアスカは感じた。
「Ms,ダンブルドアの言う通り、ポッターとその仲間も、単に間が悪くその場に居合わせただけかもしれませんな」
セブルスは、ハリーを見ながら冷笑していた。
まるで、自分はそうは思わないとばかりな友人の姿に、アスカはヒクリと口元を引き攣らせる。
(セブ、変なこと言い出さないでよ? ハリーを退学になんて……いくら貴方でも許さないわよ!?)
「とは言え、一連の疑わしい状況が存在します。大体、何故3階の廊下に居たのか? 何故ハロウィーンのパーティーに居なかったのか?」
「あたし達、ニックの絶命日パーティーに参加していたんです。ご存知でしょう? ハロウィーンの今日が、殆ど首無しニックの没命日だと」
「そうです! ……ゴーストが何百人も居ましたから、私達がそこに居たと証言してくれるでしょう」
ハーマイオニーがアスカの後に次いで答えた。
「それでは、その後パーティーに来なかったのは何故かね?」
セブルスの暗い目が、蝋燭の灯りでギラリと輝いた。
「それは──…」
ハーマイオニーは口ごもる。
「何故、あそこの廊下に行ったのかね?」
ロンとハーマイオニーがハリーの顔を見た。
ハリーの心臓は早鐘の様に鳴った。
自分にしか聞こえない、姿のない声を追っていったと答えれば、あまりにも唐突に思われてしまう……ハリーは、咄嗟にそう感じた。
「それは──つまり──…「あたし達、最初はハロウィーンパーティーに参加するつもりでいましたが、初めての絶命日パーティーで疲れてしまったんです。ご存知でしょう? 冷たい地下室で何百人というゴーストに囲まれる…生きている者は楽しめないパーティーです。体が冷え切ってしまって……時間の感覚も曖昧でしたし、一度グリフィンドール塔に戻ろうとしていたのです」」
アスカは、口ごもるハリーの言葉を遮り、セブルスが浮かべた冷笑を同じ様に顔に貼り付けスラスラと述べた。
それに一瞬口を閉ざしたセブルスだったが、すぐに口を開く。
「勿論知っている。ゴーストのパーティーで、生きた人間に相応しい食べ物が出ない事もな。夕食も食べずに部屋へ戻ろうとしていたのか?」
「食事は──「僕たち、空腹ではありませんでした」」
アスカの言葉を遮り、大声で言ったロンの胃袋がゴロゴロと鳴った。
「……………」
アスカは溜め息を吐きたくなるのを必死で堪えた。
(ロン…バッドタイミングだわ……)
セブルスは、これ幸いと底意地の悪い笑いを浮かべた。
「校長、Ms,ダンブルドア達が真っ正直に話しているとは言えないですな。全てを正直に話す気になるまで、彼の権利を一部取り上げるのがよろしいかと存じます。我輩としては、彼が告白するまで、グリフィンドールのクィディッチチームから外すのが適当かと思いますが」
「なっ…!」
「そうお思いですか、セブルス」
アスカが目を見開き、反論をしようと口を開く前に、マクゴナガルが鋭く切り込んだ。
「私には、この子がクィディッチをするのを止める理由が見当たりませんね。この猫は箒の柄で打たれたわけでもありません。ポッターが悪いことをしたという証拠は、何1つないのですよ」
ダンブルドアは、ハリーに探るような目を向けた。
キラキラ輝く明るいブルーの目で見つめられると、ハリーはまるでレントゲンで映し出されているように感じた。
ダンブルドアは、次いでアスカを見つめた。
アスカはダンブルドアの探るような視線を受けると、その瞳を静かに見つめ返した。
やがて、ダンブルドアはきっぱりと言った。
「疑わしきは罰せずじゃよ、セブルス」
その言葉にセブルスは酷く憤慨し、それはフィルチもそうだった。
「私の猫が石にされたんだ! 罰を受けさせなけりゃ収まらん!」
フィルチの目は飛び出し、声は金切り声だ。
「アーガス、君の猫は治してあげられますぞ」
ダンブルドアはフィルチを落ち着かせる様に穏やかな声で言った。
「スプラウト先生が、最近やっとマンドレイクを手にいれられてな。十分に成長したら、すぐにもMrs,ノリスを蘇生させる薬を作れるじゃろう」
「私がそれをお作りしましょう」
ロックハートが突然口を挟んだ。
「私は何百回作ったか分からない位ですよ。『マンドレイク回復薬』なんて、眠ってたって作れます」
(あんたが作った魔法薬なんて使われたら、Mrs,ノリスは今度こそただの剥製になるわね)
「お伺いしますがね」
セブルスの冷たい声が響く。
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