『窮鼠猫を噛む』
絶体絶命に追い詰められれば、弱者であろうと強者を討ち倒すことがある…といった意を持つ諺だ。
アスカはまさに今、そんな状態、心境だったが、生憎相手が悪く、噛みつけずにいた。
「確かにこの地図は、俺たちがフィルチから失敬したものだ」
「言わなくても分かってると思うけど、この地図の事を知ってるのは俺たちだけ」
「親友のリー・ジョーダンも」
「ましてやロンやハリーも」
「「だぁれも知らない!」」
同じ顔の双子は、いつものユニゾンでアスカをジリジリと攻めていく。
アスカは真っ青な顔でギリリと歯噛みし、双子を交互に見る。
言葉が出てこない。
「じゃあなんでベルは知ってるんだ?」
「なんでこのただの羊皮紙が地図だと知ってるんだ?」
「う゛ぅ…っ」
追い詰められて、もう後がない。
アスカは、なんと言い訳しても、双子に敵う気がしなかった。
「「さあ、白状してもらおうか!!」」
「…………………………」
どこか逃げ場を探して視線を泳がせていたアスカだったが、やがて観念したように大きく息を吐いた。
「これだから『悪戯仕掛人』は苦手なのよ」
やれやれと前髪を掻き上げる。
「そう、お察しの通り。あたしはアスカ・フィーレン。ベル・ダンブルドアは偽名」
「「やっぱり!」」
双子はアスカの暴露に興奮したように手を打ち合わせる。
「何で正体を隠してまでホグワーツへ?」
「ハリーの側に居て、ヴォルデモートから守る為に決まってるでしょ」
「「そ、その名前を言うな」」
「名前になんの力があるって言うの。名前を恐れるのは、そのものへの恐怖を助長させるだけ」
『ヴォルデモート』と聞いて震え上がった双子を呆れたように見て、アスカは肩を竦める。
「――ハリーはベルがアスカ・フィーレンだって気付いていないのか?」
フレッドの問いにアスカは気まずそうに視線を泳がせる。
「ハリーにも、ロンにもハーマイオニーにも話してないし、気付かれてもないわ。あの子達は、あたしの母親がアスカ・フィーレンだと思ってるから」
「そうか…。何で本当の事を話さないんだ?」
ジョージからの純粋な問いに、アスカは口ごもる。
痛い所を突かれてしまった。
何故、ハリーに本当の事を話さないのか。
話せないのか。
「それは―――…「ベルー?」…っ、」
ハリーのアスカを呼ぶ声が遮るように響いて、アスカは肩を揺らす。
顔をやれば、ロンとハリーが家のドアから不思議そうにこちらを見ていた。
「ジョージ! フレッド! ベル! 何してるんだい?」
「早く来いよ!」
「あ、うん! 今行く!」
2人に笑顔を向けて返して、アスカは双子を再度振り仰ぐ。
「話はまた今度にして。もう2人から逃げたりしないから…それから、分かってるだろうけど、この事は口外無用よ!」
「「オーケー。…って事は、今まではやっぱり逃げてたわけだ」」
「う゛ぐ………い、行きましょ」
3人は、ハリーとロンが早く早くと急かすのに促され、駆け出した。
「あ、そうだ! 重要な事を聞き忘れてた」
あともう少しだという頃になって、ジョージが何かを思い出したかのようにアスカの肩を掴む。
「もう! 後にしてってば!」
「君、スネイプとはどんな関係?」
「はい!?」
まさかセブルスの名前が出るとは思わず、アスカの口から素っ頓狂な声が出た。
「なんだって? ジョージ、君、今何て言った? スネイプが……何?」
だが、その問いに返事をしたのはアスカではなかった。
「何だよハリー。怖い顔して…」
ジョージもフレッドも、険しい顔になったハリーに訳がわからず、困惑しながら問う。
「スネイプとベルは何の関係もないよ。ただの教授と生徒だ」
低い声でそう断定するように言ったハリーに、アスカ達は何も言えず、暫し沈黙が過ぎる。
「あ、そんな事より、ウィーズリーおじさんがお待ちかねだよ」
「う、うん」
頷いたのはアスカだったかロンだったか。
何故ハリーが突然不機嫌になったのか理由はわからないが、辺りに蔓延る重たい空気から逃げるように、促されるままアスカは家の中に入った。
ロンや双子の父親であるアーサー・ウィーズリーは、キッチンの椅子に座り、眼鏡を外して目を瞑っていた。
ゆったりとした緑のローブは埃っぽくて、どこか草臥れているようだった。
痩せた体躯に少し禿げた頭。
そこに残っている髪は子供達とまったく同じ赤毛で、アスカは親子だなぁなどと染々思う。
ロンや双子、ハリーやアスカが椅子に座ると、アーサーは徐に口を開いた。
「酷い夜だったよ」
アーサーは紅茶のポットをまさぐりながら続ける。
「9件も抜き打ち調査をしたよ。9件もだぞ! マンダンガス・フレッチャーの奴め、私がちょっと後ろを向いた隙に呪いをかけようとしたし…」
アーサーは、紅茶をゆっくり一口飲み、大きく息を吐いた。
「パパ、何か面白いもの見つけた?」
フレッドが急き込んで聞く。
「私が押収したのはせいぜい、縮む鍵数個と、噛みつく薬缶が1個だけだった」
答えて、アーサーは欠伸をした。
「かなりすごいのも1つあったが、私の管轄じゃなかった。モートレイクが引っ張られて、何やらひどく奇妙な鼬の事で尋問を受ける事になったが、ありゃ、実験的呪文委員会の管轄だ。やれやれ……」
黙って話を聞いていたアスカは、アーサーが魔法省に勤めているのは知っていたが、どこに所属しているのか知らなかった。
だが、話を聞く限り、どうやら隅っこの部所のようだと思った。
「鍵なんか縮むようにして、何になるの?」
今度はジョージが不思議そうにアーサーに問う。
「マグルをからかう餌だよ」
アーサーはまた溜め息を吐いた。
「マグルに鍵を売って、いざ鍵を使う時には縮んで鍵が見付からないようにしてしまうんだ。勿論、犯人を挙げる事は至極難しい。マグルは鍵が縮んだなんて誰も認めないし―――連中は、鍵を失くしたって言い張るんだ。まったくおめでたいよ。魔法を鼻先に突き付けられたって徹底的に無視しようとするんだから…。しかし、我々の仲間が魔法をかけた物ときたら、まったく途方もない物が―――「例えば車なんか?」…!」
モリーが登場した。
長い火掻き棒を刀のように構えている。
アーサーの目がパッチリと開いた。
奥さんをバツの悪そうな目で見て、恐る恐るといったように口を開ける。
「モリー、母さんや。く、車とは?」
「ええ、アーサー。その『車』です」
モリーの目は爛々と光っている。
「ある魔法使いが、錆び付いたおんぼろ車を買って、奥さんには仕組みを調べるので分解するとかなんとか言って、実は呪文をかけて車を飛べるようにした、というお話がありますわ」
モリーの話に、アーサーは目をパチクリした。
(あらら。嘘はいけませんね、アーサーさん)
アスカは、何してんだこのオッサン、と思いつつ、夫婦の動向を彼らの息子達と見守る。
「ねえ、母さん。分かってもらえると思うが、それをやった人は、法律の許す範囲でやっているんで。ただ、えー…その人は寧ろ、えへん、奥さんに…なんだ、ソレ、本当の事を……。あー…法律というのは知っての通り、抜け穴があって……その車を飛ばすつもりがなければ、その車が例え飛ぶ能力を持っていたとしても、それだけでは――」
「アーサー・ウィーズリー。貴方が法律を作った時に、しっかりと抜け穴を書き込んだんでしょう!」
折角の言い訳も、モリーの張り上げた声に一蹴された。
「貴方が納屋いっぱいのマグルのガラクタに悪戯したいから、だからそうしたんでしょう! 申し上げますが、ハリーが今朝到着しましたよ。貴方が飛ばすおつもりが無いと言った車でね!」
「ハリー?」
アーサーは、モリーの言葉にポカンとした。
アスカはそんなアーサーの反応に内心笑う。
「どのハリーだね?」
そこで初めて自分を囲うように座る子供達を見渡し、その中にハリーを見つけると、アーサーは飛び上がった。
「なんとまあ、ハリー・ポッター君かい? よく来てくれた。ロンがいつも君のことを……」
「貴方の息子達が、昨夜ハリーの家まで車を飛ばしてまた戻って来たんです!」
モリーの怒鳴り声が響く。
だが、アーサーはその言葉を聞いた途端目を見開き、ウズウズしたように挙動不審になった。
「何か仰りたい事はありませんの? え?」
「や、やったのか?」
アーサーは子供達を見渡して興奮したように口を開いた。
「うまくいったか? つ、つまりだ――っ」
(あ〜…このオッサン、ロンから聞いていた通りのマグル狂だわ)
アスカは、モリーの顔が般若に変わるのを見て口ごもったアーサーを見て肩を竦める。
「そ、それは、お前達、イカン――そりゃ、絶対イカン……」
角が生えているようなモリーをチラチラ気にしながらグダグタと怒りだしたアーサーに苦笑いして、アスカは席を立つ。
「モリーさん、すみませんが、あたしそろそろ…」
「…あら! えぇ、えぇ、そうね」
アスカに気付いたモリーは、途端に般若の面を取り、にこやかに頷いた。
「おや、君は?」
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