その日は朝から風が騒いでいた。
相棒に問いかけたが、返事はない。
平素なら、呼び掛ければ億劫そうにだが応えてくれる相棒が黙りを決め込んでいる…ということは、ぼたんには話し辛い内容のようだ。
そう、察しをつけたぼたんが口を開こうとした時、ルキアの刑が決まったと、恋次が病室まで訪ねてきた。
その恋次の表情に、ぼたんはその次の言葉が予想出来て、ソッと目を閉じる。

「第一級重禍罪…ルキアは、極囚になった。二十五日後、真央刑庭で……極刑に処す……それが、尸魂界の最終決定だ」

恋次はぼたんに伝える事が苦しいのか、己自身未だ呑み込めていないのか、その口振りは重かった。
尸魂界の決定、ということは中央四十六室の裁定だ。
覆ることは無い。

(───やっぱり……、道理で貴女が黙っている筈よね、風華…)

ぼたんは閉じていた目をゆっくりと開く。

「……そう、分かった。わざわざありがとう恋次」

落ち着いた様子のぼたんに、恋次は怪訝そうに眉を顰める。

「……………驚かねぇんだな…」
「…風が、騒いでたから……何となく予感はしてた……泣き喚いた方が良かった?」

からかうようにうっすら笑うぼたんに恋次は虚をつかれたが、その意図に気付くと表情を歪めた。

「馬鹿野郎…気ィ使ってんじゃねぇよ」
「…先に気を使ったのは恋次でしょう」

ぼたんは今にも零れてしまいそうな涙を堪え、不器用に微笑む。





NUMBER,5 覚悟





恋次が立ち去って暫くした後、退院の許可が下りた。
自室に帰ったぼたんは、力が抜けたようにその場に崩れ落ちる。

「────…ルキア……ッ」

静かな自室に、己の声が響く。
その声は、自分でも呆れてしまう程、震えた…か細い声だった。
正直、あの場で泣き喚きたかった。
泣いて、恋次に縋りつき、どうしてと叫びたかった。
それが出来なかったのは、恋次の強い想いを知っていたからだ。
副隊長まで成った恋次の想いを、努力を知っていたからだ。
病室に入ってきた時の恋次の顔は、今にも泣き出しそうだった。
ルキアとの付き合いは、ぼたんより恋次の方が長い。
ルキアが朽木家の養子になった後は疎遠だったものの、それでも互いが互いを意識していた。
ルキアの身を案じているのは、憂いているのはぼたんだけではない。
それが解っているから堪えた。
堪えられた。
堪えていたが、自室で一人になった途端、涙は勝手に流れ落ちた。
嗚咽を押し殺し、自分を抱くようにして身を屈めて泣く。
そうして思い出すのは、未だ流魂街で暮らしており…目標として、師として仰ぐ一人の死神との稽古中の事。
その日は、死神からどうにかして一本をとるのが課題だった。
だが、何度立ち合ってもうまくいかない。
何度挑んでも、最後は負けてしまう。
己はまだまだ弱いのだと痛感していた時の事。
死神は、ぼたんに告げた。

『勝てないのは何故だと思いますか?』
『…あたしが弱いからです』

問いに応えたぼたんに死神は首を振る。

『違います。貴女は充分強くなっている。僕達が教える事を素直に吸収し、貴女は強くなっています。なのに、僕から一本とれないのは何故でしょう?』

死神の諭すような言葉に、ぼたんは考えてみるがやはり答えは出なかった。

『……分かりません。師匠、教えて下さい』

素直に教えを請えば、師は呆れたように息を吐く。

『──それはね、“覚悟”です。貴女は覚悟が出来ていません』
『“覚悟”?』
『そう。…貴女は他人の痛みの分かる優しい子です。無闇に人を傷付けたくないと思っているのは分かります。でもだからこそ、貴女は無意識に人を傷付ける事を避けている』
『………………』
『僕と対峙する時、まず何を考えますか? どうすれば、僕を傷付けずに一本とれるか…そう、考えていませんか?』
『……考えて…います』

自分が真っ先に考えた事を指摘され、ぼたんは驚く。

『貴女が相手より圧倒的に強いのであれば、それも可能でしょう。でも、そうでなければ、それはとても難しい……分かりますか?』
『………はい』

ぼたんは、自分の驕っていた考えに眉を下げた。
指摘されるまで気付かなかった…情けない事だと唇を噛む。

『貴女には、人を斬る“覚悟”が必要です。戦う覚悟が不足している』
『戦う、覚悟……』

力が欲しいと思った。
目に届く人を守れるような強さが欲しい。
ただ、ぼたんが憧れたのは、圧倒的な強さで虚を倒し、救ってくれたその背中だ。
戦う為に強く成りたいと思ったのではない。
守る為に、傷付かぬように守れるように成りたいと思ったのだ。
その思いが、躊躇いが、ぼたんの剣を鈍らせているために勝てない。

『ですが貴女のその優しさも、想いも強みです。強く成りなさい。相手を傷付けずに勝てる程、強く……それは、並大抵の事ではありません。それを決める事もまた覚悟が必要です』
『…師匠、あたしは───…』

あの時、自分が師になんと答えたか…ぼたんはちゃんと覚えていた。

(“戦う覚悟”…)

一頻り泣いて、涙も落ち着いた頃、ぼたんは顔を上げた。
その瞳に宿るのは覚悟。

「風華」

静かに、意志のこもった声で名を呼ばれた斬魄刀は、応えるように鈴を鳴らす。

「あたしは、ルキアを助ける。瀞霊廷の総てを敵に回したとしても…殺させない。だから、貴女の力を貸して」

ぼたんが真っ直ぐ見つめる窓の外を鳥が一羽、飛んでいく。
鈴の音が、再度響いた。
ぼたんはその音に口端を上げる。

この世界は、優しくない。
いつも、大事なもの程優先しては取り上げていく。
いつもは奪われてから嘆き、歯を食いしばってそれに堪えてきた。
だが、今回は違う。

(あたしは逆らう。もう、奪わせない…)

ぼたんは死覇装に着替えると、斬魄刀を帯に差し、小包を手に取る。
鬼道で己の姿を隠すと、自室を出た。

(多少無茶でも、やり遂げる!)





(情けない…何なんだ、俺は?)

一護は、喜助との勉強と言う名の修行の真っ最中だった。
浦原商店の地下に一護の為に一昼夜で完成させた“勉強部屋”での今までのレッスンをクリアし、一護は死神の力を取り戻していた。
だが、その斬魄刀は白哉に切られたまま。
刀身のない刀で、喜助の帽子を落とす…その課題に挑んでいる。
だが、喜助が杖から抜刀した刀が、斬魄刀ではないのではないかと考えた一護が対峙するが、一護の思惑は外れ、喜助が斬魄刀の名を呼び、始解する。
喜助の斬魄刀の名は“紅姫”。
一護は、喜助に僅かに残っていた柄近くの刀身すらも砕かれ、逃げ出したのだ。
だが、喜助は素早い動きで一護を追いかけ、追い詰めていく。
逃げながら、一護は己の姿に心中で嘆く。

(なぜ逃げる? そんなもんだったのか、俺の“覚悟”なんてのは?)

襟を捕まれ、引き倒される。
迫る切っ先をかわし、必死で逃げる。

(情けねえ…情けねえっ!救いようの無えあまったれだ)
『お前は』

嘆く己の声とは別の声が、聞こえた。
目の前に現れた男の姿に一護は目を瞠る。

「…おっさん…!」
「なぜ逃げる、一護」

一護の周りの景色が変わる。
一護の意識は、一護の斬魄刀の意識に引き込まれていった。

「お前はまだ私を呼んでいない」

声は背後から響き、一護は振り向く。

「前を向け、一護。今のお前になら聞こえる筈だ。お前の耳を塞いでいるのは取るに足らぬ恐怖心」

それまで喜助に背を晒し、逃げていた一護の足が止まった。
急に止まった一護に、喜助も追う足を止め、その背を見つめ斬魄刀を構える。

「敵は一人。お前も一人。何を恐れる必要がある?」

一護の耳には斬魄刀の声が聞こえている。

「退けば老いるぞ、臆せば死ぬぞ!」

一護は腰の位置からの抜刀の構えを取る。

(叫べ!! 我が名は…)
「“斬月”!!!」

一護の霊圧が膨れ上がり、喜助は目を見開く。
振り向き様、一護が柄のみになった斬魄刀を振りおろす。
粉塵が一護を中心に巻き起こる。
二人を見守っていた浦原商店の店員達は岩場の影で身を隠し、粉塵の中の一護を見た。
一護の手には、柄も鍔もない粗暴な姿の大きな斬魄刀が握られていた。
マトモな刀の形ではない、前の方がマシだと呟くジン太の背後で、テッサイは空気を震わす霊圧を肌に感じていた。
最後のレッスンは、一振りでクリアとなった。
咄嗟に紅姫の“血霞の盾”で防いだが、喜助の帽子は壊れ、宙に舞った。

「黒崎サン…キミは恐ろしい子供だ……」

一護は、斬魄刀…斬月を握ったまま眠りついていた。