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月鏡の塔はレイドックの北西の森や山に囲まれた場所に存在した。
恐ろしく高い建物で、威圧的で、普通の塔とは異質な雰囲気と赤茶色の外観が特徴的だった。塔の土台となる階層の上に、左右に二本の双子の塔が建っており、その二つを挟んだ上空に、正方形の部屋が何らかの力で宙に浮かんでいる。
遠くから見れば何の支えもなしに宙に浮いているだけの部屋にしか見えないが、近くから見上げれば部屋の四方には青い電流が流れ出ている。
部屋を宙に浮かばせている動力の役割をしているのか、どんな事をしても落ちることはなさそうだ。一体どんな力で浮いているのか。空でも飛べない限り、あの小部屋に入れそうもないし、あらゆる面で侵入不可能だろう。もし無理に飛んで入ろうとすれば、なんらかの制裁か、下手をすればここにあるであろうラーの鏡でさえ手に入れられなくなるかもしれない。だからこそ、正々堂々と正規ルートで攻略していくほかない。
おそらくだが、あの正方形の小部屋にこそラーの鏡が安置されている気がする。
――第六章 ラーの鏡――
「はァー…どうしてあたしの姿って見えないんだろ。こんな可愛い美少女が鏡にもうつらないなんてあんまりよ」
一人の少女が鏡張りの部屋で溜息を吐いていた。
ラーの鏡があればきっと自分の姿が見えるはず…と、ここまで来てみたが、肝心のあの宙に浮いた部屋の仕掛けをどうやって解けばいいのかわからず、何もできないまま塔の中を右往左往と徘徊していた。
それ以前に、なぜ鍵がかかっているこの塔に自分が入れたのかもわからない。そして、なぜこの近くの土地に彷徨っていたのかもわからない。わからない事だらけで、知っているのは自分の名前だけだった。
少女は大きな紫紺の瞳に、長い赤茶の髪を頭の頂点で束ね、動きやすい紺の皮のワンピースと黒のマント。背中のリュックにはわずかな食料と、腰には使い慣れた愛用の鞭が装備されていて、旅には慣れている様子。年は15、16あたり。
「それにお腹すいたし…。でも姿が見えないから物を買うこともできないし、人としゃべることもできないわけでしょー…。ああ、きっとあたしってばこんな殺風景な鏡の塔の中で餓死しちゃうんだわ…。誰にも発見されないまま…ひっそりと…あーーーーそんなのいやあああ〜〜〜!」
「そうだ。お前はここで餓死して死ぬか、俺に食われるかのどちらかなんだよ」
返ってくるはずのない声が聞こえてきた。野太い声だ。少女ははっとして、恐る恐る振り向く。
もしかして、自分の姿が見える人が来てくれたのかと一瞬だけ期待してみたが、そんな都合のいい話は存在しない。案の定、言っていることが悪役じみているので、想像した通りの者だった。
「あんた…く、腐った死体!?」
少女がさっと身構える。
見た目は腐った死体の色違いだった。
「ちっちっち、腐った死体みたいな汚ねえ奴と一緒にスンナ。俺様はポイズンゾンビ様よ。あの世へ行ってからもよーく覚えときな」
「ポ、ポイズンゾンビ!?ていうか腐った死体の色違いなだけでしょ?ただの二番煎じゃん。どっちも汚くてマジキモいし!あんたバカじゃないの」
少女は魔物相手に全く怯まずに挑発している。
「なんだとお!小娘!俺様をバカにしたなあ」
「バカだからバカって言って何が悪いのよ!きったねー超絶キモい魔物のくせにさっ!こっちみないでくれる?ゲロ吐き野郎っ!」
「ゲロ吐き野郎だとぉ!?もー完全にドタマにきたぜ!か〜〜これでもくらえ!」
ポイズンゾンビは息を大きく吸い、勢いよく猛毒の霧を吐いた。紫色の霧が少女の周りに漂う。
「ちょ、う、うそ…猛毒だなんて…ごほっごほっ!」
霧が体内に侵入すると急激に喉に痛みが走り、視界がぼやけ、体が重苦しくなる。ただの毒とはえらく違い、数分で全身に毒がまわるという名前の通り猛毒。しかも、猛毒はキアリーという魔法以外では毒を消すことが出来ず、毒消し草もきかない厄介な状態異常だ。
「ふははは!じわじわ猛毒で苦しみ、悶えて死ねや。あーそうそう安心しろい。おめーが死んだあとはちゃんと俺様が食ってやるからよ」
「っ…じょ、冗談じゃないわよぉ…げほっげほっ!こんな所で…」
少女は跪き、口を押さえて激しく咳き込む。このままじゃ…と、少女が苦しげで涙目になっている所で、遠くの方で三人の人影が見えた。
同じ人間で、こちらに向かってくる。これは夢だろうか。
鍵がないと入れないこの塔に人が…と、ぼやけた視界で見つめていた。
「一人の女の子に何してるんだ魔物め!」
レック達一行が猛ダッシュで駆けてきた。
「な、なんだてめーら!この塔に忍び込んで来れるやつがいるとは何者だ!」
「げ、こいつ腐った死体じゃねえか。色はちがうけどよ」
ハッサンが気色悪そうに言った。
「てめーまで俺様を腐った死体と言いやがるか!俺様はポイズンゾンビだこのやろー」
「けっどっちも一緒だろうが!おりゃあ」
ハッサンが飛び膝蹴りをポイズンゾンビの顔面にぶちかました。
続けてレックの横殴りのような斬撃が決まる。
「ぐはああ!て…てめえ…ら…よくもォ」
腹を斬られ、ポイズンゾンビはどろどろと紫色の血液とよだれを垂らした。
「ミレーユ、きっとその子は毒にかかっている。キアリーを!」
レックが指示を出す。
「ええ、わかってるわ」
ミレーユが倒れている少女に掌をかざし、「キアリー」と唱えた。
回復の光エネルギーが少女に降り注ぎ、体内の毒がゆっくり消えていく。
「あ、あなた達は…一体」
少女は驚いたまま見つめる。
「通りすがりの正義の味方って所かしら」
ミレーユが安心させるように微笑んだ。
「ちくしょー!まさか人間がここまでやりやがるとは!」
レックとハッサンのコンビネーション攻撃に焦るポイズンゾンビ。
「さあ、どうする!おとなしく立ち去るかここで倒されるか」
じりじりとレックとハッサンがポイズンゾンビに詰め寄る。
「な、ならば…おーい兄弟達!」
ポイズンゾンビが大声で呼ぶと、鏡の中からもう二体のポイズンゾンビが現れた。
「げげ…あと二体もいたのかよ」
顔をしかめるハッサン。
「おい兄弟!この人間どもを八つ裂きにしろい」
「ああ?ちっ、しょうがねえなあ。いい気持ちで寝ていたのによ」
「ま、久しぶりにいい運動ができるからいいかあ。ふあァああ」
現れた二匹が、呑気にあくびをしながらレックとハッサンの前に立ちふさがる。
「三人相手か。こっちも運動になるな」
ハッサンが一匹めに向かって構える。
「油断スンナよハッサン」
レックも正眼の構えをとった。
「お前こそ」
数分後、騒がしかったポイズンゾンビ兄弟はレックとハッサンに倒された。
いくら三人になっても、二人のコンビネーションの前では奴らも翻弄されるばかり。猛毒の息だけが脅威で、それ以外は元々がそれほど強くなかったので相手にならなかった。
「ありがとう、助けてくれて。強いんだね。あたしはバーバラ。君たちはあたしが見えるんだね」
戦闘終了後、キアリーによって元気になった少女は、やっと自分が見える人間を見つけられて嬉しそうだった。
「おまえ…透明なんだな」
レックが透明になっていた頃の自分達を思い出した。
「そうなんだよね。気が付いたらレイドックって国の近くにいてさ、ラーの鏡っていう情報を知って、それさえあればあたしの体が見えるんじゃないかってここに来たんだよ」
「気が付いたらってどういうことだ?」
ハッサンが訊いた。
「その通り、名前以外はわかんないんだよ。思い出そうとしても全然思い出せないんだ。変だよね。それに…鍵がかかっているこの塔にもなぜか入れちゃったし…」
「たぶん記憶喪失ね。夢の世界から落ちたショックだと思うわ」
ミレーユが言った。
「夢の世界?」と、バーバラ。
「なあ、もしかして…グランマーズさんにもらった夢見のしずくをかければ元に戻るんじゃないか?」
レックがしずくの事を思い出した。
「そうね。おばあちゃんからもしもの時のためにもらっておいてよかったわ」
ミレーユが鞄の中から夢見のしずくが少量入った小瓶を取り出す。
「ちょっとじっとしててくれる?」
「え、うん」
バーバラが言われた通りにすると、ミレーユが念じるようにしずくを適量掌に出し、彼女にさっとかけた。
「ひゃ、冷たい!な、何!?」
バーバラは突然の冷たい感触に驚く。
「大丈夫、体を見てごらんなさい」
ミレーユに促されると、体は見る見るうちに透明から鮮明な実物へと変わっていく。
「わあ、あたしの体が透明から実物になっていく…!鏡にも映ってる!もうおばけじゃないんだ。すっごーい」
バーバラが嬉しそうに何度も鏡と自分を見比べている。
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