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ホルストックから旅立って一週間ほど経った頃。
カルカドはまだ初夏めいていたのに対し、この下の世界は本当の夏真っ盛りで、太陽が自分たちを蒸し焼く。砂漠を歩くよりかはましなものの、このうだるような暑さと湿気の多さに、ハンカチやタオルで汗を拭っても拭っても滴り落ちてくる。いい加減どこかで涼みたいと思っていても、眼下はどこまでも続く草原。慣れていると言っても、この環境はさすがにうんざりしてくる。女性陣からはお風呂に入りたいとの愚痴も時々聞かれ、男性陣も水浴び位はしたい。おまけにかれこれ一週間はこの単調な景色。目新しいモノは見えない。変わり映えしない景色に飽き飽きだった。
チャモロが御者台から双眼鏡を覗いても何も見えやしない。見えるのはここら辺に生息する魔物の群衆や、小動物の類ばかりで。時々現れる魔物は毒を持つヘビが大半。
大のヘビ嫌いなミレーユの悲鳴が、今日何度めか辺りに響いた。
――第十五章 クリアベールと二人旅――
「へびより爆弾岩の方が怖いと思うけどな」
汗で張り付いた髪をかきあげているレック。
馬車の中も相当温度と湿気が高い。
「しょ、しょうがないじゃない。あれだけは本当にだめなのよ!あの動きが…」
ガタガタ震えているミレーユは、先ほどからレックの腕に抱きついたまま離れない。馬車の中は二人の周りだけ空気が違って見えていた。むしろ熱気すら感じる。
「ま、そーゆー所が女の子らしいんじゃない?」
「え…?女の子らしいって…」
「あ、いや…な、なんでもない。女の子らしいというか…小動物みたいっていうか…」
「ばか…意味わからないわよ」
「う、うるさいなっ…なんて言ったらいいかわかんなくて…」
なんだか恥ずかしくなって、頬を染めてそっぽをむくレック。ミレーユもまんざらでもない様子で頬を赤らめている。
あのホルストックでの夜から、二人の関係は急激に進歩していた。まるで相思相愛の初々しい恋人の様に。そんな仲間たちの事などお構いなしに、無意識でイチャついている事も露知らず、仲間達はますます別の意味で暑苦しさを感じた。
「あの二人…なんだか前より仲良くなってるよね〜」と、小声で話すバーバラ。
「完全に私達がいる事忘れてますよね」
汗を腕で拭うアモス。
「ほんと…町の広場にいるようなバカップルと変わりないよね」
「異様に暑いのは二人が原因だったりしますかねえ」
チャモロが眼鏡をハンカチで拭いている。
「全く。これだからリア充は嫌いなんだよ…って事でそこのバカップル共!イチャイチャするのもいいが、敵さんが現れたぜ」
ハッサンが呆れて声をかけると、二人はすぐにぱっと離れて馬車から飛び出したのだった。
それからほどなくして、双眼鏡でやっと町を発見した。
町の門を跨ぐと、どこもかしこも夢の世界で見たクリアベールの町とそっくりで、一同はいささか面食らった。
クリアベールとは、ホルストックの南西の小屋の井戸を経由した先にあった町の事。町中は最近舗装工事されたのか綺麗な石床とレンガの家が整然と並んでいる。
空飛ぶベッドという不思議な乗り物の言い伝えがあり、その昔はそのベッドがよく上空を飛んでいたと聞いた。本当にそんなベッドが存在するのか不思議だったが、夢の世界だからこそ実現する話だからあっても不思議ではない。
最近はめっきりそのベッドは見なくなり、遠方から噂を聞きつけてやってきた人々も、風物詩を見られずに残念に思っているのだとか。
そんな現実世界のクリアベールはどんな町なのだろうか。
「ていうか、ハッサン大丈夫なのか?」
あれからクリアベールについた途端、ハッサンは食あたりでぶっ倒れたそうな。
昨日食べた肉がどうやら半分腐っていたらしく、先ほどから宿屋のベッドで寝込んでいるらしい。
この暑さですぐに食材が痛んでしまうせいもあるが、むやみに数日前のものに手を出す彼の自業自得という一言で片づけられた。
「今チャモロやアモスが看てるけど、あの様子じゃ数日はこの町に滞在する事になりそうよ。バーバラも軽い熱中症にかかってたみたいだし…」
「ま、しょうがないか。最近暑い日ばかりだったし…あんたは平気なのか?」
「私は平気。暑い日は慣れてるから。寒い方が苦手なの」
「そっか…じゃあ、一緒に出かけるか?どうせ数日非番になりそうだし」
「一緒に…うん。いくわ」
彼女は嬉し恥ずかしそうに頷いた。
「綺麗な町ね」
ゴミ一つ落ちていないほど、綺麗に掃除された石畳の道を並んで歩く。
町の事や、何か有力な情報がないかと聞きこみをしながら散策して回る二人。聞き込みから得た情報では、この現実世界のクリアベールは空飛ぶベッドの噂はないにしろ、運命の壁と呼ばれる険しい壁山が存在することを知った。
「結構発展した町だよなァ」
「そういえばクリアベールの礼拝堂ってね、世界遺産にも登録されているほど有名な観光地らしいわよ。世界中から大勢の観光客が来ている程だし」
「へぇー…そりゃあせっかくだから見て行こうか。どうせ暇だしナ」
北側にある礼拝堂の中は、見事なステンドグラスが陽光に照らされて神秘的に輝いていた。それをうっとりと眺めながら、大勢の町の人々や観光客達が祈りを捧げている。
二人も一番前の祭壇近くまでやって来て、しばしの静寂の中で二人は跪き、神の御前で思いを込める。二人は真剣に祈った。
「何を祈ったの?」
レックの顔を覗きこんで楽しそうなミレーユ。
「大したことじゃないさ。この先の旅の安全祈願とかだよ。ミレーユは何祈ったのさ」
「私は…まあ…今後の事、かしら」と、なぜか妙に頬が赤かった。
「ふぅーん?」
「司祭様、ジョンは…ジョンは本当に幸せだったんでしょうか…」
そんな時、一人の婦人と司祭が話しているのが目に付いた。何やら深刻な顔をしている。
「あの子は生まれてからすぐに免疫不全にかかり…毎日部屋で寝たきり。外の世界を知らないまま…10歳で神に召されてしまった。私は…私は…あの子に何もしてあげられなかった…本当に幸せに生きていたとは思えません。親でありながらも不憫に思えて仕方がなくて…」
婦人がハンカチを握りしめ、嗚咽をこらえながら司祭に訴えている。
「マゴット…そう考えるのはよさないか。思いつめすぎだ」
婦人の隣に座っている夫が気遣う。
「ジョンが早くに亡くなったのも神様が与えられた運命。それが幸か不幸かだなんて、あの子自身にしかわからないのだから」
「でも…あなた…私」
「ゴホン。お二人とも…ジョン君の事はまことにお気の毒です。しかし、わたしはあなた方夫妻を見ているとこう思うのですよ。ジョン君はきっと幸せだったんじゃないかと。こんなにもご両親に深く愛されていたのですから。幼くして、穢れを知らずに死ぬことはまさしく神に愛された子だといいます。神の子ジョン君に、あなた方の愛情は届いていらっしゃると思いますよ」
「司祭様…」
夫妻と司祭のやりとりを遠くから眺めているレックとミレーユ。見ていてとても辛そうだ。
「今日はもう帰ろうマゴット。ジョンが好きだった向日葵を墓石に添えてやろう。明後日は大事な命日なのだから」と、婦人を支えながら立ち上がる。
「ええ、そうね…あなた」
夫は婦人の肩を抱きながら、司祭に挨拶をしてそっと立ち去っていく。レックとミレーユの前を通り過ぎ、ゆっくり礼拝堂を後にしていった。
「今の夫婦…可哀想だったな…」
「ええ…息子さんが亡くなって、心を閉ざしている感じだったわ」
別にどうかしてやりたいとは思わない。
いや、どうにもならないと言った方が正しいか。
変な同情や励ましは、かえって余計なお世話にしかならない時だってあるのは知っている。ただ、気になっただけで――…
「あのー…」
レックは司祭に声をかけた。
「あの夫婦は…」
「ああ、旅の方ですか。この町に住んでいる菓子職人のハリスとマゴットですよ。とても優しく、息子さんをとても大事にしていらっしゃっている素敵な夫婦です。二年ほど前に亡くなった息子のジョン君のために、最近はよく祈りに来られるのですよ。どうしても息子さんと果たせなかった約束があるとかで、叶えてあげられなかった事を嘆いているのです」
「約束とは?」と、レックが訊ねる。
「詳しくは存じません。お二方に訊ねてみてはどうでしょう?彼らの家は一番高い高台にあるお菓子屋さんなのですぐにわかると思います。本日から数日は、息子さんの命日が近いのでお店もお休みなはず」
司祭に夫妻の家を教えてもらい、家を訪ねた。
町の北東側にひっそり佇んだレンガの家で、入口のドア越しにcloseという札がかかっている。煙突からはモクモクと煙が出ていて、甘い香りが漂ってきた。中で売り物のクッキーを焼いているようだ。本日は休日なため客は誰もいない。
すぐ近くにある墓石の前には、添えたばかりの向日葵の花が風に揺れていた。
「おや…あなた方は先ほど礼拝堂で見かけましたね」
叩いた扉からは妻のマゴットが顔を出した。
「どうも、旅の者です」
「して…何か御用でも…?本日は店の方はお休みでして…」
「悪いと思いながらも、司祭様から話を伺いました。あなた方夫妻は、息子さんに果たせなかった約束があると聞いたのですが、それはどんな約束なんですか?」
レックが訊ねると、マゴットは顔を横にふる。
「今となっては…もう叶うことがない約束ですよ。まあ、ここで話はなんですから、中へどうぞ」
家の中へあがらせてもらった。
中はごく普通のどこにでもあるような小奇麗な生活スペース。向こうの方にクッキーなどを作る厨房があるようだ。
スツールに座り、しばらく待っていると、向こうからマゴットがお茶菓子を持ってテーブルに置いた。町で美味しいと評判のクッキーだ。
ハリスもパイプを持ちながらやってくる。
「どうも、すみません。わざわざあがらせてもらって」
「いいんですよ。この時期はいつも休みをとっていますし…こうして旅の方とお話でもして、息抜きをするのもいいかと思いましたし」
マゴットがカップにアールグレイの紅茶を注いでいる。お菓子のクッキーと紅茶の芳しい香りが漂った。
「それで先ほどの続きですが…」
紅茶を注ぎ終えたマゴットが言うと「それについては私が言いましょう」とハリス。
「生前…息子のジョンは、一か月に一度この町を訪れる旅芸人が来るのをとても楽しみにしていました。旅芸人は今巷で有名な芸人でして、病気がちなジョンを励まし、また彼もとても可愛がってくれたんです。それで、今度この町に来るときは、勇気のバッジを持ってきてあげるとジョンと約束をしました」
「勇気のバッジ?」
「ええ、勇気の石というモノがありまして、それを削ってバッジにして身に付ければ、きっと病気にも打ち勝つことができるだろうっていう御守りです。ジョンはそれを聞いて、旅芸人が来るのを毎日心待ちにするようになりました。しかし、何日待ってもその旅芸人は来ることなく、その日を境に来なくなりました。どうしてかは詳しくはわかりません。聞いた話によると、道中で魔物に殺されたらしいとの事…」
「そう、だったんですか…」
レックは目を伏せる。
「その話を偶然聞いてしまったジョンは嘆き悲しみ、その悲しみが病に響いたのか、容体は日に日に悪くなり…そのままジョンは神に召されてしまいました」
重苦しい空気が流れる。
「それで…今でもその約束を果たせないまま死なせてしまった息子を思うと、悲しくて…歯がゆくて…やりきれなくて…」と、ハリスが悔しさに体を震わせている。
「せめて、息子のために石くらいは見つけ出してやりたいと、勇気の石について調べたのですが、その石は運命の壁と呼ばれる場所の頂上にあるとか。とてもそんな険しい山の頂上になんて、私どもが近づける場所ではなかったのです…」
「運命の壁って…この町から北東にあるっていうあの壁のような山ですか?」と、ミレーユ。
「ええ。あそこは数多の旅人達が頂上目指して登ったとされますが、ほとんどがあまりの険しさに力尽きたり、崖から滑り落ちたりと、大勢の者が挑戦して亡くなったと聞いています。そんな場所の頂上など、とても普通の人間には辿りつけないでしょう」
「その勇気の石の欠片さえあれば…息子のためにバッジを作って墓前に添えてあげられるのですが…」と、マゴット。
「…運命の壁…か」
レックは思案顔で何かを思い、決意した。
「今日は話を聞いていただいてありがとうございました」
夫妻が同時に頭を下げる。
「いえ…こちらこそお茶菓子ありがとうございました」
「旅の方に話を聞いてもらって、少しは楽になりました」
幾分か明るさが戻ったマゴット。
「それならよかった。それで…数日、待っててくれますか?」
「え…」
「必ず…取ってきますから」
夫妻の家を後にして、レックはすぐに行動に移した。
「行くのね?運命の壁に…」
ミレーユが近づく。レックは宿屋で身支度を整え始めていた。
「ああ。あんな話を聞いちゃ…じっとしてられなくて。明日の早朝に発つつもりだ」
「じゃあ、私も行くわ」
「いいのか?せっかくしばらく非番だったのに」
「私も話を聞いたんだから当然だわ。それにあなた一人じゃ不安だし」
「不安って…」
「私は…いつだってあなたのそばにいるんだから…」と、レックの手を握る。
「ミレーユ…ありがとう」
休んでいる仲間達に行き先を告げて、ファルシオンに二人で跨り、二人は北東の険しい山へ向かった。
「二人で旅するの…初めてだったな」
ファルシオンの手綱を引きながら、レックがそういえば…と思っていた。
「たしかにそうね。今まで仲間達と一緒だったし…あなたと出会った時はハッサンも一緒だったから」
「はは、あの頃が随分懐かしい様に思えるよ」
辿り着いた運命の壁は想像以上に難関であった。
顔をぐっと見上げると、壁はほとんど90度の斜面で恐ろしく高く、頂上付近は光り輝いていてよく見えない。おまけに雑多な魔物が大勢出現する。
フーセンドラゴンにマドハンド、ポイズンキラーにメタルライダー。そして恐怖の爆弾岩も出てくる。いつもフォローしてくれる他の仲間達はおらず、自分たち二人だけでこの難関に挑まなければならない。
とくに、のぼっている最中に現れた時なんて、厄介この上なかった。
少ない足場の中での戦闘は手元を狂わせやすく、自分を支えている命綱だけが頼りで、神経をより一層足場に向けなければならない。
トベルーラがあれば足場がなくても平気だが、それを唱えられるチャモロはいないので細心の注意が必要だった。
中でもフーセンドラゴンが一番厄介で、燃え盛る炎を吐いては太った身体で圧し掛かってくる攻撃がうざったい。体当たりして破裂してきた時など、振動と反動で壁からずり落ちそうになった事が何度かあるほどだ。しかも、途中で登れるような足場がない場所に来てしまうと、引き返して別ルートを探さなくてはならないという面倒くささもあって、なかなか思うようには進めない。
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