折原臨也のトリセツ

帰宅するなり、静雄は妙なものがテーブルに置かれているのに気が付いた。
「なんだこれ?」
A5サイズの冊子。
プリンターか何かで製本したのだろうか。それほど厚みのない小さい冊子だった。
その表紙には「取扱説明書」の文字があった。
一瞬、静雄は自分が留守にしている間に、母親か幽がこっそり家に訪問してきて電子レンジか何かの家電を使ったのだが不明な箇所があったから取扱説明書を取り出して読んでそのまましまい忘れてしまったのかと思った。
しかし、表紙のページを一枚繰ってみて、それは違うと確信した。
その取扱説明書には目次はなく、1ページにひとつずつ、取り扱いにあたっての注意が書かれていたのだ。
「……その1、ちゃんと名前で呼ぶこと」
口に出して読み上げてみるものの、静雄は首を傾げた。
「その2、暴力は振るわないこと」
更にページを捲ってみる。
「その3、嘘はつかないこと。その4、不機嫌になっても怒らないこと……」
ますます訳が分からなくなってきた。
「その5、面倒くさいと思わないこと」
もう既に良く分からないが、なんだか面倒くさい予感がするのだが。
そう思いながらも、謎の取扱説明書を解読するまでは手放せない気がした。
取り敢えず、最後まで読もうとページを摘んで次の項目に目を通す。
「その6、小さな変化も見逃さないこと。その7、余計なことは言わないこと。その8――」
「定期的に褒めること」
誰もいないはずの部屋から声が響いた。
やけによく通る声だった。
その声の主を知っていた静雄は、声のした方を振り返った。
ベランダの窓。いつの間にか開け放たれていたそこにいたのは折原臨也だった。
「……テメェ」
にやにやとした含み笑いを浮かべて、臨也は靴を脱いで部屋に上がり込んだ。
「誰が入っていいなんて言った?」
思わず静雄は手にしていた取扱説明書を握り潰しそうになってしまったが、ここはグッと堪えて我慢した。
臨也は相変わらず憎たらしい笑みを浮かべたまま静雄へ詰め寄った。
わりと近い位置までくると、静雄を見上げる。
「長持ちの秘訣」
「は?」
「定期的に褒めると長持ちしまーす」
妙に甲高い声でそう宣言するなり、臨也は静雄の腕の中に転がり込むと、胸元にすりすりと頭を擦り付けた。
そんな臨也の仕草にカチンときた静雄は、取扱説明書をテーブルに放り投げて、臨也の体を突き飛ばした。
ひょろっちい華奢な臨也の体はすぐに床に倒れ込んだ。
「いったいなぁ!なにすんだよ?」
「うるせぇ!ベタベタひっつくな気持ちわりぃ」
イライラした気持ちを紛らわそうと、静雄は胸ポケットから煙草の箱を取り出した。
グリーンのラベルのアメリカンスピリッツメンソールライト。
中から一本引き抜いて口に咥えようとしたら、ヒュンッと音を立てて何かが顔の横を過ぎていった。
カツン、という金属音がして後ろを向くと、ナイフが転がっていた。どうやら臨也が投げ放ったようだ。
「その13、一緒にいる時は煙草は吸わないこと」
「んなルール知らねぇよ!!」
ナイフを投げ付けられたことで静雄の怒りは爆発寸前だった。手にしていた煙草の箱を握り潰してしまうほどに。
「てか、何なんだよこの訳の分からねぇ取扱説明書はよぉ……」
テーブルに置かれた取扱説明書。
睨むように静雄は一瞥した。
「何って……シズちゃんから言い出したんじゃん」
「あ?」
突拍子のないことを言い出す臨也。静雄は目をぱちくりした。
「3日前のこと、忘れちゃったの?」
「3日前……?」
言われた通りに記憶を思い起こしてみる。

確かその日は新羅に誘われてお酒を飲みに行ったのだ。
静雄は甘いカクテルが美味しすぎて、つい飲み過ぎてしまった。
酔いが回ってきた頃、臨也がとんでもないことを言ってきたのだ。
『ねぇねぇ、シズちゃん』
普段なら絶対しないのに、静雄の隣に座って距離を詰める。静雄が見下ろすと、すぐ近くに臨也の顔があった。
臨也も酔っているのだろう。ほんのり頬が赤かった。
『シズちゃんは俺とキスとかできる?』
『あぁ?テメェと?』
『うん』
『…………』
いつもなら殴り飛ばしてもいいはずなのに。不思議とお酒の力は恐ろしいもので、そんな気分になれなかった。
静雄はカルーアミルクを一口含むと、臨也の顔をまじまじと見詰めた。
色白の肌。艶のある黒髪。
小さい顎と鼻。大きな目。
薄いピンク色をした唇はお酒で濡れていた。その隙間から覗く前歯。
思わず静雄は唾を飲み込んだ。
『……ま、まあ顔は良いからなテメェは』
『かわいい?きれい?』
『なんじゃねぇの?』
ぱああっと臨也の顔が明るくなった。
すぐに、へにゃへにゃとした笑顔を浮かべてから、臨也は大きな目を上目に向けて静雄を見た。
『ね、ねぇ……シズちゃん、あのね……』
『んだよ?』
『シズちゃんが嫌じゃなかったらでいいんだけど……、俺と付き合って下さいって言ったら怒る……?』
珍しくやけに食い下がった態度だ。
もしかしたら何か企んでいるのかもしれない。
そう思ったが、思いたくなかった。
何故なら臨也の大粒の目が、いつも挑発的に吊り上がった憎々しいその目が、どことなく哀しみを帯びて潤んでいたから。
『まあ考えてやらなくもねぇけどよ……。テメェってとことん面倒くせぇやつだから、せめて取扱説明書でもねぇと俺には扱い切れねぇよ』
そこまで告げて、カルーアミルクを飲み干してしまった。次に何を頼もうか考えていたら、臨也が飛び付いてきて静雄の腕に抱き着いた。
『シズちゃん……!』
そんな仕草を可愛いとか思ってしまった。
それから後はあまり覚えていない。

「……あー、確かに言ったわ」
「でしょ!ちゃんとシズちゃんのために作ったんだから」
いつの間にか目の前にいた臨也が取扱説明書を取り上げた。
「シズちゃんは俺のこと嫌ってるから『付き合って?』なんて言ったら即答で断られるかと思ったのに違ったんだもん。本当にシズちゃんは思い通りにならない」
「悪かったな」
それにしても酔った勢いとは言え、なんてことを言ってしまったのだろう。
反省とか後悔とか、いろんなものが静雄の中に渦巻いた。
「まあ男に二言はねぇし……」
試しに少しだけなら付き合ってやってもいいか、と静雄は思ったのだが、
「じゃあちゃんと熟読してよね。『折原臨也の取扱説明書』」
釘を刺されてしまった。
はい、と取扱説明書を胸元に押し付けられる。反論する間もなく、静雄は反射的にそのまま受け取ってしまった。
「俺は本気だからね、シズちゃん」
「……そうかよ」
パラパラパラパラと説明書を一通り捲っていく。そして最後のページまで辿り着いて、静雄は目を丸くした。
「んだよこれ……」
「何ってそのままの意味だよ」
「だってこれ――」
少しだけ臨也の遊びに付き合うつもりだったのに。
(これじゃあまるで……)
わなわなと静雄の体が震える。
それは怒りからきたものなのか、それとも別の感情からか分からなかったけれど。
「大事にしてね」
ぱちりとウィンクをかます臨也を凝視してしまった。
臨也はどこか嬉しそうに笑いながら、静雄へ背を向ける。ベランダの窓を再び開け放つと、ベランダに出てから静雄を振り返った。
「『一点ものにつき返品交換は受け付けません』。ご了承くださ〜い♪」
歌うようにそう言って、臨也はどこかへ去っていってしまった。
すぐにハッとなって、静雄はベランダまで駆け寄った。
「待て……!臨也――」
しかし、既に臨也の姿はなかった。
「……まじかよこれ」
その場にしゃがみ込んで、静雄は深い溜め息を吐くしか出来なかった。
心なし、耳のあたりが熱くてこそばゆかった。


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