シズちゃんに2週間だけ彼女がいた話 2

バレンタインの2日前。
今年のバレンタインは日曜日だから、普通の高校生にとっては金曜日こそが勝負の日となる。
どこか校内が浮き足立った雰囲気に感じられた。
「まただ」
そう言って、臨也が手にしているのはお菓子が包まれた小さな箱だった。パステルカラーの愛らしい柄の「いかにも」といったものだった。
「うわぁ。折原くんすごいね。何個目?」
新羅が面白そうにに目を輝かせる。それを尻目に、臨也はお菓子を手提げにしまった。
「8個かな」
まずは登校するなり校門で待ち伏せていた名前も知らない後輩の女子から1個。ありがとうと笑顔を返したものの、既にその女子の顔など忘れてしまった。それから下足箱に3個。教室へ向かう間に1個。
そして今、机の中に3個。
「ていうかさ。食べ物を下足箱に入れるなんて俺的には信じられないと思うんだよね」
「食べ物とは限らないじゃん。爆弾とかだったりして」 
「まさか」
はっ、と臨也が笑い捨てる。
「全部が全部、君への好意的な感情からくるものとは限らないよ?もしかしたら全部カミソリレターの類だったりしてね」
あながちそれは間違いではないかもしれない。そんなことくらい臨也にだって分かる。
「まあでも、折原くんは外見だけはずば抜けて良いからね。それに惑わされて幻想に踊らされている哀れな女の子だってそれなりにいると思うけど」
「是非とも俺にどんな幻想を抱いているのか教えてもらいたいね」
そんな冗談を言い合いながら、臨也はあることを思い出した。
(……そういえば)
静雄にチョコをあげる予定だと言っていた女子の席を見やる。まだ登校している様子はなかったが、なんだか臨也は胸がもやもやした。
ふと脳内に今現在、静雄へチョコを渡す女子生徒の姿が浮かんだ。
即座に臨也は頭を振って、思考を打ち消そうとしたが、どうしてか顔が熱いことに気付いた。
(シズちゃんは馬鹿だから、チョコとかもらったら本気にしちゃうかもしれないのに)
それが臨也以外からのものだったら――きっとその気持ちに応えてあげようと必死になるはずだ。
(で、でも……いくらシズちゃんが馬鹿だからって、名前も知らない女子と付き合ったりするわけないよね……うん)
そんなふうに自己完結をして頷く。
新羅が目をぱちぱちさせていたけれど。

シズちゃんの関心が俺以外に向くなんてあり得ない。シズちゃんのは俺だけの――

始業のチャイムが鳴る頃。
例の女子が教室に姿を現した。
友達の女子達が声を掛けると、彼女は満面の笑みを浮かべてみせた。
その笑顔を見た瞬間、嫌な予感がした。
教室の騒がしさが全て聞こえなくなるくらい、臨也は彼女にのみ釘付けになってしまった。
唇がわななく。
居ても立っても居られなくて、臨也は席を立った。
「折原くん?もうすぐホームルーム始まるよ?」
教室から出て行こうとする臨也を新羅が呼び止めるが、無視して教室を後にした。
そのまま臨也が向かうのは静雄がいる教室。開け放たれた扉から中を覗くと、静雄は席に着いていた。
その手には、今朝方臨也がもらったお菓子と良く似た愛らしい包みのお菓子が。
驚くほど穏やかな顔でお菓子を見下ろして、静雄は微笑んでいた。
どうにも形容し難い、どろどろとした感情が臨也の胸に渦巻いた。
考えるより先に、臨也は教室へ足を踏み入れると静雄へ向かって詰め寄った。
「……あ?」
静雄がこちらを見上げる。
さっきまで微笑んでいた顔から一変。
殺気を含んだ表情に臨也は心臓がズキリと痛んだ気がした。
「んだよノミ蟲。朝からうぜぇ顔見せんじゃねぇよ」
「……シズちゃん」
静雄の顔からチョコへと視線をスライドさせる。ただのピンクの包装紙に包まれた小箱だ。添えられた赤いリボンが揺らめいた途端、臨也は泣きそうなくらい切なくなった。
そして、衝動的にそれを奪ってしまった。
「なっ!てめ……」
ガタッと音を立てて静雄が席を立つ。
くるりと背を向けて、臨也は教室から走り去った。
そのあとをすかさず静雄が追い掛ける。

ひどく頭が混乱してしまっていた。
どうして自分は静雄の手からチョコを奪い取ったのだろう?
どうして自分はこんなにも泣きそうなんだろう?
ぐるぐるとそんなことを考えながら走っていたら、背後から追い立てるように怒号が響いた。
「臨也ぁあああ!!!!」
教室内にいた生徒達が何事かと廊下側の窓から顔を出す。
野次馬の視線なんて気にしていない。
それよりももっと気にすべきことが、臨也にはあった。
走りながら手元のチョコを見やる。
すぐにそれを投げつけて、粉々にしてやりたい衝動に駆られたが、グッと抑えて我慢した。
曲がり角を曲がって、階段を駆け上がる。息が上がるのも忘れて真っ直ぐに走り上がる。
やがて屋上へと続く扉が見えてきて手を伸ばす。扉のドアノブを掴んで、押し開けようとするが――
ガチャガチャ!!
器具が絡まったような歪な音を立てるだけで、扉は開かなかった。一瞬、「もしかして引くんだっけ」と思い、押しても駄目なら引いてみろで挑んでみたものの、いつまで経っても扉は開かない。
「い〜ざ〜やぁ……」
不気味な低音を響かせて、静雄が背後から一歩ずつ近付いてくる。追い込まれてしまったら勝ち目はない。
今回ばかりはしくった。
まさか屋上の扉が開いてないなんて。
ましてや静雄からチョコを奪ってしまうなんて。
自分の行動にびっくりだ。
(……我ながら呆れる)
臨也はそっと俯いてチョコを見詰めた。
「臨也よぉ……」
びくっと肩を跳ねさせて、おそるおそる背後を振り返る。息ひとつ切らした様子なく、静雄は不気味に口端を吊り上げて、眉間に皺を寄せた般若のような顔で臨也へと迫り来る。
「……ぁ、シズちゃん。俺……」
心なし声が震えてしまった。
いつもなら静雄に対して強気な態度でいられるのに。なんだか今、静雄に罵倒されたら正気を保っていられない気がした。
意味もなく後ずさると、扉に背がぶつかった。
もう後には退けない。
怯えた様子の臨也に、静雄はじりじりと迫っていく。
そして、バアンッと音を立てて、静雄は扉に両手をついた。臨也の体を両腕の間に隔離して逃げ場をなくす。
(もしかして俺、ここで人生終了かな……)
そんな恐怖に苛まれながらも、胸の内側からレモンみたいに甘酸っぱい何かが溢れた気がした。
気のせいなんかじゃない。
静雄の顔がすごく近くにあることを意識した途端、トクントクンという鼓動と共に、甘いそれは余計に酷くなっていった。
「……ぅ」
どうしたらいいか分からず目を伏せる。
そんな臨也に違和感を覚えたのか、静雄はさらに顔を覗き込んだ。
「なんだよ、テメェ」
なるべく静雄の顔を見たくなくて、臨也は顔を背けてしまった。
「おい。臨也」
どうやら静雄はそれが気に入らないらしく、しつこく臨也と目を合わせようとした。
とうとう堪え切れなくなって、臨也は腕を突っ張った。
「っ〜〜!ち、近いんだよ!!」
ぐいぐいと静雄を押し返すが効果なし。
まさに暖簾に腕押しだ。
「テメェの方こそいい加減に――」
静雄が言い掛けたところで臨也の視界が、ぐらりと揺らいだ。
(え……?)
静雄の金髪を仰いで、視界がスライドしていく。すぐに目に飛び込んできたのは真っ青な空の色で――
バターン!!!!
再び臨也の視界には静雄の顔だけが映し出された。
変わったことといえば、静雄の顔の背景が、校舎のアスファルトから綺麗な青い空の色になったということ。
すぐに臨也は我に返った。そして今の状況を察した。
臨也の体が下敷きにしているのは、屋上へと続く扉だった。その上に仰向けに寝転がる臨也の上に、静雄が四つん這いになって覆い被さっていた。
どうやら静雄は物凄い力で扉に手を着いていたらしい。そのせいで、耐え切れなくなった扉が外れてしまったのだ。
(そんなことよりもこの体勢――)
冷静に状況を察した瞬間、臨也は顔面がカアァァッと赤くなった。
「あっ、ぅ……?え、えっ!し、シズちゃ……」
口を開けてパクパク。
おろおろする臨也とは正反対に静雄は至って冷静だった。ホッと息を吐くと、軽く微笑んだ。
「無事で良かった」
ドキドキドキッ
その笑顔にやられてしまった。今まで感じたことがないくらい、臨也の心臓は大きく鼓動を刻んだ。
瞬きするのを忘れてしまうくらい、臨也は大きなつぶらな目で静雄を見詰めた。
「シズちゃん……俺…」
果たして自分は何を言おうとしているのだろう?
静雄へ対して、どんな言葉をぶつけようとしているのだろう?
唇が震える。
考えるより先に言葉が口を突いて出ようとしたその時、静雄の手が臨也の手に触れた。
ますます臨也は体温が高くなった。言おうとしていた言葉を、うっかり飲み込んでしまった。
けれど、飲み込んでしまって正解だったのかもしれない。
直後に放たれた静雄の言葉に、臨也は絶望することになる。
「返しやがれ」
パッと臨也の手から取り上げられたもの。それは静雄が持っていたチョコだった。
奪い返すと、未練などない風に静雄はゆっくりと立ち上がった。
「ったくよぉ。人のチョコ奪い取るとかどうかしてんだろ?」
そんなことを言いながら、静雄はチョコの箱をまじまじ眺めた。安心したように口元を緩めたのを見て、臨也は悲しそうに目を伏せた。
「……そんなに大事?」
「当たり前だろ。高校入って初めて女子からもらったチョコなんだからよ」
照れ臭そうに頬を染める横顔なんて見たくなかった。臨也は体を起こすと、脱力したパンダみたいにその場に座り込んだ。
「すごく嬉しい」
幸せそうな顔で静雄はそう言った。
「……そう、なんだ」
消え入りそうな声でそう返すのが精一杯だった。


その日の臨也は魂が抜けてしまったみたいに、何も考えられなかった。
少しでも何かを考えようとすれば、静雄とチョコと例の女子のことばかりが頭を掠める。
その度に泣きそうになって、臨也は考えるのをやめた。

しかし、本当の不幸からここからだった。
下校しようと準備をしていたら、新羅が呑気に声を掛けてきた。
「ねぇ、折原くん。一緒に帰ろうよ?」
本当なら独りにして欲しい気持ちだったが、独りでいるよりは「一人」の方がましな気がした。
「あぁ。いいよ」
そうして帰り道を新羅と歩いた。
そこで臨也は驚きの事実を聞くことになった。
桜の木の下を歩きながら、その枝を見上げた新羅が呟く。
「まだまだ桜は咲かないけど、春っていうのはいつでもすぐにそこにやってくるものだよねぇ」
「どういうことだよ?」
訝しげに臨也が尋ねる。新羅は目をぱちくりさせた。
「もしかして折原くん、静雄から聞いてないの?」
「何をだよ?生まれて初めて女の子からチョコ貰ったって話?」
言いたくない言葉を口にして、なんだか少しだけ気が楽になった気がした。
だって、静雄はチョコを受け取っただけに過ぎない。そう、「チョコを受け取った」。それだけの出来事だ。それが事実だ。
(なんだ。たいしたことじゃないじゃないか)
そんなふうに自己完結して、やっと少しだけ気持ちが舞い上がりそうになった時だった。
「違うよ」
新羅の口からトドメの一言が発せられたのは――
「静雄くんに彼女が出来た話」

ざわざわと風が駆け抜ける。
蕾も葉もない桜の枝を揺らして。

絶望が到来した音がした。



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