運命

 
目が覚めたときから体が火照っていた。風邪かと思ったが他に調子の悪いところはない。そうなると可能性は一つ。服が肌に触れるだけで体が疼いた。発情期が始まる合図だ。アカデミアでもエリートを誇っていた自分が社会的な底辺であるΩであるはずがない、そう思えば思うほどそれは疑いようのない事実だと素良には分かった。
この世界はかつて男と女という性で回っていた。しかし人類の進化により男女だけでなくαβΩ、という3種類のもう一つの性が現れた。大抵の人はβで、βは殆ど何の影響も受けない。αはエリート気質、Ωは男女ともに妊娠が出来るという特質があるものの発情期には発情の事以外が難しくなるため社会的な地位は低くなりがちであった。
匂いにも敏感になってきた。少し離れたところの人のフェロモンも分かるまでになっている。殆どは気にならない普通の体臭といった感じだが中には甘く引き寄せられそうになるものもある。これがαの香りだ、と奏良は本能的に理解した。世界が一変したかのような感覚に立っているのもままならず壁に電柱にもたれかかった。
「よ、素良どうしたんだ?」
 普段なら周りの気配にもいち早く気付けるが後ろから近づいた遊矢に気が付かなかった。後ろで爆発が起こったかのように飛びのいた素良を見て珍しいこともあるものだ、と遊矢もつられて驚いた。
「どうしたんだ?調子悪いのか?顔もなんだか赤く……」
遊矢からお菓子よりももっと惹きつけられる甘く芳しい香りが漂っている。さっき感じたαのフェロモンとは比べものにならない。遊矢がαだとは聞いていなかった。もしからしたら遊矢もまだ覚醒寸前なのかもしれない、そう思いつつ奏良はゆっくりと遊矢から離れた。
「遊矢、僕もう行かなきゃ、じゃあね」
「俺がなにしたってんだ」
逃げるように消えた素良を見ながら遊矢は呟いた。遊矢自身まだ成熟しておらず素良のΩ特有の香りに気付くことはなかった。

「ありえない、ありえない」
 河原に着いた素良は四肢を投げました。普段ならこれ位の距離で息を切らす事は無いが思うように息が出来ず立ち止まった。先程よりは人通りも少なくフェロモンにあてられることも無い。体のほてりは収まっていないが地面の冷たさと静けさが素良を少し落ち着かせた。川を挟んで街がよく見える。昨日まではとは全然違った距離に思えた。
成熟するタイミングは十代公判が一般的だが個人差がある。あの感じだと遊矢が目覚めるのはあと少しだろう。心配してくれた遊矢には悪いことをした、そう思いながらも奏良は自分の事で限界であった。
「それにしても遊矢がαか」
αの香りがあんなに魅力的なものだとは思わなかった。きっとγの匂いもそれに準じているのだろう。従う必要はないが本能に従い生きるのもまた一興。理性と本能が交差するシステム。自分がαならきっと楽しめただろうがそうではない。狩られる側の立場としてならなんと不便なシステムか。

これだけ距離が離れているとフェロモンも届かないのだろう。ここにヒートしているαがいるなんて誰も気が付かないように普通に生活してる。今まで自分もあっち側だったのにこっち側に来てしまった。もうあっち側には戻れないなんて、と思いながら歯を噛みしめていると遊矢と柚子が塾の方に向かい歩いてるの見つけた。いつも通り楽しそうに話している。βの香りや他のαの香りは届かないのに遊矢の香りは奏良のもとに届いた。
すると電撃が走るような感覚が体を走った。先程までのと異なり、胸の奥が苦しくなるような、掻き毟られるような、今までにない感覚である。自分がΩで遊矢がαなのに嫉妬していると思い込んだ。思い込みたかったが本能的にそれは間違いだと分かった。前世で恋人だったのを思い出したかのような気分である。これが運命、遺伝子で定められた相手なのか。
αとΩは番、と呼ばれるペアを作り共に生きていくことがある。Ωはαにうなじを噛まれると番と呼ばれる関係になる。αΩならだれでも番になれるが、αとΩにはこの世に運命の相手が必ずいると言われている。それは出会い方や性格ではなく遺伝子単位のもので、出会えるかどうかは運次第という運命の相手である。運命の相手であるから何か起こるという事はないが他の人より惹きつけられる、と言われていた。

覚醒前から巡り合えていたなんて幸運というか皮肉か。赤の他人なら巡り会えたこともまた運命と一から関係を築けるかもしれないがこれからどう顔を合わせればいいのか。いやもうそれも難しいかもしれない。遊矢は自分の事を友達と言ったが多分それ以上は望んでいないだろう。現に自分だって今までは意識してこなかったのに、掴まれた時の手の感触、名前を呼ぶ声、思い出すだけで幸せな気分になってくる。
僕がα側ならうまい具合に口説き落とすもよし、首元にかみつくもよしなのに。少しけだるそうに、だけど表情をころころ変える普通の少年である遊矢はそんな事はきっとしない。もし頼み込めば嫌とは言わないだろうがそれは同情からだろう。同情なんてされたくない。負け戦もしたくない。始まってもないのに終わった気持ちになった。幸い体力もデュエルもαに負ける気がしない。ヒートも薬を飲めばコントロール出来るだろう。悪い方に悪い方に傾く思考回路を止めようと大きく息を吸った。

遊矢が近づいてきたのが匂いで分かった。きっと寝そべっていた姿が見えて追いかけてきたのだろう。逃げようと思うものの本能的なものか体を起こす気力が湧かない。そう考えているうちに遊矢が奏良の頭元に座った。
「さっきは急に逃げてどうしたんだ」
「それよりまた僕に何か用?」
「用っていうか、今の素良を一人にしてはおけないし取りあえず保護施設に通報したらいいんじゃないかって思って。だからそれまで俺の家来いよ」
呑気なものだ。自分がどう思われてるかも知らずに。このまま遊矢の家で既成事実を作ってしまえば保護施設何て必要なくなるのに。ダンマリを続けながら素良は目をつむった。
「どうした?施設はやっぱり嫌か?だよなあ。でも俺発情抑制剤手に入れるルートなんてないしどっちにしても一回は病院にいかないといけないと思うんだけど」
黙ったのを拒否だと捉えたのか遊矢は頭を抱えた。自分の事以上のように人の事で一生懸命な姿を見た素良は自分がいかに自分本位で本能に突き動かされてたのか分かり恥ずかしくなった。とりあえず施設に行くにしてもいかないにしてもここで寝そべっていてはいずれはαに見つけられる。遊矢の好意に甘えるのが今は一番いいだろう。そう考え素良は身を起こした。
「遊矢はΩ連れて歩いて嫌じゃない?」
「何が?」
あっけらかんとしているがγの社会的な地位を知らないという事は無いだろう。気を使ってくれているのが素良は素直に嬉しかった。
「じゃあ家に連れてって。そこから電話してもらえる?」
二人は遊矢の家まで並んで歩いた。素良の方から押しかけることは多くても一緒に行くという事は珍しい。明らかに周りの視線が違う。自分の容姿じゃなくてフェロモンに注目されているのは嫌な感じで気持ちよいものではない。αの存在に気づいた周りはつまらなさそうに視線をもとに戻しながら無視して進んだ。いくら社会的に上位でもそうそう品格をさげるようなこうどは取れない。
 自分のことを恋人かなにかと勘違いしたと思い込んだ遊矢は胸をなでおろした。遊矢の勘違いに気付いた素良はこの瞬間が永遠に続けばいいのにと思ってしまうほどであった。しかし幸せな時間と言うものはすぐに終わりを告げるものである。榊家に着いた二人は家に入った。
 
家に着くと遊矢は保護施設に電話した。素良が自分で電話しようとしたのだが知人が早めの発情期に入りそうで困っている、と言ったほうがスムーズに事が運ぶだろうと良い止めた。
「すぐに迎えが来るって」
遊矢の家は密室ではないが外にも匂いはもれにくい。それは同時に部屋に臭いがこもるという事でもある。まだ覚醒していないとはいえこの状況はαの遊矢にとって良い環境ではないだろう。自分を抑えるのがつらい気持ちが素良にはよく分かる。
「色々とごめんね」
「気にするな。友達だろ?」

 あくまで友達 当たり前だ 友達以外の何者なんだ。
「友達だからって優しい顔してたらつけこまれちゃうよ」
「何だよ人を馬鹿みたいに」
少し怒った風に言っているが本調子じゃないと知っているからかいつもよりおおらかである。これが自分の気持ちを伝えることの出来る最初で最後のチャンスかもしれない、そう思うと当たって砕けてもいいか、という気持ちになった。
「ねえ遊矢って自分が何か知ってる?」
なに急に、と遊矢は飲み物を用意する手を止めた。
「知らないけど ほら普通はまだ先の話だから」
確かに自分がΩでなければあまり関係の無い話だ。βであれば性別の方の人生に影響す
「知りたい?僕発情期前だから鼻がきくんだ」
「別に今知らなくてもいずれ分かる事だしβの方が確立が高いし……」
そう言いながらも知りたいという気持ちが伝わって来た。誰だって自分がαなら、と考えるものだ。
「αだよ。おめでとう」
 声にはしないけど目が開き必死で下げているが嬉しさが隠しきれていない。αだと分かり嬉しくない人はいない。
 これから素晴らしい人生が始まるのだろう、たった少しの違いが人生の明暗を分ける。嬉しそうな顔も束の間、遊矢は表情を戻した。
「そんな顔しないでよ。僕がΩなの遊矢のせいじゃないんだし、それにおめでたい事なんだからもっと嬉しそうな顏してよ。僕だって遊矢がαで嬉しいよ?それにαなら……」
 奏良が近づくたび視線が少し揺れている事に気付いた奏良は、遊矢がフェロモンを感じ取っているのだという事に気付いた。
「平気な顔してるけとそろそろ大分きつくなってきたでしょ。無理しなくていいよ?」
 そう言いながら遊矢び股間に優しく手を置いた。
「おい馬鹿やめろ」
 遊矢は慌てて素良の手を払いのけた。
「そんなに嫌?傷付くな〜」
 おちゃらけて言ったが本心も混じっていた。いや殆ど本心であった。
「何が傷付くだ。今は発情期前だから本能的なものに動かされているんだろうけどそういうのは本当に大切な人とするものだ。終わった後に後悔するの嫌だろ?」
 おせっかいな優しさが身に染みる。意識されてないのが余計響く。
「僕遊矢なら噛み付かれてもいいと思ったんだけど」
「だから軽々しく」
奏良なりの精一杯の告白も流されてしまう。
「まあ嫌がる人襲う趣味ないし」
そう言い降参だとでもいうようなポーズを決めた素良のもとに遊矢が戻って来た。やはり素良の体調が心配なのだろう。もたれかかる素良を今度は払いのけなかった。
  
体温が伝わってくる。温かい。
「遊矢はαだけど運命の人ってどう思う?」
「番、か?」
「うん、遺伝子単位でってやつ。僕たちにもいるって事だよな。なんか実感わかないけど。遊矢の場合だと柚子だったらいいのにね 幼なじみの番とか絵に書いたみたいに理想的」
「それはないと思うよ。塾長βって前言ってたから柚子もβだよ」
「そうなんだ、残念だね」
「残念?素良こそ意外だよ運命なんて蹴散らすくらいマイペースに生きそうなのに」
ハットした。冷静なつもりであっても冷静になりきれていない事に気付いた。それが発情によるものか恋の自覚によるものか奏良には区別がつかなかった。
「そうだね。僕が遊矢ならαとか関係なく柚子にアタックするよ」
「だからそんなんじゃ」
大きくため息を付いた。
「ありがと。なんか自分取り戻せたよ。まあ気持ちいいことはいつでも募集中だけど」
「おい」 
今度は先程とは違い和やかな雰囲気である。笑い合っているうちに電話が鳴った。
「もう着くから準備しろって」

二人は玄関先で車の到着を待った。
「僕の方はいつでも大丈夫だよ。本当に今日はありがとう。自分で何とかしようと思ったけど持つべきものは友だね。助かったよ」
「これからも俺に出来る事があるなら何でも言ってくれ」
車が見えた。奏良は道路に出た。遊矢も見送ろうと出ようとしたが奏良はそれを遮った。
「遊矢の運命の人知りたい?実はぼく知ってるんだよね」
「何で?」
 言ってすぐに顔をそむけた素良に遊矢は素良の言わんとしている事が分かった。
「まさか」
 遊矢が何かを言う前に施設の人に誘導され車に乗り込んだ。何かを言っているが聞こえない。どうせあと少しで分かる事だ。ある日いきなり分かって戸惑うより一週間の猶予があるほうがお互い良いだろう。これからどうなるのかという期待不安に包まれながら奏良は未来に思いをはせた。


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