あまい朝露



 恵くんはあまり朝に強くない。寝坊をすることはないけれど、起きてからしばらくはぼうっとしていて、エンジンがかかるまでに時間がいるタイプ。だから朝ごはんは私が作ることが多くて、恵くんは初めの頃こそ申し訳なさそうにしていたけれど、そのうち私に任せてくれるようになった。私としてはまったく問題がないのでこれでいい。すこし乱れた髪のまま、とろんとした目で朝ごはんを食べる恵くんを見るのが、実はけっこう好きだったりするので。恵くんには内緒だけど。

 昨夜セットしたご飯がもう少しで炊けそうなことを確認して、お鍋を火にかけながら、卵焼きをつくろうかなと考えていた、ところで。ずん、と背後から肩に重みが乗って、一瞬どきりとしたけれど、すぐに頬がゆるんでしまった。


「おはよ、恵くん」
「……はよ」


 すこし屈んでいるらしい恵くんが、首筋にかるく頭を擦り付けてきて、くすぐったさに思わず肩をすくめた。「まだ寝ぼけてる?」と訊けば、「んー」と中身のない返事。それがかわいくて、胸がぎゅっと狭くなるような心地がした。


「卵焼きつくるけど、いい?」
「んー……」


 もたれかかられたままいったんコンロの火を消して、「重いよー」と笑い混じりの声で言うと、ふ、と耳元で恵くんもすこしだけ笑ったような気がした。
 あったかくて、幸せ。まだすこし肌寒い朝の空気は、ここだけほんの少しふやけている。


「今からまた火使うから、危ないよ。先に顔洗っておいで」
「……んん」
「あ、こら」


 どうやら今のは拒否だったらしくて、ぎゅ、と腕の力が強まる。でもなんだかそれすら愛おしくて、まわされた腕をそっと手のひらで握り込んだ。

 高専のころも卒業してからも、一緒に暮らし始めて少ししても、恵くんはいつも、私が多少強引にそうさせるか、自分の限界がくるまで甘えてはくれなかった。
 これは私が世話を焼かれてばかりで頼りないせいかもしれないと、そう思いつつ気を張っていれば「無理しないでください」なんて見抜かれて、これじゃどっちが年上かわからないと頭を抱えたこともある。だって、きっと無理をしているのは恵くんの方だってそうで、たまにでいいから私は甘えてほしかった。ぜんぶ、まるごと抱きしめてあげたかった。


「じゃあ、私もそっち向いてもいい?」


 ふっと腕の力が緩んだのを肯定ととって、いったん抜け出してから、今度は正面から恵くんに抱きついた。背中にあたたかい腕がまわされたのが幸せで、すこし背伸びして手を伸ばして、つんつんと跳ねた黒髪をやさしく撫でる。
 見た目よりも柔らかくて、でもコシがあってしっかり跳ね返ってくるその感触が、好き。眠いおかげかぼうっとして、されるがままでいてくれる恵くんが、好き。

 こうやって手放しに甘えてくれることは、今だって決して多くはない。けれど、寝起きのこんな時間は増えて、私はそれが嬉しくて心地よくて、恵くんもそうだったらいいなって思うから。
 炊飯器がもくもくと湯気をはきだして、柔らかな香りがキッチンにたちこめる。朝に急かされるけれど、もうすこしだけ、この温もりを受け止めていたい。




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