太陽が降りそそぐこの島で




「……もう、逃げましょうか」


 すっかり色の抜け落ちた声が出た。重たい身体で無理やりに立ち尽くす俺は、隣に立つその人の足元すら見られなかった。歪な俺たちを、秋風は好き勝手に撫ぜてゆく。
 平等に与えられる現実はいつだって不平等だ。弄ばれるのも押し潰されるのも、もう御免だと思った。自分がどうかしていることは解っていて尚、喉は震える。「ふたりで、」無理だと知っていた。本気ではなかった。「誰も知らない場所に」

 アスファルトが擦れて、項垂れた俺の視界にローファーが入り込んで。けれどすぐ、躊躇うみたいに動きを止めた。


「恵くん」


 細くて、でもずしりと重い。そんな声に顔を上げると、目の前の頬に一筋、涙の線が走り落ちていった。ぱちぱち、瞬きをするたびにその雫は数を増やして、顎まで伝う。茫然と手を伸ばすと、それは白い両手に包まれる。温かかった。


「……つらい、よね、めぐみくん」


 喉が焼ける。声にならない吐息がこぼれて、視界が熱く滲みかける。息を止めると、また一歩、二人の隔たりが狭まった。
 見つめ合う瞳が溶けて、溶けおちて。他の誰でもない、俺のための涙が、幾度となく溢れ出る。泣くな、なんて言えなかった。

 名前を呼んだ。「なまえさん」と、か細く情けない声を絞り出して。ひりつく喉がひどく痛んで、堪えていたそれが崩れ落ちる。歪んだ視界でなまえさんは唇を噛んで、握っていた手を離してしまう。
 たん、たん、ローファーがアスファルトを蹴って、首元に腕が回された。俺よりも幾らか背の低い彼女が、無理やりに俺を肩口に閉じ込める。慣れた香りも温もりも、不器用で不安定な優しさも、痛くて、苦しくて、愛しくて。離されて行き場を失くしていた手で掻き抱いた。

 顔が見えなくなっても、変わらず咽び泣く声は聞こえた。止めてやらないと、拭ってやらないと。そう思うのに、ひどく安心させられるのだ。きっとなまえさんには総てを理解できないだろうに、苦しみを無理やりふたつに分け合って、半分を請け負ってくれることに。
 そして、なまえさんは知っている。平凡で非凡な幸せ──大切な人とただ笑い合えて、苦しむことなんか何もない日常──そんな日々への、息ができなくなるほどの切望を。だから、呪術師として生きることに苦しんでいたなまえさんだからこそ、受け止めてくれるのだろうと思った。


「一緒にいるよ。……恵くんと、ずっと」


 そうして「ごめんね」と続けられた、涙に塗れた謝罪には、きっと。こんなことしか、一緒にいることしかできなくてごめんね、そんな意味が籠っているのだろう。なまえさんはよく、そう言って眉を下げて笑うから。
 声を詰まらせたまま、必死に首を横に振った。何度も、何度も。それでいい。それだけでいい。
 なまえさんに、他には何も望まない。だからどうか消えないでくれと、いっそ呪ってやりたいほどに願う。暮れゆく黄昏時に、俺たちは取り残されている。



20200125
Song by Weezer「Island In The Sun」



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