どうか握っていて




※捏造だらけのパロディです。自動車学校の教官である伏黒くんと、同棲中の年上彼女とのお話です。
※+5〜6歳設定





 がさ、と普段そう聞かない耳障りな音を立てて、デスクにコンビニの袋を置く。その中で焙じ茶のペットボトルが倒れて、つられるみたいに振り返った虎杖が「おっ、伏黒」なんて人好きのする笑顔を向けてきた。


「コンビニ? 珍しいじゃん」
「……別に、そうでもねえだろ」


 椅子を軋ませて座ると、真後ろで書類仕事をしていたはずの虎杖が「だっていつも愛妻弁当じゃん」と背中を小突いてくるから、ひとりでに眉間に皺が寄る。……俺だって、好きでコンビニ飯してんじゃねえよ。つーか愛妻って、まだ結婚してねえよ。もやもやと立ち込める思いを口に出すエネルギーもなく、黙りこくって背中を丸めた。


「あ。もしかして喧嘩した?」
「……うるせえよ」


 袋からひとつ、特別高かったいくらのおにぎりがこぼれ落ちていった。



◇ ◇ ◇




「伏黒教官」


 自動車学校の教官という職業柄、職場でそう呼ばれることは珍しくもなんともない。だが、家にいる時間はまた別だ。恵くん、と俺を呼ぶはずの声が「伏黒教官」なんてわざとらしい呼び方をするのは──その声の主の機嫌が、少しばかり傾いている時だ。


「……これ、なにかな」


 不自然な呼び方と、少しトゲのある声。……それから、ほんの少しの心当たり。色んなイレギュラーに心臓が嫌な跳ねかたをして、それでも無視するわけにはいかず恐る恐る振り返った。

 俺は優しい教官でもなければ、愛想だって良くない。指導に関してはきっちりしている自覚はあるが、あくまでも必要最低限だ。教習生への親切さだとか実習の楽しさとか、ことそういう点においては同期の虎杖の方が遥かに長けていると思う。……それなのに。何故だかさっぱり分からないが、やたらと告白を貰う機会が多かった。それも、そのほとんどが近くの大学に通う女子大生で、わざわざ俺なんかを狙わなくたっていいだろうに。
 勿論、すべて丁重に断っている。連絡先の交換もしていないし、時々持ってきてもらうプレゼントすら受け取っていない。我ながら冷たい対応だとは思うが、教官が教習生に手を出すなんて以ての外であるし、何より……俺には、学生時代からずっと付き合ってきて、今は同棲もしている大切な彼女がいるからだ。

 ──その“大切な彼女”が今、俺のそんな現状を具現化したような手紙を、険しい表情で掲げてみせてきているわけだが。


「それ、は」


 ちょうど、今日の昼間。受け取れないと言ったにも関わらず、教習生が俺のポケットに半ば無理やりねじ込んできた手紙だった。
 手のひらに収まるくらいの大きさの、可愛らしいデザインの便箋に、「伏黒教官へ」なんて丸っこい字で記されたそれ。……さっき洗濯する前にポケットから出して置きっ放してしまって、それを彼女が見つけてしまった、のだと思う。明るく、それから恐らく押しの強い性格であろう教習生を一瞬だけ思い浮かべて、それから。目の前にいるなまえさんの、すこし尖った唇を見つめた。


「悪い、多分……そういう、手紙です。まだ、読んでねえけど」


 下手に誤魔化すのも良くないだろうとそう言うと、「そっか」と返ってくる声はどこか辛そうで。別にやましいこともなければ、当たり前に断るつもりで、きっと彼女だってそれは分かっている。
 それでも──こういう時に持て余す感情は、理屈ではどうにもならないものだと、俺もよく知っている。


「……やっぱり、伏黒教官はモテモテなんですね」


 呼び方にわざとらしい敬語まで加わって、焦りに背中を押されるままに意味もなく、「なまえさん」なんて呼んでみる。けれど、見つめる先の唇は尖っていくばかり。

 教習所マジックなんて俗語だって出回っていたり、「恵くん、女子大生に人気あるでしょ」と笑い混じりに言われたこともあったり、なまえさんにも職場での俺の境遇を推察することはあったのだと思う。けれど、はっきりとした物的証拠(こんな言い方をするのは癪だが)が見つかったのは──今日が、初めてだった。

 言葉が見つからなくて、今は俺が何を言ったって逆効果なんじゃないかとすら思えてくる。迷った末に伸ばした手は、なまえさんがちょうど歩き出したせいで虚しくすり抜けていった。


「……ごめんね、わかってるの。仕方ないよね」
「……いや、」
「でも、……今日は、時間がほしい、かも」


 ──そして。昨晩は初めて、背中合わせで眠った。おやすみ、とだけ言い合って、触れることも戸惑うような重苦しい空気の中、背後でゆるい衣擦れの音を聞いて。しばらくしたころ名前を呼んでみたけれど、もう眠っていたのか答える気になってもらえなかったのか、薄暗い寝室にはしずかな呼吸音がぼんやりと響き続けていた。

 なかなか眠れず迎えた今朝、俺たちは二人揃って寝坊した。……もしかすると、なまえさんもよく眠れていなかったのかもしれない。兎にも角にも時間がなくて、「ごめん、お昼は買っていってね」なんて謝罪をのこして、当然ロクに話もできないままなまえさんは仕事に向かっていった。



◇ ◇ ◇




 そんな一連の出来事を、喧嘩、と呼んでもいいのだろうか。きっと俺に非があって、でも少し、理解してもらいたいような気持ちもあって。けれどそれが、ひどく難しいのであろうことも分かっていて──複雑な気持ちを燻らせながらも、転がったおにぎりを黙って拾い上げると、「エッ」なんて虎杖が気まずそうな声をあげた。


「……ウソ、マジで喧嘩……?」
「マジだったらなんだよ」
「いや、みょうじセンパイと伏黒が喧嘩とか、珍しーなと思ってさ」
「……そうかよ」


 まあそうだろうな、と思う。虎杖にとっても学生時代の先輩である彼女は、温厚というか平和主義というかそんな風に見えるのだろうし、実際長く一緒にいる俺から見てもまさしくそうだと思う。

 意見がぶつかってもなまえさんが困ったように笑うから、険悪なムードにはならなかった。「伏黒教官」と呼ばれる時も、今までは冗談っぽいトーンだった。無理をさせているのかもとなんとなく勘付きつつ、どうしようもないからと言い訳して、俺はその優しさに甘えすぎていたのかもしれない。


「ちげーよ、とか言われるかと思ってた。ごめん伏黒」


 ……なんだか。そんなにまっすぐに謝られると、虎杖の明るさもあいまって余計に居た堪れない。「もういい」と簡潔に返して話を切り上げて、軽く椅子を回す。軋む音を聞きながら、冷たいままのおにぎりにかぶりついた。


「あ、それ高いやつじゃん」
「ん」
「うまい?」
「まあ」


 ぷち、と口の中でいくらが潰れる。確かに、うまい。二百円出した甲斐はあったのだろうと思う。

 ……でも。

 なんとなしの物足りなさを持て余していたそのとき、ポケットに入れたままのスマホが小さく震える。二回、三回。それだけのことにやたらと心拍数が上がったのは、送り主をぼんやりと想像してしまったからだ。そうしておにぎりを飲み下してから、少し慎重にスマホを取り出して。


「……はぁ、くそ」


 思わずそう小さく呟いた視線の先、液晶に表示されていたのは思った通りの相手からのメッセージだった。『恵くん、昨日も今朝もごめんね』と、それに続くなまえさんらしい謝罪や気遣いの文に、自分への情けなさがぶわりと込み上げる。

 俺からメッセージを送ることだって、出来たはずなのに。小難しく考えている間になまえさんにまた無理をさせて──「ごめんね恵くん」と、困ったように笑う表情が思い浮かんで、胸の奥がちくりと痛んだ。たったの一つしか変わらないはずで、普段はそれすら感じることはないのに、時折こうして思い知らされる。なまえさんは歳上で、それから、歳上であろうとしているのだと。

 ひとつ深呼吸をして、少しずつ言葉を選ぶ。そしてゆっくり、ゆっくりと画面に指を滑らせていった、けれど。──ぴたり、指が止まった。
 書き連ねてきた色々を消して、『俺の方こそすみませんでした。帰ったらゆっくり話したいです』と、簡潔に送り返す。……きちんと面と向かって、俺の言葉で、なまえさんと話をしたいと思った。


「……大丈夫そ?」


 大きくため息をついてスマホを置いた俺に、虎杖がどこか聞きにくそうに、けれど心配そうにそう声をかけてくれた。……なんだかんだで、気遣ってくれんだよな。


「……あぁ。悪い」


 もう大丈夫だ、と一先ずそう返して、軽く伸びをした。幸い、明日は二人とも休日だ。今晩はきちんと説明して謝って、それから。いつもなんとなく流されてしまうなまえさんの不安なんかを、出来る限りに聞かせてもらいたい。そうしてその分、しっかり安心させてやりたいとも思う。きっと、そう単純な話ではないだろうけど。

 画面がパッと光って、『うん、わかったよ』なんて返事が映る。二つ目のおにぎりに手を伸ばしながら、あわよくばなまえさんの我儘も引き出せやしないだろうか、なんて少し期待しつつ。今晩の話の切り出し方を、ゆっくりと考え始めていた。



20210513
相互さんが「共感」を「教官」と誤字してくれたことにより
無事生まれたパロでした(?)



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