晩翠
「なまえさんが自分を好きになれないのは、悪いことじゃない」
思わずこぼした自己嫌悪に、恵くんはひどく凪いだ声で応えてくれた。静かで硬いそれが掻き抱く深い感情が、ずくずくと痛む心をまっすぐに見据えている。
「だから俺は、直ぐ元気になれなんて言う気はないです。悩んだりしばらく落ち込んだままでいたり、きっとなまえさんにとって大切な事なんでしょう」
こくり、小さく首肯した。私から見えるのは恵くんの横顔と、瞬きのたびに隠れてしまうきらめく瞳。それはいま私に向けられてはいなかった。けれど確かに、私が映っているのだろうと思う。恵くんはそういうひとだから。
「なまえさんのその気持ちを、俺は否定したくない」
「……うん」
次は、声を出して返事をした。恵くんは目を伏せて、前に向いていた視線を下ろす。私の視線も、躊躇いながらそれを追いかけた。
組まれていた恵くんの両の手の長くきれいな指が、その存在を確かめるように一瞬だけ強く握られて、それから。解かれてしまったかと思うと、そのひとつが唐突にこちらに伸びてくる。
「……こっからは、俺の我儘です」
──相変わらずこちらを観てはいないのに、恵くんの右手は正確に私の左手を包み込んだ。粗雑に掴まれただけだったはずの手が、先ほど恵くんが自らの手にそうしていたように、此処にあることをみとめようと強く握られる。それからひとつずつ、指を絡め取られてゆく。
ぼんやりとその手元を眺めているうちに、私の指のあいだには全て、恵くんの長くきれいな指がすべり込んでしまっていた。じわりじわりと染みる体温が熱くて、迫り上がる安心感でなぜだか視界が滲む。
「それはそれとして、でも俺は何か……俺がなまえさんの支えになれるのなら……そうしたい、と思う」
不思議だ。恵くんは時に、私よりも私のことをよく識っている。こぼすつもりのなかった渦巻く暗い感情を受け取った時にもう、私がどうしてほしいと思っていたのか、恵くんはわかってくれていた。そうして、その通りに言葉をくれて、隣にいてくれる。
不思議で、情けなくて、でも有り難くて、暖かくて、嬉しかった。
「……だから、せめてそばに居させて貰えませんか。肯定も否定もしない、ただここに居て、なまえさんの話を聴いて頷いていたい」
大して力を込めていなかった、包まれっ放しだった左手に、ゆるく力を込めていく。すこしずつ、恐る恐る。「めぐみくん、」絞り出した声は涙に塗れていて、恵くんが身じろぐのが俯いていてもわかった。熱くあふれ出した視界に、涙を掬う指先が近付いてくる。
20210221
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