寒いねと、口をついて出た言葉に他意はなかった。ただお互い学校に残る用事があって、寮までのわずかな帰り道を共にすることになったとき。吹き付ける風の冷たさに耐えきれず、自然とこぼれただけの独り言。
だから、すぐに読み取れなかった。特に返事をすることもなく、巻いていたマフラーをおもむろにほどき始める轟くんの真意が。突然近付いてくる轟くんにとっさに反応できなかったのも、きっと仕方のないことだった。
つい足を止めた私をゆるく包んだのは、ふわり、柔らかな感触だった。理解が追いつかないままの私の肩に、優しいぬくもりがしっとりと染み込んでくる。まるで寒空の下、つんとした冷気から護るみたいに。
「寒いんだろ。使ってくれ」
さっきまで私と並んでいた轟くんが、目の前にいる。それも、一歩踏み出せば胸に飛び込めてしまうような距離に。
ごまかすみたいに慌てて俯いたとき、視界に入る轟くんの手。それはマフラーの両端を持つようにしていて――気付く。轟くんが、マフラーをかけてくれたんだ。わざわざ自分のしていたものを解いて。
もやのかかっていた意識は焦りに引き戻されて、慌てて首元のマフラーに手を遣った。
「や……わ、悪いよ」
「一応、してきただけで。俺はそんな寒くねえから」
いや、そういう問題ではないような……。出かけた言葉は奔る冷気に遮られて、思わず肩を竦めてしまう。そんな拍子に風が運んできた、どこか甘く爽やかな香り――私は、それを知っていた。
轟くんとすれ違ったとき、顔を覗き込まれたとき、少しばかり近すぎる距離感に戸惑うとき。いつも私を擽る香り、そのものだった。
「だ、だめ、だよ」
「……ん?」
今度は否応なく、そして距離を意識した時よりもずっと大きく、たしかに心臓が跳ね上がる。どくどくと鼓動が速まっていく中で、「ダメだったか?」なんて、少し哀しそうに轟くんが訊いてくる、から。それには慌てて首を振った。
「だめって、いうか……その、なんだろ……」
そんな、後ろ向きな意味じゃなくて。口ごもりながらも誤解をときたくて顔を上げると、上擦った声に首を傾げる轟くんが立っている。
「こういうの、は……その、特別なひとにしか、しちゃいけないと……思うから……」
恥ずかしくなるくらい、しどろもどろな私の弁解。そこから「……特別」とひとこと取り上げて、轟くんは噛み締めるように繰りかえした。それにこくこくと頷いてみせると──「じゃあ、いいじゃねえか」なんて、轟くんは肩の力を抜いてしまう。予想外の返事に、今度は私のほうが首をかしげる番になる。その唇をじっと見つめた。
「特別なひと、だろ」
声も、視線も、それはあまりに真っ直ぐだった。きらめく瞳に突き刺されて、こもった熱が身体に広がってゆく。「……わたし、が?」我ながら自惚れにも程がある問いかけを返してしまったのに、「ああ」なんて轟くんは頷く。あっさりと、でもしっかりと。
とくべつ。特別な、ひと。……私が選んだ言葉だった。それなのに込められた意味を読み解けなくて、轟くんの真っ直ぐな視線から逃げ出す。けれど消えない、渦巻きはじめた期待たち。
吸い込んだ冬の夕暮れが、肺をじくじく蝕んでゆく。俯いてマフラーを握る私を、轟くんはきっとまだ見つめている。もう少しだけ。
20201219
#hrak夢版深夜の真剣創作60分一本勝負
お題「特別」