手のひらの上の星屑



 一歩ごとにつるりと足を取られて、なんとか持ち堪えて、そんなことを繰り返して歩くわたしのすこし前で、翼をすこし広げた啓悟くんは街灯に照らされて、長い影を落としながら「おーい、早くおいでー」なんて言う。むっとして唇を尖らせるわたしの表情は、きっと彼にも見えている。

 今日、雪が降った。夜明けからしんしんと降る雪は案外積もってしまって、けれど昼には止んで、そうして夜、日光で溶けた雪はアスファルトの上で凍りついている。駅前はまだマシだったものの、街灯がまばらになってしまった家の近くの道はなかなかに手強かった。一面が氷に覆われて、雪に慣れていないわたしは一歩進むのもひと苦労だ。
「こけるよ、気をつけんと」
「じゃあ啓悟くん、手伝ってよ」
「どーしよっかな
 帰り道危ないし、迎えにいきますよ。そう連絡が来たときはそりゃあもう嬉しかった。わたしを心配してくれたことや時間を割いてくれること、そんな優しさが沁み入って、それから単純に、あなたに会えることが嬉しくて。
 ……それがどうだ。そんな連絡をくれた優しい優しい啓悟くんは今、わたしの数歩前で、子鹿のようによろめくわたしを実に楽しそうに眺めている。鍛えられた体幹と翼のアシストで事もなげに歩く啓悟くんが、「ほらぁ、はよせんと置いてくよ」なんて言う。
 あーもう本当……こういうとこあるんだよな。わたしのことをからかい出すと止まらなくて、ちょっと楽しそうに目が輝いて、まるで小さな男の子みたいな顔をするときがある。好きな子にいじわるしちゃう小学生、そんな感じ。少年に戻ったような啓悟くんがかわいいなって、そう思うこともあるけれど、残念ながら今はそれどころではない。
「助けてよホークスー」
「今は営業時間外でーす」
「いじわるばっか言っ、あ……!?」
 すべっ、た。とうとう踏ん張りがきかなくなって足を滑らせて、わたしの視界はぐらりと傾いてしまう。……けれど、首元を軽く引っ張られる感覚と共に、傾いた身体はぴたりと動きを止めた。剛翼に助けられた、と。そう気付きつつそのまんま固まるわたしは、きっとひどく間抜けな格好だ。たん、たん、と軽く数歩近づいてきた啓悟くんが小さく笑い声をあげる。
「やけん言ったやん、こけるよって」
「うう……」
「首んとこ剛翼に引っ張られて、ホラ、子猫みたいなっとる」
「っ、もう!」
 面白そうに笑う啓悟くんを見て、いや原因を作ったのは自分の鈍臭さなのだが、さすがにイラッときてしまう。「そんな笑わなくていいじゃん!」と語気を強めると、彼は一瞬ポカンと目を丸くして。そうしてすぐ、今度はさっきよりも大きく口を開けて笑い出したのだ。
「ははは、ごめん、ごめんって」
「……笑うとこじゃないでしょ」
「だって。そんな怒らんでよ」
 本当にどうしてだかわからないけれど楽しそうに笑い続ける彼を見て、「もー……」なんて意味のないつぶやきをこぼしながら、みるみるうちに怒りなんてものは萎んでいって、わたしの口元も勝手に緩み始めていることに気がついていた。

 だってそんな、幸せそうに笑われたら。怒るに怒れないどころか、愛おしさすら感じてしまう。わたしをからかって無邪気に笑う、そんな子どもみたいな姿が、泣きたくなるくらいに愛おしい。こんな日常でわたしが隣にいられることが、泣きたくなるくらいに嬉しかった。
「……手貸してくれたら、許してあげる」
 ふてくされたふりをしながらそう言うと、啓悟くんはまだ笑いの抜けきらない声で「お安い御用」なんて言って。すっと手を取られておまけに腰に手を回されて、わたしを支えていた剛翼がさらりと空を切ってゆく。
「このまま泊まっていってくれたら許してあげるね」
「お願い増えとうやん」
 そんな啓悟くんの横顔を盗み見ると、薄い街灯のひかりに照らされるその表情は穏やかで、自惚れかもしれないけれど、幸せそうにゆるんでいて。そうしてわたしの方を向いてくれるから、視線があたたかく交わる。どちらからともなく笑いあって、ふわりとこぼれた白い息は、ふたりのあいだで静かに溶け落ちていった。



20220123



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