美しい日



※ホークス誕生祭2022
※捏造と独自解釈だらけですのでご注意ください




 ホークス、お誕生日おめでとう。
 サイドキック、事務員、街ゆくファン、プロヒーロー。あらゆる人がそう声をかけてくれる、そんなとある冬の一日だった。普通に、嬉しい、と思う。この日はヒーロー「ホークス」が生まれた日であって、俺は俺の本当に生まれた日、この世に生を受けた日を知らないけれど、祝福の気持ちというのは受け取っていて悪い気はしない。ホークスの存在が喜ばれ、求められていることに安心だってする。
 年末の繁忙期、事務所では大掛かりなことをしている余裕こそないものの、毎年誰かしらがケーキを買ってきてくれて、暖かい「おめでとう」を受け取りながら食べている。今年も変わらず用意されていたケーキに、なんとなく、胸の中に小さなろうそくが灯ったような嬉しさを覚えた。
 けれど今年の今日は、すこし心がざわついている。それはたぶん、仕事終わりに恋人としている約束のせいだった。

「あしたの夜は来てくれるんだっけ」
「ん。ちょっと遅くなるかもしれんけど」
 昨日の夜、夜勤のパトロールの合間に電話をかけてそんな話をしていたとき、なまえちゃんがおもむろに「あっ、お誕生日おめでとう」と言った。時計は、ちょうど0時を指していた。
 彼女には話したことがある。家庭環境があまり良くなくて(最悪と言っても差し支えなかったけれど、気を遣わせるのが嫌でオブラートに包んだ)、俺は自分の本当の誕生日を知らなくて、12月28日は「ホークス」が生まれた日だということを。だからなまえちゃんの「おめでとう」に、俺は一瞬面食らってしまった。だって、彼女が今年も今日という日を祝うとは思わなかった。たしかに去年も軽くおめでとうを言われたけれど、それは俺たちが単なる知人同士であって、深いところをなんにも知らなかったからこそだったはずで。
「あれ? 合ってるよね……?」
「や、合っとる。ありがと」
「……ごめん、お祝いされるの、嫌?」
 少し、どきりとした。動揺を隠しながら「んー、嫌ってわけじゃ……」と返したのはちゃんと本心で、でも戸惑ってはいたというのが本当のところ。違和感、もあった。なまえちゃんが俺を「啓悟くん」とよぶ間は自分が「ホークス」であることをほんの少し忘れていて、ただのひとりの男に成り下がっていると思うから。
「えーっと……嫌じゃなかったら、ちょっとお祝いしたいんだけど……いいかな」
「明日?」
「うん」
 少し考えて、「いいよ」と返した俺の声に滲んだ心の揺れも、彼女には伝わっていただろうか。


◇ ◇ ◇


 なんとか約束の時間までに仕事を終わらせて、いつも通りに彼女のマンションのベランダに降り立った。鍵だってもらっているけれど、エントランスから入ると人と鉢合わせる可能性もあるし、だいたいいつもこうだった。なんならなまえちゃんもベランダ側にスリッパを置いてくれていたりするし。
 カーテンを透かす淡い光が漏れる窓を、こんこん、軽く叩く。するとほどなくして鍵の外れる音がして、からからと窓が開いて、「お疲れさま、啓悟くん」といつも通りの笑顔が迎えてくれたことに、心が溶けてしまいそうな気がした。
「なまえちゃんもお疲れ」
 そうして迎え入れられた家の中は、少しだけ見慣れないすがたをしていた。壁に貼りついたキラキラのHAPPY BIRTHDAYの文字と目が合って、それから「お誕生日おめでとう」と彼女が笑うから、曖昧にうなずきながら、少し胸の中がむず痒くなった。
「先にごはん食べる?」
「……ウン」
 手渡されたルームウェアに着替えて、脱いだヒーロースーツは彼女が手早くハンガーにかけてくれる。今日に限って、ありがとうがうまく口に出せないのはどうしてだろう。

「ちょっとしたお祝いね」
 そう言って並べられていく料理は、今までいっしょに食べた中で「これ好き」と俺が口に出したものばかりだった。そうして一通り好物が並んで、さいごに冷蔵庫から出てきた箱を「これはご飯の後ね」と言いながらなまえちゃんが開けると、まっしろな上にいちごの乗っかったケーキが出てきた。「お誕生日おめでとう」とチョコのプレートが乗っかったそれは、思っていたよりも一回り大きい。
「え、でか」
「まあね」
「俺こんな食べれるかな」
「大丈夫大丈夫」
 ケーキは大きいに越したことないからね、なんて謎の持論を語りながら冷蔵庫に戻って、またなまえちゃんが持ってきたのは縦長のキャラクターの袋。
「明日早いからお酒飲まないよね?」
 そう確認されてうなずくと、「そう言うと思ってシャンメリー買ってきたの」と得意げにその袋を掲げてみせる。よく知らない単語に「シャンメリー?」とおうむ返しにすると、「特別な日のジュースだよ」なんて言って彼女は袋を開ける。姿を現したのはビンで、そこに詰められたキツめのピンク色につい「うわ」と声が出た。
「身体に悪そーな色」
 つい少し笑ってしまいながらそう言うと、「それがいいんじゃん」となまえちゃんも笑った。苦戦しているところを代わって軽く蓋をあけてやれば、彼女は用意されたワイングラスにビンを傾ける。しゅわしゅわ、波打つピンク色に満たされてゆくグラスに、なんだか、自分の心を見ているような心地になった。不安定に揺れる水面は、それでもきちんとグラスのかたちにおさめられている。鮮やかすぎる知らない色を注ぎ込まれるグラスは、突然『しあわせ』を注ぎ込まれて戸惑う俺みたいだった。

 いま、俺はどうしたらいいのかわからなかった。
 こんなふうに祝われるのは初めてだった。紛れもなく特別だということがわかって、今日が特別な日として扱われていることを、今日のなまえちゃんが俺の為にしてくれることを――嬉しい、と思っている。でも、本当に嬉しいと思っていいのかわからない。ホークスが生まれた日を、「啓悟くん」を愛してくれるなまえちゃんに祝われて。俺はどんな顔で、だれの心で、どうやって笑えばいいのかわからない。
「啓悟くん」
 ほら、そうやって呼ぶんやもん。ホークスが生まれた日は、鷹見啓悟と「さよなら」をした日でもあるのに。――それなら、彼女が呼んだ「啓悟くん」はどこにいる?
「啓悟くん。聞いてくれる?」
 はっと顔を上げた先、なまえちゃんの柔らかい視線を見つけた俺は、自分の呼吸が少し速くなっていたことにやっと気がついた。
「ごめんね、祝いたいなんて無理言って」
「いや、」
 掠れた声で答えて、軽く首を振る。彼女は視線を落として、伏せられたまつ毛がゆるく震えていた。
「困るかなって思わなかったわけじゃなくて。……でもどうしても、おめでとうが言いたかった」
 ――なんで? 訊き返したくなったけれど、彼女に答えを求めてばかりではいけないと思った。少し言葉を選ぼうとして、けれど普段のよくまわる口は鳴りを潜めて、何も着せない言葉じゃないと伝わらないかもしれなくて。
「……本当の誕生日じゃないのに」
 うん、となまえちゃんはうなずいて、少し尖った俺の言葉を真正面から受け止めている。何も言わない彼女の前で、「鷹見啓悟が、おらんくなった日やのに」そんな言葉がひとりでにこぼれていった。

「啓悟くんは、今日が嫌い?」
 少ししてそう言ったなまえちゃんの声は、この沈黙に重さを感じさせないような、夢みたいに穏やかな声だった。拍子抜けというか、こもっていた力がすこし緩んだような心地になりながら、ちいさく息をつく。
「……嫌いやないよ、ただ……」
 息をひとかたまり吸い込んで、吐いて、また吸って、俺は「めでたいんかはわからん」と呟いた。ふたりきりの部屋でなければ聞こえないくらい、静かな声だった。
「わたしはおめでたいと思ったよ、だって、ホークスが生まれた日だから」
 きらり、瞬く視界に光が揺らいだ気がした。声は目には見えない。なまえちゃんの個性だってそういう類のものじゃない。それなのに、彼女のその声が、俺には輝いているように思えたのだ。ゆっくりと顔を上げようとして、その途中に目に入った並んだ料理たち。「ホークスがホークスでいてくれたから、わたしはあなたを見つけられたと思うから」なんて、そんな言葉たちの纏う愛がこの視界を輝かせているような。
 いつだって答えをくれるのはなまえちゃんで、俺はそれじゃだめだと思っていて、でもどんなときも期待を捨てきれないでいた。だから、狡いのはわかっているけれど、黙りこくったまま次の言葉を待っている。
「わたし、あんまり運命とか信じられなくて」
「……うん」
「なにかが違ってたら、わたしたち出会ってなかったと思うんだよね」
 ――たとえば俺が、ヒーローホークスじゃなかったら。なまえちゃんが今の仕事をしていなかったら。それでも巡り合うような、どんな姿でも魂は惹かれあうみたいな話じゃなくて。過去からひとつずつピースをはめ込んで、どこかが欠ければ完成しなかったような、そんな関係性なんだと彼女は言っている。運命とは程遠いそんな理論は、現実的で飾り気もないはずなのに、いや、だからこそ。すとんと俺の中に落ちていった。
「わたしは啓悟くんと出会えて、今があって、本当に嬉しいよ。だから、啓悟くんの過去を見ないふりしたくなくて」
 なんて、ちょっと偉そうだったね。そう付け加えてなまえちゃんは口を閉じた。時折真面目な話をする彼女は、いつもこうやって照れ隠しみたいに笑う。

 ずっと遠くに置いてきた鷹見啓悟のことなんて放っておけばいいのに、なまえちゃんはひとつ残らず掬い上げようとする。そんな欲張りと、それを実現させてしまう懐の深さ。俺にはないものを持っているなまえちゃんを、俺は今、好きだと思った。
 俺はなまえちゃんと出会って向き合って、それから、新しい自分で生きていく気でいた。一度死んだ鷹見啓悟が生まれ変わったのだと。だからなまえちゃんが過去に目を向けるのが少し嫌で、気に食わなくて、過去ごとぜんぶと歩いていくなんてできっこないと思ったのだ。それなのに、欠けたらだめだと言う。欠けていたら出会えなかったと、あのころの俺の手を取って言う。運命も神様も信じてないのは俺も一緒で、だから彼女の言葉が重たくて、気付くとあのころの俺も彼女の手を握りかえしていた。
 なまえちゃんは見つけて拾い上げてくれた。死んでなんかいなかった、あの日に置いてきた鷹見啓悟を。俺にはもう受け取れない、持てない、鷹見啓悟という名前を。今にも崩れおちてしまっても、消えてしまってもおかしくないようなそれを、なまえちゃんは大切に持っている。

「俺ちゃんと嬉しかったよ」
 今だってどうすればいいのかわからない。でも伝えたいことがある。
「しあわせやって思った」
 なまえちゃんならきっと、ひとつずつ聴いてくれる。ただ、そう信じていた。
「ちゃんと言えんでごめん」
 鷹見啓悟は。彼女の隣にいる俺の中で、たしかに息をしている。生かされていると思った。もちろん完璧なかたちじゃない。でも、見限ったものたちとまだ向き合えていない俺が捨てようとしたものを、なまえちゃんは拾ってくれた。俺がそうしたいと思っていたように。俺ひとりではできなかったことに、彼女が大きすぎるくらいの力を貸してくれていた。
「ありがとう」
 交わった視線がとろけて、何度も頷くなまえちゃんはまるで俺のことばを噛み締めているみたいに見えて、俺のぜんぶに意味があるんだって、そんなとてつもないことを言われているような気さえする。
「ありがとうなんてわたしの方が言いたいよ」
 ほどなくしてそう言ったなまえちゃんの瞳には涙が溜まっていて、それが揺らいで見える俺の瞳もたぶん同じ。目頭がたまらなく熱かった。
「啓悟くん」
「うん」
「あのね、啓悟くん」
 大切に呼ばれている、と思った。今までもこの瞬間も、もしかしたらこれからも、ずっと。
「ほんとは今日言うことじゃないかもしれないんだけど、言ってもいいかな」
「言って」
 なまえちゃんの瞳を覆っていた膜がはじけて、ほろり、雫がひとつこぼれだす。それは頬を伝って走って、ゆるく曲がって唇の端をなぞっていた。そのすべてが美しいから、目が離せなかった。
「啓悟くん、生まれてきてくれてありがとう」
 喉が焼かれたみたいに痺れて、思いきり吐き出した息が痛かった。つぶれそうな肺に酸素を取り込んで、俯いた途端に雫がおちる。あぐらの上で握り込んだ手に、一滴、二滴、雨が降り出すみたいにおちてゆく。
 意味なんていつだって後からついてくる。暗い暗い夜の底でうずくまる俺は、たぶんそれを知っていた。だから今日まで生きてこられた。
 拾ってくれた名前、持っとってよ。できたら、この先ずっと。いつかこんな大それた願いを言葉にできたなら、そのときは、君と一緒に生きていけるやろうか。

「ごはん食べようか」
「……うん」
「ケーキも食べよう」
「ぜんぶ食べる」
「無理しちゃだめだよ」
「うん」
「ろうそくもあるから歌ってあげるね、ハッピーバースデー。ちゃんと火消してね」
「……俺が?」
「そうだよ。啓悟くんが」
 ゆらゆら、ケーキの上でゆらめく火。そんな、想像の中で思い描いた何となしの幸せみたいなものが、君の隣で、『しあわせ』としてかたちになろうとしている。



20221228
あなたがいる場所にしあわせがあふれていますように




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