指の隙間を溶けていく


 結局まともに心の準備はできないまま、オレはその時を迎えていた。だだっ広い客間で、オレと瑠璃さんはいわゆるお誕生日席に座って。それを取り囲むのは、獄寺くんに山本、お兄さん、クローム、驚いたことに雲雀さんと、それからリボーンだった。骸は……来られないし、ランボは学校だ。全員ではないとはいえ、来ないだろうと思っていた雲雀さんがいることにもなかなかに緊張して、「えーと……」と切り出した声は少し震えてしまった。


「あの、今日は皆にお知らせというか、ご報告があって……」


 誰かしら声をあげそうな中、皆が黙ってこちらを見つめているのは、隣に座っている瑠璃さんのおかげかもしれない。
 ちらりと隣を見遣ると、きっと緊張こそしているのだろうけど、その表情は弱々しくはなかった。そう、どこか……凛としている、なんて言葉が似合うような。皆を集めるまでにふたりで話す時間は取れなかったけれど、それでも彼女なりに精一杯、堂々と振る舞おうとしてくれているのかもしれない。
 正直、本当にいいの? なんてもう一度訊きたかったけれど。オレばっかりが萎縮してるわけにはいかないよなと、皆の方に向き直る。


「こちらの春日井瑠璃さんは、同盟ファミリーのご令嬢なんだけど……その、瑠璃さん、と。婚約、することになりました」


 オレの紹介にあわせて瑠璃さんが「よろしくお願いします」と頭を下げてくれて、そこで「おおっ!」と明るい声をあげてくれたのは、山本とお兄さんだった。クロームの表情も心なしか明るくなったように見えて、ほんの少しだけ安心してしまった。……のも束の間。


「……そう、おめでとう。じゃあ僕は帰るよ」


 短くそう言い残して、止める間も無く出て行ってしまったのは雲雀さんだった。相変わらずの態度に、反射みたいにどきりとしたけれど。……今なんて? おめでとう……?
 

「あ、ありがとう、ございます……?」


 理解が追いつかないまま、閉まりかけた扉に声をかけた。きっともう聞こえていなかっただろうけど、雲雀さんが一言でも祝ってくれるなんて。意外ときっちりしたところあるんだよな……なんて思っていると、「ヒバリの奴、相変わらずなのな」と、閉まった扉を目で追いながら山本が笑った。
 それからオレたちの方に向き直って、「ツナ、瑠璃さん」と名前を呼ぶ。隣で瑠璃さんが背筋を伸ばす気配がした。


「おめでとうな、本当に。いやー、ツナは近頃見合いも増えてたってんで、なんか安心したぜ」
「そうだな! 極限にめでたいぞ! 沢田が選んだ相手なら安心だ!」 
「……ボス、瑠璃……さん。おめでとう」


 そう口々に告げられる言葉たちに、二人でぺこぺこしながらお礼を返してから。一番手前に座っている、獄寺くんに視線を遣った。

 ……気のせいじゃないと思うんだけど、さっきから獄寺くんの視線がどことなく鋭い。……これはオレの憶測でしかないけれど、きっと……急に決まった話に、不信感が拭えないんだろうなと思う。獄寺くんはそういう人だ。人一倍マフィアを知っていて、この世界の危うさ、疑う必要性をよく知っている筈だから。
 

「……10代目」
「あ、う、うん」
「……おめでとう、ございます」


 顔が、もうめちゃくちゃに何か言いたげだ。きっとおめでとうという言葉は本物で、だけど心配だとかそんなものが、祝福を上回っているのだと思う。
 まあでも数年前の獄寺くんなら、こうして取り繕うこともできなかっただろうし……とりあえず、今日のところはこれで良い、かな。


 つまるところ、オレはきっと逃げていた。
 雲雀さんは予想外だったけれど、おおかた皆は祝福してくれるだろうと思っていた。そして予想通り、山本もお兄さんもクロームも受け入れてくれた。イタリアの小学校に通い始めて急にマセたランボも、帰宅後に話せばきっと祝ってくれるだろう。
 獄寺くんはそうじゃないって、オレはどことなくわかっていた。オレのことを人一倍心配してくれる彼のことだ。いくら身元がしっかりしていたって、問題はそこじゃない。多分……上手い言葉が見つからないけれど……オレが幸せになれるかどうか、を。自惚れじゃなく気にしてくれている筈なんだ。

 大丈夫だよ、そう言えたらよかった。ちゃんとオレたち自身の選択なんだって。事実そうであることに変わりはないのに、でも言えなかった。「来週みんなに話がある」とぼかしたのも、一対一で追及されることを避けるためだったと言っても過言じゃない。
 そう言えるだけの、誰かを安心させてやるための自信なんかは、あいにく今のオレにはなかった。だってオレ自身ですら、今現在の瑠璃さんとの関係が不安でしかないわけだから。

 ついその横顔を見つめてしまうと、「……沢田さん?」と瑠璃さんは首を傾げる。……前みたいに、ツナさんって呼んでよ。



・・・




 簡単に継承式の打ち合わせをしてから、静かに解散した。日程が近付いたらもう少し詰めなきゃいけないよなと、ひとつあくびを噛み殺した。
 オレと瑠璃さんとリボーンだけになった部屋で、リボーンが「今日、9代目がジャッポーネから帰国する。明日は9代目のところに行くぞ」とオレたちに視線を遣った。


「は、はい」
「あ、うん。それは覚えてるよ」


 なんとなく息の合わない返事をしながらも、オレはこれからどうしようかと今日のことで頭を捻っていた。まだ夕方にもなっていないし、二人で少し話そうって誘った方がいいかな。いやでも、何を話したらいいんだろう。前みたいにうまく話せる気があんまりしない。……なにこれ、付き合いたての中学生かよ。いや、中学生のときオレには彼女なんていなかったけどさ。
 そんなことをもやもや考えて、コーヒーを口に含んだ瞬間。「瑠璃、今日は泊まってくか?」なんてリボーンが言うから、危うく思いきり吹き出すところだった。


「えっ、いや……」


 なんとかやりすごしてコーヒーを飲み下してから、自然と瑠璃さんと顔を合わせる。けれどかち合った視線はすぐに取り上げられてしまって、瑠璃さんはふるふると首を振った。


「……いえ。大丈夫です、リボーンさん。外で、運転手さんに待っていただいているもので」


 なんだか、振られたような……そんな縁起でもないショックを抱えながら、「こ、困らせるなよリボーン」と絞り出した声は上擦った。瑠璃さんの髪の隙間からのぞく耳の赤さ、その真意はオレには分かり得ないことだった。





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