ハローグッバイ
あれから。婚約、してから一週間が経った。相変わらず暑さが残される日々、でも秋の継承式まではあと1ヶ月となり、本格的に準備が進められている。そんな中まだオレと瑠璃さんは顔を合わせてはいなくて、そろそろ改めてふたりで話をしたいななんて、オレはぼんやり思っているんだけど。……瑠璃さんは、果たしてどうだろう。
オレたちが、友人として会ったり出掛けたりしていた頃から、すこし変わったことがあった。
まず、呼び方。オレはあの日から「瑠璃さん」と呼ぶようになった。ボスの前で名字で呼ぶのもおかしいだろうと、対面したときに成り行きで名前を呼んでしまったことは否定できないけれど。オレから告白したからには……と、自分なりにけじめをつけていたつもりだった。
でも、瑠璃さんの方はむしろ逆戻りしてしまった。一度あの場で「沢田さん」と呼ばれたけれど、オレと同じくそれにとどまらず。メッセージのやり取りの中で時々出てくるオレの呼び方が、すっかり「沢田さん」で定着してしまった。
いや、うーん、そのままツナさんでも良いんじゃ……? そう思いながらも、なかなか「なんで沢田さんって呼ぶの?」なんて訊けないままに呼ばれ続けていた。
それから、お誘いがめっきり無くなった。まあ関係性が変わったし、期間も妙に空いてしまったし、今まで通りにはいかないことはわかっているけど、それでも。元々いつも誘ってくれていたのは情けないことに瑠璃さんの方で、自分からじゃオレは何もできないんだと、何もしてこなかったんだと、改めて思い知らされてしまった。だから……会いたい、けど。どう誘ったらいいのかわからなかった。
それにメッセージに限った話でも、返信がものすごく遅くなったり、なんとなくだけどよそよそしいような気もしたりする。後者は呼び方のせいも大きいかもしれないけど。
なんにせよ、前よりも距離が開いてしまったような、そんな感覚が拭えないまま過ごしていた。
そんな中で、心に巣食う不安がひとつ。
……オレはちゃんと、瑠璃さんの本当の声を聞けていなかったんじゃないのかな。本当は……はっきりと断れなかっただけかもしれない……なんて。
この一週間に何度も頭をよぎる不安を、なんとか誤魔化そうと思い切り息を吸い込んだ、そのとき。無機質な電子音と共に、スマホが震えた。
[ありがとうございます。沢田さんもお身体には気をつけてください]
スマホを取り上げると、表示されたのは瑠璃さんからのそんなメッセージ。ああ、今朝送ったメッセージへの返事か。そう理解してアプリを開こうとしたけれど、堅い文面からは冷たさすら感じ取れてしまうような気がして。寂しさ、虚しさにも似たような感情が、じわりとあふれ出ててきた。
……もう、今日は寝よう。スマホを適当に放り投げてから、枕に顔をうずめた。
・・・
「今日の午後、瑠璃が来るからな」
その翌朝だった。ぼんやりした寝起きのオレに、なんでも無さそうな顔をリボーンは向けてくる。
……瑠璃が来る? 瑠璃さんが、来る? たっぷり数秒かけてその言葉を噛み砕いて、理解した途端に眠気が吹っ飛ぶ。「はあ!?」と裏返った声を出すオレを見て、リボーンがにやりと笑ったように見えた。すぐ顔を逸らされてしまったけれど。
「何だツナ、忘れてたのか。つーか瑠璃のほうから聞いてねーのか?」
「う……」
痛いところを突かれて肩を落とすオレを見て、リボーンが喉の奥で笑う。こいつ、確信犯だ。連絡がうまく取れていないのを分かりきってんだ、きっと。
あの日帰ってから「オレと瑠璃さんのこと、知ってたんだろ本当は」なんて話を振ってみたけれど、「さあな」と軽く躱されていた。相変わらずなんとなく読めない態度で、リボーンはオレをじっと見上げてくる。
「しっかりしろよツナ。これから瑠璃を守護者たちに紹介するんだからな」
「えっ!? 今日すんの!?」
「そうだぞ。召集はかけといたぞ」
「聞いてないよ!」
思わずうなだれていると、「元々今日がそうだって話になってたぞ」なんて涼しい顔で言われて、唐突に思い出した。ああ、そういえばそうだったとため息が漏れる。
忘れてたオレが悪いんだけど、リボーンも前日くらいに一言かけてくれれば…… って、たぶんリボーンはわかってたんだろうな、オレが忘れてる事。
せめていつも一緒にいるみんなには紹介しておいた方がいいだろうと思ってはいて、それをリボーンに提案したのはそもそもオレだった。継承式という場でいきなり発表するのはちょっと憚られるし。
でもやっぱり、なんか、こう……彼女を友達に紹介するときみたいな気恥ずかしさというか、そういうのはあるわけで、心の準備がしたかったというか。
「継承式の簡単な打ち合わせもするから、ちゃんと話聞いてろよ」
「あー……うん……」
ああ、憂鬱なことだらけだ。みんなへの紹介だって気が重いし、継承式の打ち合わせもそう。ボンゴレの本拠地に世界各地のマフィアが集って、そんな中で執り行われる式典の、言ってしまえばオレは主役だ。まあもう、継ぐしかないんだけど。仕方ないんだけど。人の前に出るのだってそう好きじゃないんだ、気が進まないのも無理はないと言い張りたい。
……その憂鬱なこと、に。瑠璃さんと顔を合わせることも含んでしまっている自分に、嫌気がさす。
だって何言ったらいいかわかんないよ、とか、もし嫌われちゃってたら合わす顔ないよ、とか。そんな言い訳を並べ立てながら、いくつになっても治る気がしない逃げ癖に、ひっそりとため息を浴びせた。