あまやどり




近頃、空模様はひどく不安定だ。今朝ひさしぶりに青空を見た私はそんなことも忘れて、傘を持たずに出かけてしまった。すると帰りは見事に雨に降られ、駅からの道を走って帰ってこれば、当然ながらずぶ濡れになってしまうわけで。今日は休みだった隼人は、私を出迎えるなり目をまんまるにして、それから直ぐに顔を真っ赤にした。


「ばか、なまえ…!なにやってんだよ!」
「あー…傘わすれちゃって」
「だからって走って帰ってくることねえだろうが!」


今日みたいに、髪をちょんと結んで眼鏡をかけたおうちスタイルの隼人が、私は結構好きだ。赤くなってぷんぷん怒る彼をよそにそんなことを考えていると、家の奥に引っ込んだ隼人がバスタオルを抱えて戻ってくる。


「風邪引くぞバカ…風呂沸かすからとりあえずこれで拭いとけ」
「隼人ってば大袈裟だなあ」


そう言いつつもありがたくバスタオルを受け取ってお礼を言うと、腕まくりをしながら隼人がお風呂場に向かっていった。まったく、頼りになりすぎる彼氏だ。



***



「お風呂ありがとね」


夏とはいえ、雨に濡れてしまえばそれなりに身体は冷えてしまうらしくて、あついお風呂は心地が良かった。そんな満足感に包まれている私に、隼人は眉間に皺を寄せたまま、ずかずかと近付いてくる。


「え、なに」
「そこ座れ、髪拭いてやっから」
「いいよ、自分でやるし」
「そう言っていつもほったらかしてんだろうが」


ああ、心当たりがありすぎる。大人しくソファに身体を沈めると、後ろに回り込んだ隼人は私の首元からタオルをかっさらった。

隼人から申し出てくれたものの、今迄に髪を拭いてもらったことはほとんどなくて、その力加減は上手とは言えない代物だったのだけど。がしがし拭かれて頭を揺らされながら、でもなんだかそれは心地が良くて、こっそり笑みをこぼした。


「駅出た時は、小雨だったんだけどな」


ソファを適当に撫でながらつぶやくと、隼人がため息をつく。振り返ろうとしたけれど、わしわし拭かれていると意外とそれは難しいもので、大人しく前を向いたまま「なによ」と言っておいた。


「迎えぐらい呼べよ」
「ええ、なんか悪いじゃん」
「変なとこで気遣ってんなよ、バカ」


隼人の手が、止まる。その隙を見て首を後ろに向けると、頭をつつんでいたタオルが取り払われて、すきとおるエメラルドグリーンが私をとらえる。

まるでひかれ合うように、エメラルドに吸い寄せられる。さらりと垂れ落ちた銀の糸が頬をくすぐって、ゆるゆると瞼を下ろした一拍あと、唇の温度が上がった。
やわらかく体温を分ける唇は、溶け合いそうに熱くなっていく。と、かちゃりと音を立てて私にぶつかった眼鏡が、隼人からも私からも離れて、私の足元に落っこちていった。


「…なまえ、とって」
「自分でとりにおいでよ」


また、直ぐに口付けてしまえそうな距離。しばらく視線を甘く絡めてから、あっけなく隼人は身を引いて。それから、私の言ったとおりに足元のメガネを拾い上げにきて、無機質な音を立ててそれをローテーブルに置いた。
程なくして、煙草の香りをまとうソファが二人分の温もりで沈む。


「ね、まだ髪乾いてないんだけど」
「おまえのせいだろ」


私のせいだっけ、そう思ったけれど。すべてのみこんでしまうみたいに、隼人が唇に柔く噛みつくから。包み込まれるみたいな温もりに身を任せて、ちいさな疑問はこの際捨ててしまうことにした。



20200728




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