賽は投げられた




 
*獄寺隼人誕生祭2020
※ +10、上司と部下設定




 つけられている。朝からずっと。コーヒーを飲む間も、十代目のところへ報告に行くときにも、挙句トイレへ入るときまで、常に数メートル後ろにいやがる。別に構いやしないが、喫煙所のガラス越しにもずっと視線を感じるもんだから、気が散って仕方ねえ。
 ひとつため息をついてから喫煙所を出て、廊下の角を素早く曲がる。すこし慌てたみたいについてくる足音が、俺の横をかろやかに通り過ぎたのを確かめてから、その首根っこをつかんでやった。


「なーにやってんだ、みょうじ」
「ぎゃ、見つかった……」


 「痛いですよ」なんて言いながら俺を見上げてくるのは、何かと手のかかる部下だった。予想通りの尾行主に半ば呆れながら手を離してやると、そいつはわざとらしく唇をとがらせる。


「逆に気付いてねえとでも思ってたのかよ」
「まあ……尾行には自信があって……」
「あれでよくそんなことが言えんな」


 気まずそうに笑っているところにデコピンをお見舞いしてから、おでこを押さえるみょうじに「んで? 何か用があんだろ」と声をかけてやると、なぜだか突然目を泳がせはじめる。意気揚々と尾行してたくせに。


「あ……まあ……」
「んだよ、はっきり言えよ」
「これくらいで怒らないでくださいよ!」
「廊下ででけぇ声出すな!」
「獄寺さんこそ!」


 大袈裟にため息をついてやると、「獄寺さんが悪いんですよ」とかなんとか言い出しやがる。何がだよ。
 でもまた少し口篭ってから、今度は意を決したように深呼吸するから、黙って聞いてやることにした。


「実はですね、お渡ししたいものが……」
「……あ?」
「そんな怖い顔しないでくださいよ……」


 肩を縮こめてから、後ろ手に持っていた黒い袋を取り出すみょうじ。綺麗にラッピングされたそれをついまじまじ見つめてしまうと「獄寺さん、誕生日おめでとうございます」と。ほんのり頬を染めて差し出してくるものだから、「は」と間抜け極まりない声が漏れた。


「……あれ? あれ、今日、獄寺さんお誕生日ですよね……9月9日……」
「……おー。忘れてた、すっかり」
「なんだ、よかったあ。じゃあ、どうぞ」
「悪ぃな」


 そう言って受け取ろうとすると、ひょいと躱される。つい眉間に皺を寄せると、「こういう時はありがとうの方がいいですよ!」って、余計なお世話だっつの。


「誰にそんな口利いてんだアホ」
「いたぁ! またデコピンした! パワハラだ!」
「うるせえよ……まあ、ありがとな」
「いーえ」


 そうにこやかに返事をしたみょうじは、「早速ですが、開けてみてください」なんて楽しそうに続ける。
 こういうのは帰ってから開けるもんじゃねえのかよとは思ったが、こいつのことだ、言い出すと聞かないだろうから。「じゃ、遠慮なく」と告げてからちいさなリボンを解いた。
 現れたのは繊細なデザインのライターで、鈍く光るその重厚感につい吐息が漏れた。すると「……かっこいー」とこぼしたのは、俺の手元を覗き込んだ贈り主のほうだった。


「みょうじが感動するとこじゃねえだろ」
「あ、つい。一目惚れして買ったもので……」
「ん、まぁ……いいんじゃねえの。ありがと、な」


 如何せん顔を合わせれば茶番か口喧嘩ばかりの俺たちだから、面と向かって礼をするのはなんだか小っ恥ずかしい。どこか嬉しそうなみょうじから視線をそらすと、なにか思い出したみたいにそのちいさな手のひらが打ち合わされた。小気味いい音に「なんだよ」と返事をすると、戻した視線がきらめく瞳とかち合った。


「火つけるたび、獄寺さんってば私のこと思い出しちゃうかもしれませんね!」


 その言葉を、よく噛み砕くまえに。心臓がひときわ大きく揺さぶられる。握ったままの鈍色が、ずしり、途端に重みを増した。

 思い出す。俺が、みょうじを。俺の手の中で、ちいさな音を立てて炎を灯すたびに。先刻のほんのり紅くなった頬、うれしそうにほころぶ口もとが、脳裏をかすめる。鼓動がひとりでに奔るのを、とめられない。「獄寺さん?」と距離を詰めようとした彼女から、一歩後ずさった、そのときだった。


「……あ、電話だ。ちょっとすみません」


 無機質な電子音、と、みょうじの呑気な声。情けない妄想は、存外あっさりと遮られてしまって。それから行き場をなくして、けれど消えることもできないまま、覚束なく漂いはじめた。
 トーンの上がったよそ行きの声を聞き流しながら、乱暴に頭を掻いた。何だよ、なんで顔色ひとつ変えずにあんな事が言えんだよ。プレゼントひとつ渡すことすら、躊躇ってたくせに。

 なぜか電話口でぺこぺこと頭を下げるその後ろ姿をひと睨みして、体温をすっかりうつしたそれをポケットにすべり込ませる。ふくらみを柔く握って、硬い感触をたしかめる。ああそう、こいつはただの、手のかかる部下。


 いちいち思い出してなんかやんねえよ、バーカ。



20200909




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