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「ありがとうございましたー」

感謝の気持ちがあんまり篭っていない言葉を、よろよろと出口に向かっていく背中にかける。これに返事をくれる人は3割ぐらいかな。

そんなに着心地が良いとは言えない制服に身を包んで、あくびを噛み殺しながら、俺は今日もコンビニのレジカウンターに立っていた。ぴ、ぴ、なんて機械音を立ててから目の前のおじさんに短く金額を告げると、小銭を投げるように寄越してきて思わずイラッとする。全くなんの音も向けてこないこの男は、俺をロボットか何かだと思っているんだろうか。かろうじて落ちなかった小銭をかき集めてレジに入れると、そのまま袋を持って黙って出口に向かってしまった。
確かにピッタリだったけどさあ、レシート要りませんぐらい言ってくれてもいいんじゃないの。なんだか悔しいからその背中には礼を告げることなく、「次の方どうぞ」と前に向き直った。

コンビニバイトは気軽だし、ここは時給だって悪かないが、オイオイ、と言いたくなるお客様がよくいらっしゃる。まあそれはコンビニに限ったことではないのだろうけど。

店内の時計をちらりと見遣ると、19時を少し回ったところだった。駅からそう遠くないこのコンビニには、この時間は仕事帰りのサラリーマンやOLが夕食を買いに来ることが多い。しょっちゅう開く自動ドアからは次々と冷たい空気が流れ込んできて、来客が多い時間は通年憂鬱だが、この季節は特に駄目だった。

どんより落ち込んだ音をさせるスーツ姿の男性が、パック惣菜を気怠げにカウンターに置く。それをレジに通していると、軽快な入店メロディが響いて…
それと同時に、寂しさを訴えるみたいな、悲しそうな音が流れ込んできて、思わず入り口に目を遣った。

その音の主は、白いコートに膝丈のスカート、それからチェックのマフラーを身につけた、OLらしき女性だった。俺の金髪とは似ても似つかない、こっくりした暗い色の髪。柔らかそうなそれはマフラーに乗っかっていて、ヒールが硬い床を叩く音と一緒にふわふわ揺れる。

なんだかその女性から目が離せないでいると、「あの…」と目の前から声が聞こえて、そこには怪訝な顔をした男性がいた。しまった、レジの途中だった。すみません、と短く謝って手を動かしながらも、彼女の音を拾おうとほぼ無意識に耳をそば立てていた。

相変わらず彼女を目で追っていると、お弁当コーナーを一往復してから、ミートソースパスタを手に取っている。わあ、女の子っぽい。明らかに歳上の女性だけど、かわいいなぁ、なんて思ってしまった。
すると彼女の足音が俺の方に、ではなくレジの方に向かってきて。彼女の綺麗な手が、パスタを優しくレジ台に置いた。

「お願いします」
「あ、ありがとうございます」

少し震える手でリーダーを手に取って、ぴ、とバーコードを読み取る。「温めますか?」と問いかけると、「結構です」と小さく首を振った。そんな彼女のカバンから取り出されたのは、二つ折りの花柄のお財布。えっ、かわいい。
と、彼女の細かい可愛さに気を取られていたけれど、沈み込むような悲しさの色は消えない。
細い指が摘み出した小銭をトレーごと持ち上げながら彼女を盗み見ると、しゃん、という音が耳に飛び込んできた。

まるで鈴が転がったような、そんな綺麗な音がしたのは俺たちの視線が交わった時。彼女を包む悲しい音が、たったの1グラムだけ明るくなった気がした。
閉ざされた部屋の扉が一寸だけ開いたような、真っ暗な空に星がひとつ流れたみたいな。俺の表現力じゃとても言い表せなくてもどかしいけれど、確かに一瞬だけ、彼女の音は変わった。

彼女がどう思ったのかまでは解らない。
だけど、それでも。初対面の彼女にこんなことを思うのは可笑しいと百も承知だけど、一瞬だけだったその音をもっと聞けたらいいのに、なんて考えてしまった。

「あの!」

表示された金額とピッタリ同額の小銭を吸い込んだレジが、レシートを吐き出す。
それを手に取って、胸ポケットに刺したボールペンを取り上げて。その二つを、べしん、と音を立ててカウンターに叩きつけると、彼女は目をまん丸にした。

「連絡先、教えてください!」
「…はっ…?」

目の前の彼女から…だけじゃなく、後ろに並ぶ数人からも、ざっと困惑の音が聞こえてきて、俺に襲いかかる。

いや…待って、この場合は俺が教えるべきだったんじゃないの?
ああ絶対そう、こういう時はレシートの裏にサラッと番号やIDを書いて「連絡してね」って囁くのが格好いいって、どっかで見た。
慌ててペンを取り上げようとすると、それよりも早く彼女がボールペンを手に取って、それをカリカリと音を立てて走らせた。

「あ、えっと…」
「すみません、じゃあこれで」

何か言う暇もなく、俺がそうしたようにボールペンとレシートを半ば叩きつけるみたいにレジに置いて、パスタの入った袋を引っ掴んで彼女は出て行った。

レシートを手に取って呆然とする俺に、「次の方こちらにどうぞ〜」なんて声が届く。
はっとして隣を見ると、先程まで品出しをしてくれていたアルバイトのおばちゃんが、隣のレジに立っていた。慌てて俺もレジ打ちを再開する。なんとか捌き切って人の波が途切れると、隣のレジから素早く人影が俺に近づいた。

「まあまあ我妻くんたら大胆ね。ああいう子がタイプなのねえ」

いいもの見せてもらったわ、と言いたげな満面の笑みで囁かれて、気まずさに目を逸らした。
その上「店長には黙っとくわね、ナンパ」なんて言われて、すみません…と小さく項垂れた。

その後、これでもかと敬語を盛り込んだ堅苦しい文面のメッセージを送って。
返ってこないだろうと思っていたメッセージが返ってきて、彼女の名前まで知ることができて、思わず部屋で歓声をあげてしまった俺が兄貴にぶん殴られたのは、次の日の夕方のことだった。


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