チーズケーキにホイップを乗せて

あれから。俺と瑠璃ちゃんは、正式に、と言ったらいいのか、お互いの気持ちを再確認して、付き合い始めた。

色々と、変わったことがある。
「わたし、我妻くんがくれる『可愛い』だけで充分だって気付いた」と、卒倒してしまいそうなくらい可愛いことを言われて、それから彼女の我儘が…といっても、俺はそれが可愛くて仕方なかったんだけど、ほとんど収まってしまった。
デートも、今までの瑠璃ちゃんからは考えられないくらいの剣幕で「割り勘にしてほしい!」と言われて、半分くらい割り勘になった。俺が隙を見て払って言いくるめたりすることもまだあるから、瑠璃ちゃんはちょっと不満そうにするけど。その姿が可愛かったり、男としての見栄を張らせてほしかったり、まあ色々あるし。


でも、変わらないこともある。ずっと、瑠璃ちゃんは可愛いってこと。
くるりと巻かれた艶のある髪を揺らして、ふわふわのスカートの裾を広げて。
それから、触れただけで溶けてしまいそうな、透けるように白い肌が、可愛いだけじゃなくて、本当に綺麗。日差しが強くなってきたというのにそれは相変わらずで、「元々焼けにくいんだ」なんて笑っていたけど。彼女のことだから、しっかり努力しているんだろうな、と思う。



そう、可愛いんだ、瑠璃ちゃんは。
俺がこんなにも可愛い女の子と付き合っていることが、隣を歩いていることが、信じられないくらいに。

だから、そんな女の子が男に放っておかれるはずがないわけで。待ち合わせだったり、俺がお手洗いに行った隙だったり、瑠璃ちゃんが一人になる時間に、いわゆる『ナンパ』をされることが、実によくあった。




「…ごめんね、我妻くん」

今日も例の如く、待ち合わせ場所の駅前で男に声をかけられ、わたわたと焦る瑠璃ちゃんの姿があった。なので「俺の彼女に何か用です?」と割り込んで、「あ、本当に男連れだったんだ」とアッサリ消えていく男を睨みつけたところだ。
眉を下げる瑠璃ちゃんに、「いいよいいよ。それだけ瑠璃ちゃんが可愛いってことでしょ」と笑い掛けるが、やっぱりちょっと困った顔をしたままで。

男性から声をかけられることを、可愛さを認められることだと思っていた瑠璃ちゃん。
だから以前まで、余程のことがない限りは断りもせず着いて行っていたんだと、そう申し訳なさそうに教えてくれて、その危なっかしさに頭がクラクラしたっけ。
しかも、今もそのせいで上手な断り方がわからない、らしい。
確かにその言葉通り、ナンパされている彼女は本当に困惑している音がするけれど、食い下がってくる男性になかなかハッキリとものを言えない様子で、曖昧に頷いている。

会わない日に彼女がナンパされたりなんかすると、「上手く断れなくて…」と電話をかけてくることすらあって、電話口でなんとか追い払ったり、近くにいたら現場まで走ったりしたこともあったり、なんとも都合の良い男だと自分でも思う。


仕方ない、そう思う。瑠璃ちゃんの性格も、そういうことがあるかもなんて事も全部わかった上で、俺は付き合うことを決めた。

それに、どんな瑠璃ちゃんだって俺は大好きだ。
このナンパの件だって、庇われて申し訳なさそうにしながらもちょっと嬉しそうにする瑠璃ちゃんを見ていると、堪らなく嬉しくなる。
そして、自信があるようで、どこか自信なさげな瑠璃ちゃんの、支えになりたくて。それから、尽くしてあげたくて。そんな気持ちは、初めっから変わらない。

…だけど。俺だってさあ、元来自信のない男なんだ。
きっと俺のことが好きであろう音がするし、瑠璃ちゃんの気持ちに、嘘がないとしても。
もしも、モデルみたいな男が瑠璃ちゃんに声をかけてきたら?彼女より年上で、焼けた肌がよく似合う洋楽好きのイケメンだったら?もしかしたら俺みたいな男ほったらかして、そっちに行ってしまうかもしれない、なんて思うし。
そんないけすかない感じのイケメンに、瑠璃ちゃんが頭を撫でられて笑うさまを想像してしまうような男なんだよ、俺だって。




「…我妻くん?体調とか、悪い?」
「ん?あ、いや、全然。ごめんごめん」

なんだか今日に限って、突然そんな不安に襲われて、ついぼーっとしてしまった。
ぶんぶん手を振ったけど、瑠璃ちゃんは違和感を拭いきれないのか、ちょっと困ったような顔をして、心配そうな音までさせてくれる。

ごめんね、俺が卑屈なばっかりに。「ちょっとお手洗い行くね」なんて、居た堪れなくなってその場を離れたけれど。
トイレの中で、さっと背筋が冷えた。
ああもう、俺の馬鹿。さっきまで、彼女がナンパされることにあんなに不安になってたくせに、なんでこのタイミングで離れちゃうかなあ、ほんと馬鹿。

慌ててトイレを出て、いやちゃんと手は洗ったよ、瑠璃ちゃんの元に駆け足で戻る。ざわざわと賑わう駅ビルの中で音を探ると、すぐに見つけた彼女の音は、なぜか。心拍数が上がって、緊張しているみたいに震えている。聞き間違いじゃない、たしかに彼女の音だ。

角を曲がると、ネイビーのブラウスと白いスカートが見えて。だけど、それ以上足を進められなかった。

「あ、あの…」

口籠もりながら俯く瑠璃ちゃんの目の前にいたのは、焼けた肌がよく似合うイケメン、だった。
それだけなら、まだよかった。瑠璃ちゃんは頬を少し紅く染めていて、やっぱり聞き間違いじゃなかった心臓の音は、もっと速くなっている。

待てよ、こんなに、こんなに早く、恐れていたことってやってくるものなの?今さっき想像してたこと、まんまじゃんか。

「ね、行こうよ」と差し出されたイケメンの手を、瑠璃ちゃんがそのまん丸な目で見つめる。
飛び出して、いつもみたいに止められたらよかったのに。足が根を張ったみたいに動かなくて、めちゃくちゃ格好悪いけど、なんだか泣きそうになってきた。


どくん、と瑠璃ちゃんの音が、ひとつ高鳴って。
手を取るさまを想像してしまって、思わず目を閉じると、「ごめんなさい!」と。
鈴を落っことしたような声が響いて、弾かれたみたいに顔が上がった。

「私、彼氏を待ってるんです。だから、ごめんなさい」

呆然とする、イケメン、それから、俺。
丁寧に頭を下げてから、彼女はスカートをふんわり膨らませて、身を翻す。そのまま数度ヒールの音を響かせてから、「あ」と声をあげて立ち止まった。

「瑠璃ちゃん…」
「我妻くん!」

一度止まったヒールが、また数回音を立てて。柔らかく、どこか満足したような音を混ぜ込んで、俺に向かってくる。
俺を見上げる彼女が纏う空気は、瑞々しく甘い香りで。つい、だらしなく頬が緩んだ。

「待たせてごめんね」
「ううん。大丈夫だよ」

そこで、やっと。
彼女が首を横に振って、きらりと揺れたピアスのストーンが、眩い黄色であることに気付いた。
さっきまで喉元に迫り上がっていた諸々の不安とか心配事が、ガスが抜けたように元の場所へ帰っていく。

「瑠璃ちゃん、行こっか」

瑠璃ちゃんは、そのくりくりした目を見開いて、ぱちくりと瞬きを繰り返す。それから、目尻を精一杯に下げて、とびきりかわいい笑顔を、他でもない俺に向けて。
俺がほとんど無意識に出していた手に、踊るみたいに、弾むみたいに幸せそうな音をさせながら、白くてちいさいそれを重ね合わせてくれた。

付き合い出してから、初めて感じる温もりと、柔らかさ。
強く握ったら、壊れてしまいそうな気さえするけれど。
やっぱり、絶対に、絶対に離したくなんかないから、閉じ込めるみたいに握り込んだ。

「ね、我妻くん、ちょっとお腹すいた」
「ふふ、俺も。何食べたい?」
「我妻くんが食べたいもの」
「ええ、なにそれ」

笑いながら、「そこのカフェのチーズケーキかなぁ」と言ってみると、「じゃあ、私にご馳走させて?」と、瑠璃ちゃんは首を傾げる。

「では、ご馳走になります」
「えへへ、お任せください」

あと少し、と手に力を込めると、応えるみたいに握り返されて。
隣を見ると、世界一かわいい俺の彼女と、視線が甘く絡み合った。


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