すっぱくて甘い
※「甘くてすっぱいの続きです。
あの日から、気まずさが漂っている。
なまえが走り去ってから、慌てて愛美が追って来て教室には戻ったものの、信じられないほど機嫌の悪いカルマが教室を荒らして行ったようで、重い空気が教室を支配していた。
ここ一週間ほど暗殺訓練のキレも悪く、烏間も困り果てていた。
もちろん、カルマは来ていない。
それでもなまえは授業中にぼーっとすることもなくなったし、彼と話すために緊張することもなくなったし、それでいいと思っていた。
カルマくんに、迷惑をかけないで済むなら、と。
「みょうじさん」
帰路につこうとしていると、後ろから誰かに名前を呼ばれて、なまえは振り返った。
「…前原くん」
「あのー、…ごめんな」
ばつが悪そうに苦笑して、彼は頭をかいた。
「カルマとの仲、こじれさせちゃってさ」
「い、いや、みんなのせいじゃ…それに、迷惑かけずに済むなら、それで、いいから…」
一生懸命、笑って答えた。
でも彼はなまえを見て少し苦しそうな顔をしたから、うまく笑えていないんだなあ、となまえは少しだけ唇を噛んだ。
「別に、迷惑なんて思ってないと思うけど」
「でも、」
「俺ら、知ってるんだ」
「…え?」
前原が、なまえをじっと見つめて、言葉を継いだ。
「修学旅行のとき、あいつ…みょうじさんのことさ、」
「あれー?秘密って言ってたじゃん」
慌てて声のした方を見ると、木の上に座ったカルマがこちらを見ていて、二人でぽかんと口を開けた。
よっ、という声と共にカルマは木から降り、ぽんぽんとズボンの汚れを落とす。
「…はいはい、俺は邪魔者でしたね」
やれやれという風に肩を竦めてから、前原が二人に背を向けた。
カルマもなまえも俯いたままで、しんとした空気が二人を包む。
「…ごめん」
いつも飄々としている彼にしては珍しい、落ち着いたトーンで、カルマが静かに言った。
「よくわかんないんだ、ごめん」
何がだろう、となまえは思ったが、悲しげに笑う彼に聞くことはできなくて。
そのまま、黙って言葉を受け止めた。
「みょうじさんがどう思ってるとか、さ…」
「私、が…?」
「あーもう、だっさ!」
ぐしゃぐしゃ、と髪をかき乱して、カルマは大きくため息をついた。
その様子を目を丸くしながら見つめていると、彼の瞳と目が合う。
初めて見たとき怖いと思ったそれは、今は真剣そのもので、思わず夢中になりそうなほど綺麗だった。
「一回しか言わないから、聞いててよ」
「…はい」
「…俺さ、みょうじさんのこと、初めて見たときから、」
初めて見たとき。
教室で会ったときのことをなまえは思い浮かべたが、カルマは違うことを思い浮かべていた。
『停学処分』を言い渡された日。
なんの弾みかふと中庭に足を運ぶと、そこには花壇があった。
こんなとこに花咲いてたんだ、と思いながら足早に通り過ぎようとしたところで、誰かがいることに気づく。
目を凝らすと、当番なのか花に水をやる女子生徒がいた。
色とりどりの花と、俯いた彼女の頬にかかる黒い髪が、彼女の肌の白さを引き立てて、カルマは一瞬で心を奪われてしまったのだった。
自分でも単純だなあ、と呆れた。
でも気持ちに嘘はつけないまま、今日まで来てしまった。
「ずっと、ずっとさ、」
ぎゅ、と自分の両手で彼女の両手を包み込む。
初めて握った手の暖かさと、変わらなかった。
「うん、」
彼女もE組と聞いて、不謹慎にも喜んでしまった自分がいたことも、後悔はしない。
狡いことはわかっていても、現に俺たちは仲良くなれたのだから。
カルマは必死で声のトーンを保ちながら、絞り出すように言った。
「…好き、だった」
少しの沈黙のあと、握った手に、雫が落ちる。
顔を上げると、相変わらず俯いた彼女がいる。
「……本当?」
片想いの人が目の前にいることも、握られた手の暖かさも、彼の声が震えていることも、ぜんぶ本当だとわかっているのに、どうしてか信じられない。
都合のいい夢のように思えて、静かな声でなまえは聞き返した。
「ウソ、ついてるように見える?」
強く握られた手は、あの日と同じ。
優しい目もあの日と同じ。
思い出すたびに胸が締め付けられた、夢みたいなあの日と、同じだ。
でもあの日は夢じゃなかった。カルマくんと私が知り合った日は。
「…見えない、です」
カルマの手に少し力が入って、なまえも少しだけ力を強めた。
「じゃあ、みょうじさんは?」
「…わたし…?」
なまえが問い返すと、彼はくすりと笑った。
「名前のときと一緒。教えてくれないの?」
「あ…」
そうだ。私はあのときも、カルマくんに言わせっぱなしにしようとしていたんだっけ。
そう考えてなまえが俯くと、そっとカルマの手がなまえの髪に触れた。
「教えてよ、」
自由になった両手でスカートを握りしめる。
夢じゃない、と自分に言い聞かせるのも精一杯なのに。
そっと頭を撫でられて、また涙がこぼれてきた。
「……私も」
「…なに?」
「…好き、カルマくんが、君のことが、ずっと、…好きでした」
涙でつかえる喉を必死に動かして、言葉を紡ぐ。
ずっと横顔ばかりだった、憧れのその人に。
言い終わると同時に、なまえはカルマの香りに包まれるのを感じた。
「か、カルマくん」
「…よかった」
飄々としていつも余裕のある彼の、珍しく切羽詰まった声に、なまえの心臓は少し跳ねる。
恐る恐るカルマの背中に手を回すと、彼は私のシャツの背中を少し強めに掴んだ。
「…ありがと…よかった、本当に」
なまえが動けずにいると、カルマがまだ少し声を震わせたまま、続ける。
「この前教室で言ったこと…照れ隠しとかで言ったわけじゃなくてさ」
「迷惑…って話…?」
そ、とカルマは短く答える。
顔は見えないけど、きっと悲しそうにしているんだろうなと思うと、胸が締め付けられた。
「本当に思ってたんだよね…でも、みょうじさんに同じようなことを言われてさ、気づいた」
なまえもそのとき、勢いで言ってしまったことを思い出した。
カルマくんの方こそ迷惑でしょ、と。
「俺あのとき、人の気も知らずにふざけんなって思ったんだよ。じゃあ、みょうじさんも、同じだったかなーって…」
だからちゃんと確かめたかったんだよね、とカルマは少し笑った。
「ごめん、ひどいこと言って」
「私の方こそ…ごめんね」
そっと体を離すと、なまえはいつの間にかまた泣いていて、カルマのシャツが濡れてしまっていた。
「あは、みょうじさんって、泣き虫なんだね」
カルマが笑うと、なまえは口を押さえてまた半泣きになる。
「う、わ、ごっ、ごめんなさい!」
「んー、一個約束してくれたら、許してあげる」
「約束…?」
カルマはにっこりといたずらっ子のように笑い、なまえの目元に溜まった涙を指でそっと拭った。
「俺の前以外で、泣かないでね」
「…カルマくん、」
「また、あんなことがあっても、俺が助けてあげるからさ」
まあ今はもう必要ないかもしれないけど、と付けたして、なまえの頭に手を乗せた。
「…ありがと…っ」
「あー、また泣いちゃうんだー」
「うっ、ごめん、なさい、」
しょーがないなあ、と笑った彼に、また抱きしめられる。
こんなに幸せでいいのかな。
「また、汚しちゃう、」
「いいよー、別に」
なまえはしばらく背中を優しく撫でられていたが、何かに気づいたようにカルマが身を固くした。
「ちょっと待ってね」
小声でなまえにそう告げて体を離すと、素早い動きでエアガンを取り出して、校舎の影に向かって撃った。
「にゅやッ!ど、どうして気づいたんですか!」
そこには、記者の格好をした殺せんせーと、E組の仲間が数人。
「覗きとかいい趣味してるねー、せんせー」
そう言ってカルマが殺せんせーに迫ると、なぜかそこにいたクラスメイトもそれに加わる。
放課後の校舎が、一気に賑やかになった。
「やっぱり、私は幸せ者です」
そう呟いた声は、カルマには聞こえなかっただろうけど。
殺せんせーがどこかに飛んで逃げていってしまってから、カルマが戻ってくる。
「はー、ごめんごめん、タコは覗きに来るだろうとは思ったんだけどさ」
「大丈夫だよ」
なまえがにっこり笑うと、カルマも安心したように笑った。
「じゃ、帰ろっか」
二人で、山道をゆっくり下る。
手を繋いで下校する二人が見られるのは、もう少し先のことだ。
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