君と五月晴れ



※拍手ログ

ジェネレーションギャップ」「アイラブユー」と同世界線(数年後)を想定しています。



 梅雨の晴れ間に恵まれた休日、カフェチェーンの新作が飲みたかった私の誘いに無一郎くんは快く乗っかってくれた。新しい抹茶ラテを選ぶ私の横で、いつも通りのキャラメルラテを指差す無一郎くん。相変わらずその指先がきれいで、こっそり目で追ってしまう。
 お天気もいいしテラス席にしようという話になって、右手にキャラメルラテ、左手に抹茶ラテのグラスを持つ無一郎くんの背中を追いかける。「自分で持つよ」「いいから」なんて前にもしたようなやりとりをしながら、五月晴れを遮るパラソルの下にふたりで腰掛けた。向かい合うかたちじゃなくて、隣同士に並んだ椅子がなんだか少し嬉しい。
「お店の中だとプラスチックじゃなくてグラスなんだね」
「ね。僕も初めて見た」
「私も。ねえ、一緒に来てくれてありがとね」
「ううん」
 私が喋って無一郎くんが柔らかく相槌を打ってくれる、そんな優しい時間。ささやかな幸せを噛みしめながら、さっそくじんわりと汗をかき始めたグラスを手にストローをくわえると、飲みたかったとおりの味がひんやりと口に広がってゆく。思わず「おいしい……」とうつむいてしまう私に、「よかったね」なんて無一郎くんは笑い混じりに言ってくれるから、自然と頬が緩む。
 もくもくと膨らむ雲を一緒に眺めながら、昨日のバイトがどうだったとか、週明けは仕事が忙しくなりそうだとか、今日はこれから何しよっか、なんてこととか。そんなとりとめもない話題が、ぬるい風に乗ってゆるやかに流れてゆく。そうしてドリンクもお互い半分くらい減って、冷たいしずくがテーブルに丸く残りはじめたころ、グラスを持ち上げた私を「ねえ、」と無一郎くんの声が呼んだ。
「ひとくちちょうだい」
 あ、無一郎くんも抹茶飲みたかったんだ。そう思って、うんいいよってもちろん言うつもりで、渡して飲んでもらおうと考えたその一瞬の出来事だった。
 目の前で黒髪がさらりと揺れて、え、と間抜けな声をこぼしてしまう。私のグラスを持つ手に、無一郎くんのひとまわり大きな手が触れて、冷たい感触のうえで熱が溶けあって。グラスから伸びたストローを無一郎くんがそっとくわえるから、その柔らかな仕草に息が止まりそうになった。燦々と降り注ぐ太陽、そのしたで視線を縫いとめるくちびるは、どうしてだか見てはいけないものみたいに思えてしまうのに、目を逸らすことも許してはくれないみたいで。
 別にこれくらい、どうってことないはずなのに。もう何度だって交わしたくちづけの、その柔らかで熱い記憶がざわりと襲いかかってきて、心臓の奥がずくんと重くなる。無一郎くんのきれいな指先が彼自身の髪を耳にかけているあいだに、私は指一本動かせなくなっていた。
 一息遅れて流れてきた、爽やかで柔らかな無一郎くんの香りにも目の前がくらりと揺れる。――そうして。静かに長い一瞬を終えたくちびるが、そっとストローから離れてやっと、私は視線といっしょに逃げるように顔を逸らした。
「ごちそうさま」
「……い」
「ん?」
「いいって、言ってないよ……」
 あんまりにもわかりやすい照れ隠しに、無一郎くんはふきだすみたいに笑った。もう、ぜんぶ君のせいなのに。グラスを置いて、熱くなった頬をつめたく湿った手のひらで押さえ付けると、無一郎くんの手がするりと私の髪を撫でてゆく。
「だって、だめじゃないでしょ」
 ……そう、そのとおり。私は君に「だめ」なんて言わない。だけど、それにしたって、もうちょっと、君はいつも突然すぎるから、心の準備というものが。いろんな恨み言がふわふわ浮かんで、けれどたちまち消えてしまって、残ったのはやっぱりたったひとつだけ。
「……だめじゃない」
「うん」
「……」
「知ってるよ」
 二度、三度、私の髪を柔い手つきで撫でつけてから、「僕のもあげる」なんて無一郎くんは言って、視線を戻した先で目を細めて笑っている。その笑顔があんまりにも眩しくて、どうしようもなく好きだから、すっかり呑み下したはずの甘さがぐるぐる渦巻いていた。




prev next
back





- ナノ -