ずっとずっと素敵な日



ジェネレーションギャップ」「アイラブユー」と同世界線(数年後)を想定しています。





 鼻歌なんか歌いながらホールケーキを予約しようとしているのを、「二人じゃそんなに食べられないでしょ」となだめたのは少し前のことだった。ちょっと渋りつつも、じゃあ当日に好きなの選びに行こっか、という約束に落ち着いて、そうして朝から出掛けて、帰りに馴染みのケーキ屋さんに寄ろうとしていた、八月の八日の夕方。
「む……無一郎くん」
「……うん」
「閉まってるん、だけど……」
「ほんとだね」
「……」
 扉に貼りだされたお知らせには、「お休みをいただきます」の文字。なんだお休みだったのか、くらいの気持ちの僕とは対照的に、手を繋いだ先で呆然としてその扉を見つめている。あまりに絶望的な様子につい小さく笑ってしまうと、「なんで笑うの……」とどんよりした声が飛んできた。
「ごめん、だって、顔真っ青だから」
「真っ青にもなりますよ……」
 申し訳ないけれど、うなだれてしまうのがなんだかやけに可愛く見えてしまう。仕方なくお店を後にしながら、今から別のとこ行こうかな、ほかに買えるところあるかな、とぶつぶつ言っているみたいだったから、「別にケーキはなくてもいいよ」と声をかける。それはなにも取り繕うためじゃなくて、ちゃんと本心だった。
「……う〜ん……」
「そんなにケーキ食べたいの」
「私が食べたくて言ってるんじゃないよー……」
「ふふ、ごめんって、わかってるよ」
 いつも通りにからかってみたけれど、ちょっと拗ねたみたいに唇を尖らせてみせるその表情は戻らない。少し汗ばんだ手をぎゅっと握り直しながら、その顔を覗き込んでやると、少し丸くなった瞳に僕のすがたが映り込んでいた。

 ……いつか、誕生日を祝ってもらった時。それはまだここに来たばかりで、慣れない時代や生活にぴりぴりと気を張っていたころだった。「無一郎くんってお誕生日いつなの?」なんて、お姉さん≠ヘ呑気に訊ねてきて、114歳だとかばかみたいなことを言ってからから笑って。当日はケーキ屋さんに連れて行ってもらって、言っていた通りに丸いケーキを買ってくれた。そうして家に帰るとクラッカーなんてものを鳴らされて、僕は火薬の音に驚いて思わず刀を抜きそうになって、お姉さんの方もひっくり返りそうになっていたっけ。
 白いケーキにていねいにろうそくを刺す指先、「あれえ、なかなかつかないなあ」ってぼやきにカチカチ重なる音と、ちらちら瞬く火。そうしてケーキの上でゆらめき始めるちいさな炎を、「おめでとう」ってその光に照らされる笑顔を、僕はあの日からずっと覚えている。このひとが好きだ、って思ったのは、もっともっと後だったはずなのに、不思議なくらいに憶えていた。
「だって、初めてお祝いしたときにね」
 僕の視線をほどいて俯いたあなたが、「ケーキとろうそく、すごく喜んでくれたでしょ」って。つぶやくみたいにこぼすから、じんわり、胸の辺りにあたたかいものが溢れ出すような心地になる。きっと素敵な日になるって笑って、祝われるのは僕なのにどうしてだかあなたの方が嬉しそうだった。そっと輝きつづける想い出は僕もあなたもちゃんと大切に仕舞ってあって、その真ん中にあるのはケーキでもろうそくでもない。
 そっと名前を呼ぶと、また視線が交わってほっとする。僕はたくさん失くしてきて、流した涙や苦しみは帰ってこなくて、かつてたった十一回、同じ日に祝福を分け合った兄さんはもうそばにいてくれない。それはどうやったって変えられないけれど、それでも今、この瞬間にこうやって。僕が生まれた日を、そこにある想い出も、とびきり大切にしてくれるあなたがいるだけで、ちゃんと幸せに生きているんだって思えるから。
「ねえ、大丈夫だよ」
「……無一郎くん」
「だからさ、帰ろう。早くご飯食べたいな」
 あなたがいれば何もいらない、なんて。そう思えるのだって、あなたが僕を、僕の大切な存在まで一緒にとびきり大切にしてくれて、おめでとうって笑ってくれるって、一点の曇りもなく信じていられるからなんだよ。
 ややあって、こわばっていた表情がふっと柔らかく緩む。「そうしよっか」って、憂いが柔らかく溶けたように微笑んでくれるから、つられるみたいに目を細めた。
「……よし。」
「ん?」
「こうなったら大根にろうそく刺そう」
「え? ……なんでそうなったの?」
 つい目を丸くしてしまう僕に、「ちゃんとハッピーバースデー歌ってあげるね」って、どうしてだか得意げに笑ってみせる。……きっと僕は、今日のこともずっと憶えているんだろうな。
「まあ……それがいいならそうしよっか」
「うん。……ありがとう、無一郎くん」
「歌は別にいいけどね」
「そんなこと言わないでよー」
 じんわりと幸せなぬくもりを連れて、ふたりぶんの影が重なって揺れて。ありがとうなんて、僕が何回言っても到底足りない言葉だよ。少し汗ばんだ手をきゅっと握り込んで、ばれないくらいに引き寄せて、あなたとふたりで歩く帰り道ですら、忘れずに生きていきたいと思う。
 




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