ラブとロマンとあしたのおやつ



「お誕生日だよね、おめでとう」


 九月。夏の暑さが抜け切らない今日この頃、蝶屋敷の縁側で夕焼けをながめていた俺の前に差し出されたのは、俺がいっとう気に入っている近所の和菓子屋の包みだった。慣れた音を聴きながら、差し出されたその腕を辿るように顔を上げていく。そこには、同期の隊士がこともなげに立っていた。彼女は背に夕陽の逆光をあびているせいで、その表情はよく見えない。ただすこし、いつもと音が違うような気がした。


「……へ?」
「あれ、違った? 炭治郎たちが言ってたから、てっきり」
「いやいやいや合ってる!」


 引っ込められそうになった手を慌てて掴むと、どくん、今度はしっかりと心音が響く。慌てたような音に嫌悪感を抱かれたような気がして手を離したけれど、それは杞憂だったのか、落ち着いてゆく心音は耳障りの悪いものではない。……でもなんだろう、いつもと、やっぱり、違う。


「あ、ありがとな」
「うん」


 選別試験のときに知り合っていた同期、だった。その選別試験でも情けないところを晒して、一緒に任務について格好悪いところも山ほど見られていて、俺も女らしくないとこだって山ほど見ていて、喧嘩だってすることもあったようなこいつが、律儀にお祝いを──それも贈り物付きで、してくれるだなんて。まめというか繊細というか、そんな一面がすこし意外な気もして、たそがれに溶けていく影にどこか、意識がぼんやりとしてくる気さえしていた。改めて受け取った包みは、なんだかずっしりと重たい。


「饅頭?」
「そう。善逸、すきでしょ」


 好きだ。好きだけど、なまえにそれを覚えられているのがこそばゆくて、不思議で、まるでそれは着慣れない洋服を無理やりに纏ったときのような、それでいて不快ではない感触を連れてくる。……なんだ、この感じ。俺はごまかすみたいに髪を撫で付けながら、さらにごまかすための話題を頭の中をかき回して探していた。


「ん、まぁ……その、炭治郎には何あげたんだよ」
「え?」


 くしゃ、と包み紙がちいさな音を立てる。純粋に疑問を抱いていそうななまえの心音に答えをあげるみたいに、「ちょっと前、炭治郎の誕生日だったろ」なんて、言いながら。俺は“そういう”予感とか自惚れとか、いろんなものからそっと、後ずさろうとしていた。


「……それは……おめでとうって、言っただけ」
「……へ」


 ……していたのに、失敗、した。聴こえる鼓動がはやくなって、血がたくさん巡って、それはきっとなまえも、それから俺も。
 普段さんざん望んでいて、いつだって軽々しく飛びついているくせに。いざ目の前に差し出されると怖気付いてしまうものだって、どうして誰も教えてくれなかったんだよ。そう誰でもない相手に毒づきながら、「へ、へえ」と返す声は上擦って、するとなまえが一歩、俺に近づいた。その足音が、靴が地面をこする音がやたらと鼓膜を揺さぶって、びくりと肩が跳ねる。


「善逸だから、あげたの」


 一瞬。屈んだなまえと、呆然と座ったまんまの情けない俺の瞳の距離がぐっと近づいて、うるさくてなんにも聴こえなくなるくらいの心音が、どくどくと響きわたっていた。ふっと離れたなまえの奥にひかる橙色が、まぶしくて堪らなくて。思わず目を細めながら、からからに渇いた喉から声をしぼり出して、ひとこと、「なまえ」なんて呼んだ。……返事は、してくれなかった。


「……じゃ。わたし任務だから、いくね」


 あ、逃げられた、と咄嗟に思う。でも追いかけられなかった。踵を返して走り出したなまえの背中は、どんどん遠ざかってゆく。
 鬼殺のために鍛えた脚力も、無駄に早くなった逃げ足も、道ゆく女の子に撒き散らしている口説き文句も、どうしてだか今この瞬間、なにひとつ役には立ってくれない。たそがれ時がおわってからもしばらく、饅頭は俺の手のひらの中で、ゆるくかわいそうに潰されてしまっていた。




どんな終わりかたでも、あの懐かしい日々の中に
こんな誕生日があってもいいかなと思いました。
お誕生日おめでとう、善逸くん。君に幸あれ。

20210903




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