春隣、あなたと
※本編204話後のお話。FBの内容を考慮していない別の世界軸です。
刀を握らなくなった。窮屈な隊服に袖を通さなくなった。それはほんの少し寂しくて、けれど肩の荷が降りたことは素直に喜ばしくて。決戦が終わって月日が流れ、本当に安穏な日々を過ごしていた。もう、私もなっていいのだ。きれいな袴を身につけて街を淑やかに歩く、ただの女の子に。
「そこのお嬢さん、どちらへ?」
なっていい、とはいえ。街で知らない男性に声をかけられることになるとは正直思っていなかった。鬼狩りをしていた頃の私の装いはもう粗雑で、黒ずくめの隊服を着込み、髪は適当にひとつに束ねていた。寝不足で顔色もきっと悪くて、もちろんお化粧なんてしたこともなくて──その頃からしてみれば、こんな状況は有り得ないわけで。
「……すみません、人を待っていますので」
おろした髪にりぼんを付けて、唇に少し紅をさした私は、出かける前に鏡で見てみると以前の私とは別人のようだった。変わることができたと素直に喜べばいいだろうけど、断ってもにじり寄ってくる男を前にしては、そう呑気な心持ちでもいられない。
おおかた、細っこく弱そうな私は見下されているのだろう。ただの女の子、というのも難儀だ。
「まあまあ、そう言わずに」
「いえ、本当に……」
厠に行く、と立ち去った金髪を思い浮かべながら、ひとつため息をつく。遅い。遅いよ善逸。
・・・
善逸とは鬼殺隊の同期で、今思えば当時は喧嘩ばかりしていた。「かわいくねえ奴」なんて数え切れないほど言われたし、私が善逸に苛立ったことだって何度あったかもうわからない。
それでも人の心とは不思議なもので、背中をあずけ合って共に戦い、ぶつかりながらも互いの痛みを分け合っていくうちに、いつしか善逸は私にとっていっとう大切な存在になっていた。それは、きっと善逸もそう。そうして私たちは、鬼殺隊解散後も「恋人」として隣にいることを選んだ。
だけど、こう……いや、私もいけないのはわかる。お世辞にもかわいい態度は取れないし、いつだって素直になれはしない。
でも善逸の方も、なかなか甘い言葉はくれないし、女の子扱いされた記憶があんまりなくて。今日だって出かけるからとおめかししたのに、善逸は何も言ってくれなかったし。
……なんて。目の前の男そっちのけで悶々と考えを巡らせていると、いきなり手首を掴まれた。
「なっ、え、ちょっと!」
「いいからいいから、素敵な場所に連れて行ってあげますから」
ほとんど反射、だった。気付くと私は思いきり息を吸い込んでいて、手首を掴む手を勢いよく捻り上げていた。そのまま重心をずらして──どさり、鈍い音が響く。そこそこに人通りのある道に、先ほどまで眼前に迫っていた男が倒れ込んでいた。
いた、というか。倒れ込ませたのは他でもない私だった。
これ……どうしよう。ついやってしまった。相手に非があるとはいえやりすぎた。通行人の視線が集まってきたこともだが、「お前……」と男が睨みつけてくるさまに冷や汗が流れる。
──思わず、後ずさったところで。私とその男とのあいだに、鋭い稲妻が奔った。
「……俺の連れに何か?」
ぜんいつ。呆然としながらその名前をこぼすと、ほんの少し振り返った彼と視線が交わる。一瞬で解けたそれはまた前に向けられて、その大きな背中越しに見える男はすこし怯んでいた。
・・・
男をこのままにしておくか善逸はすこし迷ったようだったけれど、集まる野次馬に耐えきれず私が軽く袖を引くと、この視線から逃れることを優先して場を離れてくれた。「次はねえからな」なんて、私の方までぞくりとする低い声を残して。
……善逸、私の為に怒ってくれるんだ。きっとこんなことを思っている場合じゃないだろうに、なんだか胸の奥がむずむずして、裾を気にするふりをして視線を落としていた。
街の外れまで出ると、善逸が足を止める。「ごめん、遅くなって」なんてまた素直なことを言うから、どこか目を合わせづらくて。
「……べつに、大丈夫」
私そんな貧弱じゃないから、と首を横に振ってみせたけれど──内心は少しだけ怖かったし、駆けつけてくれた善逸の背中をみて安心してしまったりもした。人には、鬼とはまったく違う恐ろしさがあるから。
けれどなんとなく矜持がじゃまをして、このむず痒さも安心感も知られたくなくて、善逸に聴かれないように呼吸でなんとか心音を整える。わりと通じてきたこの手で誤魔化せたかなと、やっと善逸を見遣ると。こちらを向く瞳は、どこか甘さを湛えて私を見つめていた。
「強がんなよ、安心したような音させちゃってさ」
「…………聴くな、ばか」
「無茶言うなよ、バカ」
わざとらしくそっぽを向いてやると、「はぁ、本当……」なんて善逸のため息が聞こえる。かわいくねえ奴……なんてまた言われてしまうかな、そう思っていたのだけど。
「……その、さぁ。気をつけろよ」
「……何を?」
「なまえ、…………今日、とくに、かわいいし」
どくん、明らかに隠しきれないくらいに心臓が跳ね上がった。……かわいい。かわいい、って、言ってくれた? 砂利がこすれる音がして、混乱し出した私に善逸がすこし歩み寄ってくる。
善逸だってほんのり頬を染めているくせに、私より余裕を含んだみたいな顔をして、「照れてる音、してる」なんて笑うから。嬉しいのに恥ずかしくって堪らなくて、思いきりその背中を叩いてやった。
「き、く、な、ば、か!」
「いっってぇ! 今の本気で叩いただろおまえ!!」
「……そもそも、善逸が私を放っておいたのがいけないんでしょ」
「は、はぁ!? 人のせいにすんなよ、ぼーっとしてたのなまえだろ」
折角の……と言うべきか、流れかけた甘い空気を弾き飛ばしてしまって、ああもう相変わらずだ。でも、なんだか私たちはまだ“相変わらず”で良いような、ちょっとだけそんな気がする。憎まれ口を叩いていても、その裏側に抱えるものはもう随分と違うはずだと思うから。
善逸の口元は今にも緩みそうにひくついて、私も込み上げてくる笑いをわざとらしく堪えている。
「……なまえ。やり直す? デェト」
「……うん、やり直したいな」
ん、と差し出された手を取って、しっかりと握りあう。むず痒さはもうそこには居なくて、胸の膨らむような期待にすっかり姿を変えていた。
もう直ぐ春が来る。善逸と出会って、三回目の春。抱える気持ちも関係も環境も、たくさんのものと一緒にゆったり移り変わってきた私たちは、どんな音につつまれてゆくのだろうか。待ち遠しくてたのしみで、仕方がない。
20210219
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