スターライト・ノスタルジー



*2020七夕
※現パロ



大学進学と同時に地元を離れて、3年が経つ。
といっても、電車とバスを駆使して三時間弱で帰ることができるような、それほど遠くはない場所なのだけど。

火曜の講義は午前中だけなので、正午過ぎにしてもう帰路についているわけだが。今の私は、日傘を持ってこなかったことを猛烈に後悔していた。


「…五月晴れ」


ぎらつく陽光にほんのり嫌気が指す中、ひとり呟いた。梅雨はまだ明けていないらしいが、燦々と輝く太陽が私に突き刺さる。

いつだったか、「五月晴れ」を文字通り5月のお天気な日のことだと思っていた私に、三つ年下の弟みたいな幼馴染は「梅雨の晴れ間のことを言うんだぜ」って、得意げに教えてくれた。

ああ、そう。蛙の鳴くわだちを、二人ではしゃぎながら走って。七夕祭りの準備のために、笹を取りに行った日。7月の、何日だったかな。照りつける太陽を眩しがる私に、まだ小学生にもなっていなかった善逸が教えてくれたんだ。




私の出身地は、まあいわゆる郊外で、都会から見ればちょっぴり田舎、みたいな場所。
ちょっと車やバスに乗れば大きな街には出られるけど、都会と言うにはなんだか今ひとつ足りない感じ。
進学の都合で離れて、都会と言えるような場所に住むことになってしまっている現在だけど、そんな地元が私はなんだかんだで好きだった。

小さな駅の前にある、今思うとレトロな雰囲気の商店街なんかも、そこそこ賑わっていて。毎年7月、そこで催される七夕祭りが、私は楽しみで仕方がなかったんだっけ。





ふらつきながら家に帰って、冷蔵庫の麦茶をコップに注ぐ。少し飛び散った雫が手を濡らしたけれど、これぐらいどうだっていい。
一気に飲み干してからエアコンのスイッチを入れると、火照った体が幾らか冷めていった。
お昼、は、どうしよう。最近なかなか食欲が湧かなくて、とりあえず後でいいかとひとつため息をついた。

そのとき、スカートのポケットに入れていたスマホが振動して。
継続するそれはどうやら電話らしくて、取り出して画面を覗き込むと、なんともタイムリーな相手からの電話だった。


「もしもし、こちらは俺の幼馴染さんのお電話でお間違いない?」
「ふ、はは、お間違いありませんよ。久しぶり、善逸」


話すのお正月以来だっけ、いや会ってねえよ、あっじゃあ去年のお盆か、いや1ヶ月前に電話したじゃん、私それ覚えてないよ。そんなやり取りをしてから、「突然電話なんてどうしたの?」と、ベッドに座りながら問い掛けた。

というのも、善逸とはメッセージのやりとりこそ偶にあるものの、電話なんて掛けてくることは滅多になくて。善逸が「1ヶ月前」と言った通り、私が飲み会で調子に乗って飲んだ日に、酔っ払って掛けたことはあるらしいんだけど。
私は全然覚えていなくて、次の日起きると『相当飲んだっぽいけど大丈夫?』なんてメッセージが来ていて、同じくメッセージで謝り倒したのは、まだ記憶に新しい。


「…今年も、帰れそうにない?」
「ん、あー、七夕祭り?」
「そうそう」


んー、と考え込むと、善逸が困ったように笑ったのがわかった。

小さい頃は、本当に楽しみだった七夕祭り。中学生までは毎年善逸と行っていたけど、お互い恥ずかしくなって、いつしかバラバラで行くようになって。
そして高2の時に部活の友達と行ったのを最後に、それきり行っていなかった。高3は受験があったし、大学に入ってからは、なかなか中途半端な時期で帰れないし。

三年前から、毎年「今年は祭り行かないの?」という旨のメッセージが善逸から届いていて、その都度断っていた。あれ、じゃあ、なんでまた電話なんだろうか。
そんな私の疑問を知ってか知らずか、「あのさ」と善逸が話し出す。


「俺も今年で最後なんだ、多分」
「へ、どういうこと?」
「地元出て大学行くことにした」
「そうなの!?どこ行くの?」
「んー、内緒」


え、と言葉を詰まらせる私に、何故だか善逸は笑う。それから、「今日俺とお祭り行ってくれるなら、教えてあげなくもねえよ」なんて悪戯っぽく言うから、私までつい笑ってしまった。


「無理だよ、今日は」
「どうしても?」
「……なんで?」


少し、沈黙が訪れる。
考えているのか、答えられないのか、何だろう。「善逸?」と、黙ってしまった彼の名前を呼ぶと、「ああ、うん」なんて、曖昧な返事。


「いつもさ、青い短冊選んでたの、覚えてる?」
「え?」
「本当は青が欲しいのに、列に入れなくて泣いてた俺にさ。毎年、ねえちゃんが青いやつ持ってきてくれて」


ねえちゃん、いつしか「なまえ」なんて呼び方にすり替わって、忘れ去られていたその呼び方で、善逸は私を呼ぶ。
どくん、と心臓が脈を打ったけど、電話越しでも聞こえてしまっただろうか。


「俺がもらう事になった、可愛くない色の余りの短冊と、交換してくれんの。灰色とか、白とかでも、嫌な顔ひとつせずにさ」
「…ふふ、うん、よく覚えてる」


脈絡のない思い出話だけれど、私の脳裏には自然と、灰色の短冊を持って泣く善逸が浮かんできた。可愛かったなぁ、善逸。


「…すぐ、我慢するんだよ」
「え?」
「本当に頑張り屋で、我慢強くて、しっかり者で」
「え、えっと…?」


話が読めない私をほったらかして、善逸はまた口を開く。


「なあ、俺さ、もうすぐ18歳だし、身長もだいぶ伸びたよ」
「うん…ね、どうしたの?善逸」


ちょっと戯けるように、笑いを含ませて問いかけたけど、善逸は返事をしてはくれない。どくどくと心音が煩くて、部屋は涼しい筈なのにじわりと汗が滲む。


「…こないだ、泣きながら電話してきたんだよ」
「…え…わ、私?」
「そう」


ごめん、そう咄嗟に謝れば、違うよ、と。すぐに否定されて、スマホを握る手に力が籠った。


「辛い、もう嫌だ、って言ってた」


返事が、できなかった。近頃は本当に上手くいかないことばっかりで、本当に辛かったのだけど。だめじゃん、なんで、よりによって善逸に。善逸は泣き虫で寂しがりだから、私が助けてあげないと、だめなのに、と。

そこまで思ってから、もうすぐ18歳だと、身長も伸びたと、つい先刻の言葉を思い出して、息を呑んだ。去年の夏、昔みたいに頭を撫でようとした手を引っ込めた記憶が、ちらついて。ぐらぐら目の前が揺れた。

それが、涙の膜だと気付いたのは。覚えているのよりもずっと低くなった声が、「なまえ」と優しく私の名前を呼んだ時だった。


「…な、に?」
「いつも、頑張りすぎなんだよ」
「…ぜんいつ」


今度はもう一度、「なあ、ねえちゃん」と呼び掛けられて、だけど何故だか返事はできなかった。


「ねえちゃんは俺の姉じゃないし、俺はねえちゃんの弟じゃないよ」


…知ってるよ。でもね、仕方ないでしょ。雨が降ってお祭りが中止になった日、善逸がわんわん泣くから、皆「お姉ちゃんが慰めてあげて」なんて言うから、私は泣けなかったの。

涙がこぼれ落ちる音を、きっと善逸は聴いている。とびきり優しい声が、ゆっくりゆっくり私の手を引いていく。


「帰って来てよ。りんご飴もたこ焼きも、俺が買ってあげる」
「…明日、朝から講義あるもん」
「休めば? 1日ぐらい」
「…そんっな、無責任な」


まあね、と何処か得意げな善逸の声を聞きながら、瞼を下ろして思い返す。さらさら揺れる笹飾り、はしゃぐ子供たち、満天の星空と、煌めく琥珀色の瞳。

それから、雨の匂いに包まれる七夕に、水溜まりに沈めた恋心。


「そっちより、星、綺麗だと思うよ」
「うん、そう、だね」
「会いに来ない?」

「………会いに行く」
「ひひ、よし、決まりね」


嬉しそうな声を出す善逸につられるみたいに、口角が上がる。目元を手の甲で拭ってから「してやられたわ」と溢すと、善逸は楽しそうに笑った。


「短冊、何色がいい? 帰ってくるまでに、俺が選んどいてあげる」


何故か、また涙が込み上げて。
それを堪えながら「黄色がいい」と、詰まった声で返事をした。
部屋のデジタル時計が指す時刻は、13時過ぎ。まだ間に合う、そう、遅くなんかない、何もかも。


「お願い事、考えておいでよ」
「…うん。善逸は、なに書くの?」
「…俺?…ちっちゃい頃と、一緒」



…私は。
善逸の姉じゃなければ、善逸は私の可愛い弟なんかじゃない。「駅まで迎えに行くから、気をつけて来なね」なんて、一人前の男性みたいな言葉を受け止めてから、静かに電話を切った。


小さな手でマーカーを握り締めて、くしゃくしゃの青い短冊に『ねえちゃんとけっこんできますように』と。毎年拙い字で書いていた、三つ年下の幼馴染の姿を、私はずっと忘れない。


私の願いが、黄色に乗せられて、さらさらと揺れる様を。きっと一緒に見上げてほしいと祈るこの想いは、恋でしょうか、愛でしょうか。




20200707




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