おやすみハニー



※現パロ、社会人設定



疲れた、疲れた、疲れた。
ぼーっとする頭、落ちそうになる瞼、重たくてゆっくり歩くのがやっとの脚。
ぐったりしながらなんとかマンションのエレベーターに乗り、目的の階に到着。自分の部屋のドアを目指してヨタヨタ歩き始めると、私がたどり着くより早く、きぃ、と音を立ててそのドアが開いた。

「なまえ!おかえり!」
「ぜっ…ぜんいつ…!」

目を細めて私に笑顔を向けてくれる、大好きな人。その姿を見て、自分でもびっくりするぐらい情けない声が出た。
そうだった、今日はしばらくまともに会えていなかった恋人、善逸が来てくれる日だったんだ。忙しすぎて、疲れすぎて、すっかり忘れていた。でも、サプライズしてもらったかのように嬉しいから、結果オーライかな。

「お疲れさま、頑張ったね〜!」

ありがと、と呟いてよろよろ近づいて行く私に、善逸は駆け寄ってきてくれた。
そんな姿が愛おしくて、今すぐくっつきたくて思わず両手を広げると、もーしょうがないなあ、と少し眉を下げてから、善逸は私をひょいっと抱き上げた。
…抱き上げた?

「いや、ぎゅってしてほしくて、」

伸ばしていた両手は空を切って、行き場をなくした。お姫様抱っこのような格好で抱き上げられて、恥ずかしいのなんの。

「そうだったの?ごめんねぇ、抱っこかと思っちゃった」

わかってたくせに…と心の中で呟きながら、嬉しさと愛しさが、いとも簡単に恥ずかしさを上回ってしまった。彼の首に手を回して、胸に顔を埋めると、大好きな善逸のにおいに包まれる。
重そうなそぶりなんか一切見せないで私を運んで、開けっぱなしだった玄関のドアをくぐって家の中に入ると、そーっと私を座らせてくれた。

「はーいじっとして、靴脱がせてあげるからね」
「や、自分で…」
「いーからいーから」

善逸と割と長く付き合ってきて、本当に優しい善逸にたくさん甘やかされてきたけど、やっぱりまだ、めちゃくちゃ恥ずかしい。でも…

「ほんと、そこまでしなくていいよ、恥ずかしい…から…」

パンプスを脱がせて綺麗に揃えて置き、また私を抱き上げようとする善逸を手で制すると、ふふ、と彼は笑った。

「嘘つきだなぁもう。もっともっと俺に甘やかされたいくせにさ」
「え、」
「嬉しそうな音、聞こえてくるもん。もっと甘えていいんだよ」

おでこに優しいキスを一つ落とされて、今度は抵抗する間も無く、また抱き上げられる。固まっていると、お風呂場まで連れて行かれて、脱衣所に下ろされた。

「よし、じゃあお風呂入れてあげるね!」
「それはいい!!本当に結構です!!」
「エー!!!なんで!!?」

いやいや入れてあげる、本当にそれはいいから、の攻防戦をしばらく繰り広げて、折れたのは善逸。
もーそんな照れなくても俺たちそういう仲じゃん…と口を尖らせる善逸を、それとこれとは別!と、脱衣所から押し出した。
よく見ると、カゴに溜まっていたはずの洗濯物はないし、着たいけど洗濯する暇が無くカゴに詰まっていたはずの、フワフワのルームウェアが綺麗に畳んで置いてある。
お風呂の扉を開けてみると、湯船からはほわほわと湯気が立ち上っていて、私の好きな香りの入浴剤も入ってる。
ぜ、善逸…!いい嫁すぎる。
最近シャワーで済ませてたから嬉しいな、上がったらちゃんとお礼言わなきゃな、と、思わずこぼれる笑みを抑えきれないまま、ゆったりお風呂を楽しんだ。




お風呂から上がって簡単に髪を拭いた後、キッチンに続く扉を開けると、私が口を開くより先に、善逸が「髪乾かしてあげるー!!」とすっ飛んできた。

「乾かしたらご飯食べようね〜」

そう言いながら部屋の真ん中まで私の手を引いて、善逸が先に座った。胡座をかいて、その中心をぽんぽんと叩き、「おいで」と手を広げてくれる。
羞恥心は、善逸の優しさにほとんど溶かされてしまっていた。少しためらったものの、素直にそこに座ると、すっぽり包み込むように抱きしめられた。

「いい匂いするし、髪もすっごく綺麗、本当になまえは可愛いなあ」

視界の端に、濡れた髪を一束掬ってくちづける善逸が映って、体を縮こめることしかできない。善逸はそんな私を見て笑ってから、ドライヤーのスイッチを入れた。

「熱くない?」

何度も乾かしてもらっているからか、慣れた手つきで私の髪にドライヤーを当ててくれる。はじめて乾かしてもらったとき、盛大に熱がってしまったから(まあだいぶ近くで当てられたので仕方ない)、それ以来、熱くないか毎回確認してくれる。

「うん、だいじょーぶ、ありがとう」

部屋を見回すと、善逸がくることを覚えていた昨夜に慌てて片付けたものの、そこそこ散らかっていたはずの部屋が、綺麗に整頓されている。
ホコリをかぶっていたCDラックが綺麗になっていたり、適当に詰めて順番がバラバラだった本がきちんと並べてあったり、一応畳んではあったもののグチャッとしていた服が部屋の隅からなくなっていて、おそらくクローゼットやタンスに仕舞ってくれていたり。
あちこちに善逸の優しさを感じて、胸がぎゅっとなった。

「こらなまえ、ちゃんと前向いててよ」
「…善逸…ごめんね、私こんなんで…」
「…えっ、なに?なんで俺みたいなこと言ってんの?」

かち、とドライヤーを止めた善逸が、私の顔を心配そうに覗き込んでくる。そんな優しい善逸の目を見つめていたら、じわ、と涙が浮かんできた。

「だ、だって〜…」
「えー!ちょっとちょっと泣かないで!」

向きを変えて善逸の胸に顔を埋めると、大きな手が優しく頭を撫でてくれた。もうほとんど髪は乾いているみたいで、湿っぽい不快感はなくなっている。

「善逸もお仕事大変なのに、せっかくのお休みなのに、こんなことさせてごめん…」

当然、善逸だって働いていて、今日は体を休められる、貴重なお休みなわけだ。たぶん今さっき来たわけじゃなくて、ろくに休みを満喫せずに、私のためにあれこれやってくれていたんだろう。
申し訳なくて顔があげられない私の頭をまだ撫でながら、善逸は優しい言葉を私にくれる。

「あのね。俺は最近仕事が落ち着いててさ、余裕あるんだ。だからその分、なまえの力になりたいの」
「ぜんいつ〜…」
「俺が大変なとき、なまえもいつも助けてくれるじゃん」
「そうだっけ…」
「そーう。余計なこと考えずに、俺に甘やかされてればいーから」
「うん…」

顔を上げると、私の大好きな優しい笑顔を浮かべた善逸がいて、指で涙を拭ってくれた。もう一回善逸にくっつくと、よしよし、と言いながら撫でてくれて、ぽかぽかあったかい陽だまりにいるみたいな感覚になって。本当に満たされる。

「よし、ご飯食べよう!頑張って作ったからさ」

善逸がそう言って立ち上がるから、手伝うために立ち上がろうとすると、ぐっと肩を押さえ込まれる。わ、と声が漏れて、床にぺたりと座り込むと、顔を覗き込まれた。

「ダメダメ、座ってて」
「え、でも…」
「すぐできるから、ね!」

そう言ってキッチンに向かう彼を、口をへの字にして見ていると、何か感じ取ったのか善逸はお箸と箸置きを持ってきて、並べておいて、と手渡してきた。
小学生のお手伝いか、と思いながらお箸を並べ、置きっ放しだったドライヤーを片付けていると、「お待たせ〜!」と、料理を運んできてくれた。
善逸の作ってくれるご飯はいつも和食で、疲れた体に染み渡る。煮物とか、お浸しとか、お味噌汁とか。
ほかほかと美味しそうな湯気をたてるご飯まで一緒に並べたところで、向かい合って座った。

「おいしそう…」
「あ、味はちょっと保障できないけど…」
「今更なに言ってるの、善逸のごはんはいつも美味しいのに!」

照れたように眉を下げて笑う善逸が可愛くて、なんだか私まで照れた。二人で手を合わせて、いただきます!ととなえて笑い合う。
一口お味噌汁をすすると、味は保障できないなんてバカなこと言わないでほしいぐらい美味しくて、幸せで胸がいっぱいになった。

仕事の愚痴を聞いてもらったり、善逸の近況報告を聞いたりしながら箸を進めて、ふと自分の疲れが幾分取れていることに気づいた。
お風呂にゆっくり浸かって、しっかりご飯を食べて、なにより、大好きな人が自分を労ってくれることで、こんなにも体が楽になるなんて。
ここ1ヶ月ほど本当に忙しくて、善逸とろくに連絡もとっていなかった。なまえ大丈夫?ちゃんとご飯たべてる?とおととい連絡があって、あさって休み取れたんだけど会いに行ってもいい?ってメッセージに、あいたい、とだけ返した。
一人でフラフラ帰ってきた日は、なんとか化粧を落としてシャワーを浴び、カップラーメンかコンビニのおにぎりを口に押し込んで、髪も乾かないうちに床で眠るような生活をしていて、大丈夫ではなかったかな。
善逸が忙しい時は恐らく彼もそんな生活をしていたから、ちゃんと体大事にしなさい!なんて言ってたのに、自分がこれじゃなにも言えない。

「あのさ、ちょっと提案があって」

ブーメランになんだかばつが悪くなって俯いていた私に、善逸が少し声のトーンを下げて話しかけてきた。

「ん、なあに?」
「提案っていうか、なまえにお願いかなあ」
「お願い…」
「うん…」

箸を置いて、少し崩していた脚を正座に戻して、言いづらそうに口をつぐむ善逸。でも、悪いことを言う雰囲気ではないな、と思った。私も同じく箸を置いて、正座して、善逸の言葉を待った。

「これはあくまでも提案というか、俺からのお願いであって…」
「ふふ、さっきも聞いた」
「無理にとは言わないし、嫌ならすぐ!すぐね!すぐ断ってほしいんだけどね」
「うん、わかったよ」

すう、善逸が息を吸って、言うのかと思ったら息を吐いて、あーー…と情けない声を出してから、また息を吸った。

「俺と、あの、一緒に暮らさない?」
「…え」

あんまりにもびっくりしてしまって、体が固まった。ど、どうせ…同棲、同棲ってこと…?
5秒ほどだろうか、お互い固まっている間に、私の頭の中に色々な映像が流れる。
善逸の帰りを待つことができるし、残業で遅くなっても帰ったら善逸がいる、デートの後だって同じ家に帰ることができて、おやすみもおはようも毎日直接言える…?お風呂?ご飯?それとも私?もできる…?
なんだかうまく状況が飲み込めない私をみて、善逸は涙目で頭を抱えた。

「ウッワーーやだーーもーー無理だよねわかってる!ごめんごめん!忘れて!さっぱり!忘れてね!!あーーー!お味噌汁おいしいなあ!!」

ズズズッ、とお味噌汁を勢いよくすすって、ゲッホゲホ咽せている善逸は、多分私の戸惑いの音しか聞こえてない。私は幸せすぎて戸惑ってるっていうのに、もう。

「善逸」
「ゲホッゲホッ」
「ぜ、ん、い、つ!」
「は、はい!」

お椀を置いて口を拭った善逸は、まだ神妙な面持ちで固まっている。そんな善逸に向かって、ちょっと恥ずかしかったけど、出来るだけ声を張って、伝えた。

「私も、善逸と…一緒に暮らしたい、な」

私がどぎまぎしながらそう伝えると、ぱっ、とすぐに善逸の顔が明るくなって、ふにゃっと柔らかい笑顔に変わって、そのまま後ろに倒れ込んだ。ゴツン、って結構鈍い音したけど、大丈夫かな。

「よかったぁぁぁ、よかったよぉぉ、戸惑ってドキドキしてる音しか聞こえなくて、嫌で困ってるのかと思ったよぉぉぉ」
「もー、そんなわけないのにー」

私が笑いながらそう言うと、善逸はむくっと起き上がって、ニコニコしながら私の隣まで移動してきて、私の肩をしっかり抱いた。

「ふふ、いつでもこうやってなまえのこと甘やかしてあげられるんだ、嬉しいなぁ」

私だって善逸のこと甘やかすもん、そう思ったけど、こうやって善逸にたっぷり甘やかされるのが心地良くて、今はなにも言わないことにした。ぎゅーっと抱きしめられて、何度もキスを落とされる。
いつもは二人の時間がここから始まるのだけど、今日は少し違って、善逸は唇に触れるだけのキスをして、私から素早く離れた。

「あーーダメ、ヘトヘトなのわかってるし、今日は絶対に変なことしない、って誓ったからね、俺」

なにに対してダメと言ったのか、なにに誓っているのかよくわからないけど、ただただ私を気遣ってくれていることが嬉しくて、善逸に思いっきり抱きついた。

「善逸、ありがと」
「ふふ、どういたしまして」

善逸にもたれかかるとまた頭を撫でられて、大好きな感触に瞼が落ちそうになって、「このまま寝てもいい?」と聞くと、善逸が慌てた様子で私を引き剥がした。

「歯磨き!歯磨きしないと!」

ほらいくよ、と洗面所に連れて行かれて、並んで歯を磨く。鏡越しに善逸と目が合って、どちらからともなく、空いている手を繋いだ。
私が先に口をゆすいでいると、へへっ、という善逸の気の抜けた笑い声が聞こえてきた。

「ほえから、まいにひほーやっへへきふんあね」
「ちゃんとゆすいでからじゃないとなに言ってるかわかんないよ善逸」

そう言うと、慌てて善逸は口をゆすいで、「これから毎日こーやってできるんだねぇ」と、言い直してくれた。うん、と微笑むと、また善逸は私のことを横抱きにした。本日何度目かのお姫様抱っこ。

「ちょ、善逸…」
「えーまだ恥ずかしがるの?いい加減慣れてよぉ」

そのままベッドに連れて行かれて、優しく下ろされた。善逸は私に掛け布団をかけて、そのままベッドの横に座る。なんだか寂しくて善逸を見ると、ふう、とため息をつかれた。

「…善逸、一緒に寝てって言ったら怒る?」
「…ダメだって、我慢できなくなっちゃうから」
「でも、なんか寂しい…」
「はー、もー、わがままだなあ」

 頭を掻きながら、善逸は布団をめくって、私の隣に寝転んだ。

「ぎゅってして」
「もう、本当にさ、なまえは俺の精神力でも試してるの?」
「甘やかしてくれるって言ったじゃんかー」

あー、もー、とか言いながら、善逸は優しく私を抱きしめて、背中をとんとんと叩いてくれた。

「また今度、お休みの前に会いにくるから」
「うん」
「同棲のこと色々決めよう」
「うん…!」

善逸は顔が見えるように少し離れて、私の前髪を撫でつけながら、触れるだけのキスを唇にくれた。

「で、甘やかした分のお代もらうね、その時に」
「え!なにそれ!」
「んー、今日こうやって煽ったんだから、覚悟しててってこと」

すっと細められた目。その表情がすごくかっこよくて、さっきまでとは別の意味でドキドキしてしまって、慌ててまた善逸の胸に顔を埋めた。

「さ、早く寝なよ、おやすみ」
「…うん、おやすみ」

瞼がだんだん重くなってきて、そういえば私疲れてたんだった、と思いながら眠りにつこうとして、お礼を言いそびれたことに気づいた。

「ね、善逸、ありがとう」
「…あー、可愛いなあ、なまえ」

大好きな善逸の腕に包まれて、ゆっくりゆっくり意識が沈んでいく。こんな贅沢なことあるかなあ、と思いながら、私は夢の中に落ちていった。





次の朝は、目覚まし時計の音で起きた。
善逸も仕事があるので帰ったみたいだったけど、夕飯の食器は綺麗に片付いていて、昨夜適当に脱いだスーツはきちんとハンガーにかかっている。目覚まし時計もそういえばかけた覚えがないから、善逸がセットしていってくれたんだろう。

「…今日もがんばろ」

こんなに清々しくて元気がある朝は久しぶりだった。
私はカーテンを開けながら、善逸にメッセージを送ろうとアプリを立ち上げた。



20200416




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