長編 | ナノ

 彼の名を呼ぶ

あんたよく卒業出来たよね。

同期達からは未だに言われる。

自分だって嫌という程わかっている。
私は兵士には向いていない。
ましてや調査兵なんて尚更。

それでもここを選んだのは、こんな私でも役に立てる事が見つかりそうだったから。

そう言ったら、自惚れだと笑われるだろうか。
それとも迷惑だと跳ね除けられるだろうか。





「なまえ、遅い!!それからワイヤーを巻き取る時の体幹がぶれ過ぎだ!」

「っ、すいませ、…」

なまえは声を荒げる上官の前で息を上げながら謝罪した。

「またかよ…」

「ったくいい加減にしてくれよな…」

もう何度目かの呆れた同僚達の声が背後から飛び、ただでさえ小柄な体がますます小さくなる。

挫けそうになる心を地面に脚を踏ん張る事で耐えた。
彼らの呟きは誹謗ではなく真っ当な発言だ。
壁外調査を主とする調査兵団は、立体機動装置を使いこなし、仲間との連携が取れなければ命を落とす。

足手まといになることは部隊全体に負担を掛け、死亡率を上げる結果になってしまう。
だからこそ落ちこぼれは必要ないのだ。

ここでも私の居場所は無いのか。

己の不甲斐なさに目尻から零れる寸前の涙をぎりぎりで食い止めた。

落ち込むなまえをよそにさっさと訓練は再開される。
肩を落としながらもその集団に加わる最中、滲む視界の端に動く影を捉えた。
渡り廊下に目を遣れば、エルヴィン団長とリヴァイ兵長が何やら会話しながら歩いている。

リヴァイ兵長は稀に演習に顧問として参加してくれる事もあるが、エルヴィン団長は壁外調査の為の大規模訓練でも無い限り顔を出すことはない。
なまえ自身も、彼を間近で見たのは新兵勧誘式だけだ。

精悍な横顔や透き通った金髪碧眼の偉丈夫はまさに団長らしい風格を備え、彼女にとっては孤高で足元にも及ばない雲の上の人だ。

これから先もひょっとすると死ぬまであの人達と会話することはないかもしれない。

まだ自分の名前もきっと知らない眩しい彼らを背に、訓練の集団へ駆け出した。




「よう落ちこぼれ」

班長に頼まれた書類を資料室に取りに行く最中、背後からの声に立ち止まった。

直接名前を呼ばれた訳でもないのに、反射で振り向いてしまったことになまえはしまったと思ったが時既に遅く、あっという間に三人の男性兵士に取り囲まれる。

「な、何ですか…?」

恐る恐る小柄な己より頭一つ飛び抜けた男達を見上げれば、ニヤニヤと下卑た笑みが返ってくる。

「この間の演習も相変わらず足手まといだったな」

どこかで見覚えがあると思えば彼らは確か同期だ。
訓練兵団は別だったから今まで殆ど接点はないが。

「俺等が教えてやろうか?」

まずい、にじり寄る影に肩を竦めた。
なまえは情けない声で弱々しい抵抗をする。

「あの、資料取りに行くから…」

目だけで逃げ道を探すが前方と左右は同僚に塞がれ、後方は壁だ。
資料室付近は人通りも殆どない。
この状況も計算してのことだろう。

「連れないこと言うなよ。落ちこぼれちゃんを役立ててやろうって言ってるんだろ」

つけあがった兵士達は、彼女の肩を押さえ付け、一人が襟元に手を伸ばした。

乱暴に剥かれていくシャツに血の気が引く。
足が震えて動けない。
ああ、私は結局こういう人間なのか。
何処に行っても馬鹿にされて弄ばれて。これが私の人生なんだ。
ただ何も変えられずに死んでいくのだろうか。
嫌だ、私はそんなの嫌だ。

「や、団長…」

無遠慮に弄られた乳房が歪に形を変えていく。
青ざめた唇は勝手に人の名を口走った。

「やだ、エルヴィン団長っ!!」

「は!人なんか来るわけー」

「そこで何をしている」

人気の無い廊下に低音が響く。
埃っぽい空気が一瞬で浄化されるような明瞭な音。

コツコツと近づく靴音に、男達は縮み上がりなまえに触れていた手を離した。
そのまま腰を抜かし、床にへたり込んだ彼女は我が目を疑う。
無意識に助けを請うた人物が目の前に居る。

「こ、これは、何でも…!」

「言い訳は良くないな」

その一言で静まり返った部下と対峙したエルヴィンは彼らの怯えきった瞳を一瞥する。

長身の彼に見下ろされる形になった兵士はまさに蛇に睨まれた蛙だ。

遠慮ない視線で男達の胸元の刺繍を眺め、やがて威圧感たっぷりの口調で宣告した。

「君達の名前は覚えた。班長達から厳重注意をしてもらう。次に同じ事があれば相応の処分をするから覚悟しておくように。…行きなさい」

真っ青の顔をした三人は形式ばかりの敬礼をし、足早にその場を去った。

再び訪れた静寂。
なまえの前に大きな手が差し出される。

「たまたま資料を探しに来たんだが…通りがかって良かった」

自分だけに向けた言葉に戸惑いながらも、彼女はおずおずと分厚い手の平に己のそれを乗せた。

ぐっと握り返し強く引かれた指の温かさに心臓が跳ねる。
よろけつつ立ち上がるが、緊張の余り言葉が出ない。

エルヴィン団長がこんな近くに。
しかも私に話し掛けてる。
タチの悪い冗談じゃなかろうか。

「君は新兵か?」

突然の質問になまえは喉を引きつらせながらも辛うじて肯定した。

「そうか…入団早々嫌な思いをしたな。怖かっただろう」

久々の優しい台詞に涙が滲みそうになるのを寸前で堪え、やっとお礼と謝罪がまだであることを思い出し、上司に向き直る。

「い、いえ、すみませんでした。お手を煩わせてしまって…」

「気にしなくていい。立場上個人の為ばかりに動く訳にはいかないが困った時は頼ってくれて構わないよ。出来る限りは力になろう」

こんなに真摯な対応をされたのはいつぶりか。落ちこぼれ、足手まとい、穀潰し、数々の評価が今だけ清算された気さえした。

「あ、ありがとうございます」

なまえの言葉を聞き届け、肩を叩き去る背が消えた後も、彼女は暫くその場に立ち尽くした。

どうしてあの時団長を呼んでしまったのだろう。
姿も見えない、私の名前も知らない筈の彼を。
他に叫ぶ言葉なんて、幾らでもあったのに。
答えは考えても出ず、団長の去った方の小窓から差し込む一筋の光をいつまでも見つめていた。

そしてやっと本来の目的を終えたなまえは急いで班長の元へ戻るが、不可抗力とはいえ遅くなった事でまた何時もの如く怒られるのだった。








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