「パイセン、みんなで写真撮ろうぜ」
 五条が苗字にそう誘ったのは、苗字が高専を卒業する日の朝のことだった。使い捨てカメラを手に、卒業の日だからといって特に気合を入れているわけでもない苗字を捕まえて、五条は口の端を吊り上げた。ここが高専の廊下でなければ、質の悪いナンパにでも見えたかもしれない。
 苗字は、何が嬉しくて記念写真なんかを、とでも言いたそうな顔で五条の横を素通りした。しかし五条がそれを許すわけもない。
「最後まで冷たいな」
「卒業しても高専所属の術師である限り、それなりに顔を合わすんだから、何も変わらないでしょ」
「へぇ、卒業してもまだ顔を合わしてくれる気ではいると」
「望むと望まざるとに関わらず五条君はそうなると思ってるけど」
 どんなに不規則な時間に帰ってこようが、苗字がわずかに漏らしている呪力の気配を呼んで近寄ってきた五条悟という男を、苗字は面倒だと思っていた。数年をかけて、それに少しだけ慣れてしまった自分に対しても嫌気がさしている。
 苗字1人のためだけに卒業式があるわけもない。死んでいった同期を残してここを巣立つことに罪悪感すらある。なぜ在学中に死ねなかったのか。その理由を考えたとて、答えが見つかるはずもない。
 眉根を寄せて、次の任務では死ねるのだろうか、と考える苗字を知ってか知らずか、五条は言う。
「俺だってさ、別に思い出を残したいとかじゃねーの。ただ、今日みたいな日に撮っておけば、遺影くらいにはできそうだろ」
「遺影撮影に誘われたのか、私は」
「パイセン、いつ死ぬかわかんねーし」
 それはそうなのだが、苗字は溜息を1つ洩らした。
 葬式など挙げなくていい。そもそも遺体が残る可能性の方が低い業界だ。墓も、遺影もなくていい。存命中の両親には悪いとは思っているが、苗字にとって自分の命はその程度のものに成り下がっていた。
 いつ死ぬかわからない。それは苗字だけではなく、あらゆる人、命が抱えているリスクだ。五条もそれは解っている。だからこそだろう。今は、見知った命が、目の前で容易く消えてしまうことがただ恐ろしい。
「別に、俺とツーショットしようぜ、って言ってんじゃねーじゃん。硝子と七海と伊地知も呼ぶ」
「人を増やせばいいってもんじゃない」
「言うと思った」
「じゃあなんで提案したの…」
 苗字が五条を見上げて問い詰めれば、サングラスの向こうで青い眼がちかちかと爆ぜたような気がした。
 存外、彼は優しい。その六眼で全てを見透かして、その優しさに抱えきれない程の辛苦を包んで、こうして苗字を誘うのだ。
「さっきのは嘘。本当は思い出作り」
「さては君、偽物の五条君か。私の知ってる五条君はそんな風情を持ち合わせてはいない」
「なんでだよ!パイセンの知ってる可愛い後輩の五条悟くんです!」
「あーもうわかったよ、1枚だけね。現像しても私は要らないから」
「やだね、ぜってー送りつける」
「要らない」
「5枚くらい送りつけてやる」
 それでも要らないと返し続ける苗字をよそに、五条は携帯電話を取り出して家入に電話をかけた。苗字が写真撮影を了承したことを伝えるためだ。
 すぐ行く、と家入が言って通話が切れる。彼女が言った「すぐ」は嘘ではなく、ものの1分ほどで七海と伊地知を引き連れてやってきた。そのメンツに苗字が頭痛さえしたが、仕方がないので観念した。
 皆が集合したところで、肝心のシャッターを押す人間がいないことに気づいたため、苗字が名乗り出てみたが、全員から猛ツッコミを喰らっただけだった。



「なー七海」
「なんですか」
「パイセンの家、行ったことある?」
「あるわけないでしょう」
 とある噂の真偽を確かめるために訪れた北海道。道すがら、唐突に五条は七海にそう問いかけた。
 いくら数年単位で慕っている女性相手とはいえど、家に上がり込んだりはしていない。常識的に考えて、七海としてはそれは当然であった。しかし、そんな七海を知ってか知らずか…いや、恐らく知った上で五条は言った。
「僕、この前入ったんだけどさぁ」
「は?」
「うわ、顔こわ。あれだよ、ちゃんと用事はあったんだけどさ」
「…」
 五条の弁明は言い訳にも聞こえたが、本当のことであった。事の仔細は機密情報も含まれていたので話すことはなかったが、それがより七海の不信感に拍車をかけているのは間違いなかった。
 ただ、本題はそこではない。
「パイセン、ああいう生き方をしてるからだろうな、家の中に物が少なすぎるわけ。例えるなら、今流行りのミニマリスト?みたいなかんじ」
「あぁ、それは想像がつきますね。あまり食材とかも置いていなさそうな気がします」
「明日にでも死にたいと思ってるから、洗剤とか、そういうやつの詰め替えとかも一切なくてさ。生きてるけど生活をしていない、って印象」
 生きてるけど生活をしていない、とは言い得て妙だと七海は思った。苗字に対して、かねがね感じていた仄暗い違和感。今たしかに、それが言語化されたような気がした。
 現場に歩みを進めながら、五条は話を続ける。
「たださ、そんな家の中にすごい場違いなものあったのがすごい嬉しくてさ。なんだと思う?」
「…ぬいぐるみとかですか」
「あー、女の子はそういうの好きって言うよね。でも不正解」
 五条は内心、七海の口から「ぬいぐるみ」という単語が出たことに面白さを感じていたが、さすがにそれを表に出すことはなかった。帰ったら家入に話すことは心に決めていたが。
 無言でじっくりと考えこむ七海は、正解できないのが癪なだけだろう。なにせ横で五条がニヤニヤしているのだから。だが、ヒントもなにもないクイズにそう簡単に正解できるはずもなく、五条がタイムアップを口にした。
「パイセンが卒業する日に5人で撮った写真がさ、写真立てに入ってリビングに置いてあったんだよ」
「…あの苗字さんが?」
「そ、あのパイセンが」
 現像しても要らないと言った苗字に、五条は約束通り5枚送りつけた。直後、ふざけるな、といった類のメールが送られてきたが、五条は気にも留めず「いい写真でしょ」とだけ返信した記憶がある。
 同様に、家入や七海、伊地知にも1枚ずつ渡してやったが、彼らがその写真をどうしたのかは知らないし、知るつもりもなかった。
 だからこそ、七海が言うように、あの苗字が、あの写真を写真立てに入れ、あまつさえ何もないリビングにそれだけは置いてあるあの光景は、五条にとって酷く眩しいものであった。まるで、雲夜に瞬く月のように、一際輝いて見えたことを覚えている。
「ほんと、あの人は優しいよね」
「えぇ、それには同意です」
 いつか本当にあの写真が遺影になってしまうその日まで、苗字は止まることはしないのだろう。優しすぎるがあまりに、早い段階でこの世界に、自身の生に諦めをつけてしまった苗字名前という人間を、いずれ写真越しにしか思い出せなくなるのだろう。そう思いながらも、七海は苗字を追うことをやめられはしないのだ。
「その優しさをもってしても、私に絆されたりしないところが、心底愛おしいですね」
「あっそ」
 興味のなさそうな五条すら気にならないらしい七海は、例の写真を挟んだ手帳を入れている胸元のポケットを、少しだけ撫でた。
どうか思い出は捨て置いて

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