木枯らしの吹く午後7時。カラカラと音を立てて枯葉が転がってゆく並木道を、苗字名前中将は足早に進んでいた。1歩後ろで同様に足を動かしているのは、部下であるゾルフ・J・キンブリーであった。市内巡回を冠した、体のいい苗字のサボタージュである。机の上に積み重なった書類のことを考えると、キンブリーのこめかみ周辺はずきずきと痛むばかりであったが、軍の上層たる苗字が勤務時間中に外出するとなれば同行せざるを得ないのが部下としての役割である。
 数年前にハインケルという合成獣に噛まれた首元は大きな傷となって残っている。こうして冷え込む日は、どうにも引き攣れて痛む。腕のいい医療系錬金術師にでも治してもらったらどうだ、と苗字に提案されること数度。しかし彼は毎回、生き延びた証なので、と言って断るのだった。
キンブリーは、歩みの振動と共に揺れる苗字の髪を見つめながら、さて、いつ司令部に戻れるのやら、と小さく溜息を洩らした。その息は、彼の周りの空気を白く染めて、たちまちに消えた。
「おや?」
 ぱたりと止まった苗字の脚に、コンマ2秒遅れてキンブリーも立ち止まる。何かを見つけたらしい苗字の視線の先には、下を向きながらこちらの方向へ歩いている、彼らの腰よりも低そうな身長の、6歳くらいの少年がいた。
 暖かそうな毛糸で作られてたマフラーと帽子、そして手袋。コートの袖口や、背中に垂れ下がるフードにはふわふわと揺れるファーがついていた。仄かに明るい街灯に照らされている、手入れの行き届いていそうな金色の髪などから察するに、家出やストリートチルドレンでないことは明らかであった。
「迷子でしょうか?」
「迷子だろうな」
 そう答えるが早いか、苗字は真っ直ぐ少年の元へと向かう。 
 少年との距離が1mほどになった頃、苗字は凪いだ海のような声で彼に話しかけた。
「Hello, sir.」
 少年からすれば、突然知らない大人に声をかけられた状況である。一瞬身体をこわばらせ、声のする頭上へと視線を向ける。だが、そこに見えた青の軍服と、すぐに腰を落として視線の高さを少年に合わせた苗字の姿に、彼は徐々に落ち着きを取り戻したようだった。
「こんな時間に1人で歩いているのは、我々としてはあまり見逃せないのだが。なにかあったか?」
「…父さんと母さんと、はぐれてしまって……」
 ぽつりぽつり、言葉を紡ぐ少年の頬は白い。この寒空の下、割と長い時間両親を探して歩いていたらしい。
「それは難儀だったな。あまり無暗に歩き回っても疲れるし、ご両親とすれ違ってもいけない。私としばらく、近くの公園で待とうか。」
「でも、父さんと母さんが俺を探してるかも…」
「うん、それはこのおじさんに任せようか」
 少年の不安を取り除くため、苗字が指さした先にいるのはもちろんキンブリーであった。苗字がキンブリーに面倒を押し付けてくるのはいつものことであるし、結局のところキンブリーがそれを断れないのもいつものことである。それはそれとして、迷子の子供のために親を探すなんていうのは、初めてのことだ。
 今度こそ、キンブリーは深く溜息をもらしてしまう。それもそうだ。探すにしても、特徴も見当も何もないのだ。そんな様子の彼を見て、仕方なさそうに苗字は二言三言、耳打ちをして、キンブリーをその場から立ち去らせた。そして満足そうに笑い、少年に言った。
「心配いらない、あのおじさんはとても頭がいいから。すぐに見つけてくれるさ」



 2人がたどり着いた公園には、まばらではあるが人がいた。ベンチに座るカップルや、健康のためにジョギングをしている年配の男性、街頭の光を頼りに風景画を描いている老人もいた。
 そんな人たちを待っているのだろうか、公園の端にはキッチンカーが停まっていた。フードを売っているというより、ドリンクがメインのようだ。
「なにか飲もうか」
「うん」
 お互いに身体が冷え切っている。苗字の提案に、少年は素直にうなずいた。
 キッチンカーに近づくと、小さな黒板に書かれたメニューの文字が見える。コーヒー、紅茶、ホットウイスキー。あまり子供の飲めそうなドリンクは並んでいない。
「あー、ホットミルクとかでもいいかな」
「…ココアとかがいい」
「好き嫌いすると大きくなれないとご両親から言われないか?」
「…俺、大器晩成型だから」
 口をとがらせて目をそらす少年から放たれる屁理屈に、苗字は思わず笑ってしまう。その一部始終を見ていたブルネットの店主は、ココア作れますよ、と微笑んだ。苗字はその心遣いに感謝をしながら、ホットレモンティーを頼んだ。
 2人分あわせて700センズ。店主に小銭を渡しながら、苗字は宛名空欄の領収書を求めた。
「なにそれ」
「領収書。迷子対応も軍人の仕事だからね。経費で落とすんだ」
「…なんかよくわかんないけど、すごい細かいことしてるのは分かった」
「君は賢い子だね」
 その皮肉が伝わるほどの聡明さが少年にあるかどうかは、苗字にもわからなかった。しかしその有無は別に大きな問題ではないはずだ。
 そうこうしているうちに、店主が紙コップをカウンターに置いた。優しい湯気と香りが鼻を擽る。2つの紙コップの横には、領収書もあった。
 一番近くにあったベンチに腰掛けている間、特に会話らしい会話はなかった。お互いがドリンクをすする音だったり、時折苗字がくしゃみをしたり、少年が冷えて赤くなった手を温めようと紙コップをしきりに持ち直す音だけが辺りに響いている。
 少年は両親と買い物にでも出てきていたのだろう。よく見たら毛糸の帽子には値札が付いたままだった。これが欲しいと親にねだり、買ってもらった嬉しさのままに頭に乗せた様子を思い浮かべて、苗字は1人口角を上げた。
 先程のキッチンカーには、割と絶え間なく客が入っている。ラストオーダーまではあと1時間ほどあるらしい。キンブリーの捜索活動は、もうしばらく難航しても大丈夫そうだった。
「妹が、ぐずっちゃって」
「ん?」
 嫌ではない沈黙ではあったが、暇を持てあましたらしい少年が口を開いた。
「妹が途中でぐずっちゃって。父さんと母さんがそれをあやしてるうちに、俺がはぐれちゃったんだ」
「そうか」
 家族に見つけて貰えるかわからない不安は、この大きさの子供には抱えきれないものであるということは苗字も知っていた。また、いくらはぐれて動き回っても、子供の足ではそう遠くまで離れてはいけないことも。
 何をどう伝えても、今の少年に対する慰めにはならなさそうだと苗字は考え、それ以上の相槌を打つことはなかった。
 紙コップの中のレモンティーが半分ほど減った頃、背後の土が踏まれる音がした。
「キンブリー、戻ったか」
「思ったより早く見つかりましたよ。もうじきこちらに来られます」
「…お連れしなかったのか?」
「ええ、まぁ、色々ありまして」
 少年の手前だからか、キンブリーは言葉を濁した。苗字は、そうか、と納得したふりをした。そして、ココアを飲み干した少年に向き合う。
その瞳は、吸い込まれてしまいそうなほどの美しい金色をしていた。
「聞こえていたね?もうじきご両親が迎えに来られる。妹さんも一緒に」
「…ありがとう、軍人さん。…あっ、」
 礼もそこそこに、少年は遙か向こうの公園の入り口で、3つの影を見つけた。次の瞬間に彼は走り出していた。空になった紙コップが転がる。彼の走り去ったあとの空気が、苗字とキンブリーの間を駆け抜けて、やけに寒く感じた。



「まぁ、珍しい慈善活動でしたね、苗字中将閣下」
「私はいつだって慈善的だろう」
 司令部に戻ってから苗字は山積みの書類に目もくれず、机の引き出しを漁っていた。何かを探していることは明白だったため、キンブリーは目的を問う。すると、なんでもいいから封筒と切手が欲しい、と苗字は言った。それならば、とキンブリーは自身の引き出しから彼女が求めるものを差し出した。
「珍しいですね、あなたが手紙を出すなど。北の氷の女王様宛ですか?」
「オリヴィエとは軍の回線を乱用してやりとりをしてるさ。いや、なに、これを送りたいだけさ」
 にやりと笑った苗字の手にあったモノを見て、キンブリーは本日3度目の溜息が漏れた。



 リゼンブールのエルリック家に700センズ分の領収書が届いたのは、その5日後のことであった。
彼曰く「お前と並んで歩きたくない」のだそうだ

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